奧の細道二人旅・山刀伐峠越え
 県道・栗駒岩出山線を岩出山町に向かいます。この近辺は数カ所旧街道が残っており、昭和53年(1978年)から「歴史の道」として整備・保存事業が行われ、昔の街道の風情が再現されています。

千本松長根

整備された旧街道の中でも、特に「千本松長根」は見事です。「千本松長根へ」と書かれた看板にしたがって割石が整然としかれた坂道を登ってゆくと、突然目の前に松並木の旧道が現れます。

石段の上が「旧街道」です。

天王寺一里塚

奥州上街道3

上街道が出羽街道と合流する天王寺追分けから1.5kmほど手前に、天王寺一里塚があります。

天王寺追分

一ノ関台町で奥州街道と分かれた上街道は、この天王寺追分で出羽街道と合流します。

芭蕉と曽良は「小黒ヶ崎」「美豆の小島」を尋ねようと、この道を一栗の宿まで足を延ばしましたが、日が暮れてしまったので岩出山に宿泊したといいます。

右が上街道、正面が出羽街道鳴子方面

岩出山一宿の地

芭蕉は仲町の旅人宿「石崎屋」に泊まったといわれています。一宿の地には碑と芭蕉像があるはず。それを探して走り回りましたが見つからない。しかたなくお店で聞きました。教えてもらったのがこの「岩出山仲町」の信号の左側。工事車両の停まっているところです。工事のため芭蕉像は撤去してあるとのこと。残念。

仲町の信号を左に入ると「岩出山城趾」があります。この岩出山城は伊達政宗が仙台に入城する前まで拠点としていた城で、天守跡には政宗像が立っています。

城跡から見た岩出山町

出羽街道・中山越へ