奧の細道二人旅・奥州上街道
県道・栗駒金成線で金成町から栗駒町に入り、しばらく走ると市街地になります。ここが岩ヶ崎。現在の
「くりはら田園鉄道・栗駒駅」付近の町役場には「鶴丸城跡」の説明版があります。岩ヶ崎は、藤原泰衡が源頼朝軍勢の進入を防ぐため黒岩口を固めたところで、芭蕉が訪れたころは伊達氏家臣・茂庭大蔵が所領していた。その山城が「鶴丸城」です。
県道・栗駒岩出山線を南下し二迫川を渡り、栗駒町と一迫町の境のあたりに「芭蕉衣掛けの松」の案内表示が見えてきます。奥に入っていくと衣掛け松がありますが、現在は切り株だけが残っています。
さらに南下を続け、真坂に入ります。町のはずれあたりに秋葉神社がありますが、この境内には「芭蕉の時雨塚」が建てられています。
この塚は、寛政12年(1800年)の建立で、地元の俳人午夕の門弟が次の句を刻んで「時雨塚」としたものだそうです。
今日ばかり人も年寄れ初時雨 ばせを
野は仕付けたる麦の新土 許六
春も時にとりてやしぐれ塚 午夕
栗駒町・岩ヶ崎