ドワーフクエスト
第五章外伝 ギブノーの旅
*本編ではギブノー、そしてブルードとアリベスのその後は第7章においてギブノー本人からわずかに伝え聞く程度である。もともと、こちらはあくまで本編に関わらないサイドストーリーとして位置づけていたため、プレイヤーから積極的に関わろうとしなければ展開しなくてよいと考えていたからである。しかしこのリプレイを編集するにあたって、物語として断片的なまま終わらせるのは忍びない。(DM本人のキャラクターでもあることだし)この機会に物語の補足として、その後彼らがどうなったのかを書いておこうと思う。
1
左手にはめた指輪がうっすらと光線を発している。それは日の光に負けて、1フィートにも満たない距離でかき消されてしまうようなものだったから、ギブノーはとたん不安になってきた。
(やっぱりフンディンを追いかけて、一緒に来てもらえるように頼めばよかったかな…)
一瞬浮かんだ考えをギブノーは頭を振って追い出した。
本当は、フンディンとその仲間たちに一緒に来てくれるように頼むつもりだった。あるいは、彼らが兄を追いかけてくれたら安心だと思っていた。しかしギブノーがそんな事を考えているうちに兄は一人で旅立ってしまい、そしてフンディンも「知りません」と一言言い捨てて、どこかへ行ってしまった。
自分が他力本願だったことや、一人で危険が待っているであろう場所に向かうことにためらいがあったことが間違いだったかもしれない…
(いや!そんなことない!)
再び、ギブノーは頭を振った。
どいつもこいつも自分勝手に飛び出していくばかり。なら、自分がやるしかないじゃないか?
ギブノーは再び指輪を見た。頼りない光線ではあったが、しかし改めて見ると確実に一定の方角を指している。間違いない。ギブノーは不安な気持ちを振り切るように足を速めた。
2
ミラバールからどんどん南に向かっていくと、やがて街道が見えてくる。ここまでが、ギブノーが一人で来たことのある場所だった。ここから先には行ったことがない。そして指輪はさらに南を指している。
ギブノーは、せめて街道に沿って歩けたらよかったのに、と思った。だが指輪に従って街道を横断し、南に進む。
3
街道を越えて南に進むと、やがてなだらかな丘陵地帯へと至る。ミラバールの山々とは違った、優しげな隆起。しかしギブノーにはそれが頼りなさげに見えて、思わず後ろを振り返る。まだ、遠くにミラバールの山々が見える。自分がミラバールの山を背負っているような気がして、勇気がわいてくる。
しかしそんなギブノーの勇気もあまり長くは続かなかった。
一見すると山歩きのほうが大変そうな印象を受けるが、なだらかな丘陵をいくつも越えて歩くのは大変な体力を使う。特にギブノーはこういった場所に慣れておらず、丘に沿うように歩けば良かったのだが、ずんずんとまっすぐ進んだために微妙な上り下りで足腰に疲労が溜まってきた。
疲れてくると、背中に背負った荷物とバトルアックス。左の腰にぶら下げているラウンドシールドが、まるでどんどん重量を増しているかのように感じられてくる。
さらに着慣れない新品の鎧は、体のあちこちに衝突し、アザと擦り傷を作っていった。
ギブノーは泣きたくなってきた。疲労と痛みにではなく、まだ半日程度歩いただけなのにそんな有様の自分に。
(そういえばあいつ、フェルバールから来たって言ってたっけ…)
フェルバールの名前も位置も、知識としては知っている。だが今、ギブノーはそれが実感として感じられた。たった半日でこんなに大変なのにあいつは…。
(負けていられるかって!あんなやつにさ!)
ギブノーは再び気合を入れると、ノロノロと遅くなっていた歩みを元に戻そうと足を速めた…と、その時何かに引っ張られたように右足が大きく前に滑り、ギブノーは踏ん張れずにそのまま丘を転げ落ちた…。
4
「いたたたた…」
思わず、独り言を言う。
ギブノーはうっかり丘の斜面を転がり落ちてしまった。疲労と痛みで体を起こすことが出来ず、そのままごろんと仰向けに転がる。午後の空に、うっすらと薄い雲が流れている。
首だけ動かして周囲を見ると、荷物や装備がそこらじゅうに散らばっていた。
「情けねえ…」
今度は意識して声に出してみた。不思議と、気分が沈むようなことはなかった。
「まったく、どうしようもねぇよなあー…」
もう一度、声に出してみる。気負っていたものが、すぅ、と空に溶けていくような気がする。
そのまま、しばらく空を見上げながら身体を休めた。確かに、急がなければならない。だが自分は自分であり、いきなりそれ以上になる事はできない。
いままでは、いつも背伸びしていた。と、ギブノーは思う。
父は偉大の鍛治師で、兄は英雄と呼ばれるアイアンハンマーの名を背負い、それに値する実力がない自分がもどかしく、そして実力がない自分を他人に知られてはいけない…。ずっとそんなことにこだわっていた。
フンディンに対して、素直に「実戦の経験ないからさ…」と言えたのはフンディンもまた偉大な祖父と父を持つ、自分と似たような境遇だったからだろうか。
(やめやめ。今考えるような事じゃないや。)
ギブノーは起き上がった。
(だいたい、俺なら旅先で世話になった人には礼くらい言ってから出発する…ん?)
気配があった。よく分からないが、何かがいる。そんな気がする。
ギブノーは近くに落ちていたバトルアックスをそっと手元に引っ張る。ラウンドシールドは…少し離れたところに落ちている。途中の荷物を適当にカバンに突っ込みながらゆっくりと歩き、ラウンドシールドに手をかけた時、何かが丘の影から飛び掛ってきた!
「わあああ!」
ギブノーは驚き、声を上げながらラウンドシールドを振り回した。運良く盾が襲撃者にヒットした手ごたえがあって、その衝撃に再び盾を落としてしまう。今度は素早くそれを拾い上げ、正面に構える。
見ると襲撃者…犬―おそらく野犬だろう―も、飛び起きたところだった。ギブノーは油断なく盾を構えてジリジリと後退する。拾えなかった荷物は諦めるしかない…今はこのまま離れよう。
だがギブノーは知らなかった。野犬は群れで狩りをするものだということを。
あっ、とギブノーが思った瞬間、もう1匹が素早く飛び出し、ギブノーの後ろ足に噛み付いた。
間髪入れず、飛び掛ってきたもう1匹がギブノーのホーンドヘルムの角に噛み付き、前足で顔を狙ってくる。
いずれも、ギブノーの新品の鎧に傷をつけることもできずにいる。ギブノーは鎧に感謝した。
ヘルムの角に組み付いているやつが顔を狙ってきて一番危険だったので、ギブノーは盾を自分とその野犬の間にいれて力いっぱい押し込んでそいつを引っぺがすと、足に噛み付いている野犬目がけてバトルアックスを振り下ろした。
野犬がいきなり飛びのいたせいで、バトルアックスの刃の腹で思い切りふくらはぎのあたりを叩いてしまい、火花が飛び散る。だが今はそんな事を気にしていられない。
突然、何か無意識のうちに、反射的に、身体を捻るようにしてバトルアックスをそのまま正面上方に振り上げた。ちょうど、飛び掛ってきていた最初の野犬は、鼻を切り離されて血を撒き散らしながら倒れ、そのままバタバタと暴れている。致命傷だ。
「わ、わ、わ」
しかしギブノー自身もそれに驚き、大量の血を撒き散らし暴れる野犬を見て恐怖した。
「わーーーーー」
ギブノーは叫び、斧と盾を持った手をめちゃくちゃに振り回し、正体を失って走った。
5
ギブノーは走った。すぐ後ろに野犬が迫っているような気がして足を緩めることはできなかった。
どのくらい走り続けたろう。やがて、身体が限界に達してギブノーは前のめりに倒れこんだ。
「はっ…はっ…」
喉が詰まってしまったかのように、ほとんど息が出来ない。視界も霞んで目の前が暗く、時々なにかが明滅している…。ギブノーはいまや野犬やそれ以外の何かに襲われる恐怖よりも、このまま息が出来ずに窒息死するのではないかということに恐怖した。もちろん、そんな事にはならず、しばらくすると息も整ってきた。
あたりを見回すと、もう森に入っていた。地面はじっとりと湿っており、ギブノーにとってはあまり馴染みのない森の匂いがする。
起き上がろうとすると、身体中から悲鳴が上がって、再び地面に倒れこんだ。
(どこか休めるところを探さないと…)
ギブノーは抗議する身体を無理やり起こすと、足を引きずるようにして森を歩く。運良く、小さな横穴を発見した。冬の間に熊でも冬眠していた穴かなにかだろうか。入り口には草が生い茂っており、ちょうど隠れることもできそうだ。
ギブノーは横穴に転げ落ちるように入り込む。鎧を外そうとして指を動かしたが、すぐに意識は深く沈みこんでいった…。
6
目を覚ましたギブノーは、一瞬どこにいて自分が何をしているのかわからなかった。首を上げようと身体を捻ると全身に痛みが走り、それが意識をはっきりと覚醒させる。
身体を穴の壁面に預けるようして起こし、身体をほぐす。いつ外したのかわからないが、鎧の一部は地面に落ちていた。周囲を見てみると、特になにかが来たような痕跡はない。ギブノーはまたも運に助けられた。
(大丈夫だ…痛いけど、でも動ける)
ギブノーは確認すると、再び鎧を身につけ、荷物を背負って穴から外に出る。
初めて訪れた森は、方向感覚を失わせる。深い霧があたりを包み、今が朝なのか夜なのかも、ギブノーにはよくわからなかった。
しかし指輪は確実に働いている。ギブノーは指輪から出る細い光線だけを頼りに、再び歩き始めた。
霧に包まれた森の中は、ギブノーにとって始めて見る幻想的な世界だ。
その中をギブノーは油断せず、かといって無理もせず、指輪の示す方向へと確実に歩いていった。
まだまだ遠いのだろうか…ギブノーがふと不安に駆られた時、それは姿を現した。
7
霧に包まれた森はすべてのものがぼんやりとしていたが、それは確実に自然のものではなかった。
見慣れた石作りの、人の手で作られた建造物。その影が霧の向こうに見えてきた。
しばし、ぼうっとしてしまったギブノーだったが慌てて周囲を警戒する。
指輪を見るとその建造物を指している。そこが目的地ならばやつらがいるはずだ。
(やつら…)
店にあった死体を思い出す。見たこともない生き物。
ここまで来てしまってから、ギブノーは自分がまったくの無計画であったことを思い知らされた。そういえば、とにかく追いかける事だけ考えていて、何をどうすべきかなんて事は考えてもみなかった。
しばらく悩んだギブノーだったが、結局なんのアイデアも浮かばない。とりあえずもう少し近づいて様子を見てみるしかない。茂みをつたって、建造物に近づいてみる事にした。
少し動くと、鎧がガチャっと音を立てる。自分の鎧が立てる音が、ものすごく大きな音に感じられ、そのたびに周囲をきょろきょろと見回す。そんな事を繰り返しながら近づいていくと、やがて霧に混じって血の匂いが漂ってきた。店にあったトカゲの死体の匂いだ。
石造りの建造物は、かなり古いもののようだ。遺跡、と呼んでいいだろう。
その周囲には、トカゲ人間の死体が無数に転がっていた。弓を持っているもの、魔術師風なもの、剣を持ったものなどいるが、そのどれもが鋭い刃物で斬り殺されている。
(兄貴だ!)
とギブノーは直感的に思った。その瞬間、自分の中で急速に安心感が広がっていくのがわかって、ギブノーは少し悔しいような、しかしうれしいような不思議な気持ちになった。
少し大胆になって、遺跡の中を歩いてみる。そんなに大きくない遺跡で、建物として原型をとどめているものは一つしかない。その入り口の扉は開けっ放しになっていた。
中を覗いてみるが、なんの音も聞こえない。通路には魔法の照明が灯されているようだ。
(行ってみるか…)
ギブノーは斧と盾を構えなおすと、遺跡の地下へと足を踏み入れた。
8
遺跡の中にも、トカゲ人間の死体がいくつも転がっていた。なんの音も聞こえないところを見ると、すでに戦いは終わっているようだ。
なんとなく、ギブノーは遺跡を調べながら歩いた。
(この壁…ここ、なんで崩れないんだ?)
構造的に、この遺跡はすでに崩れ去っていてもおかしくはない。なのに形は残している。なにかの魔法が働いているとしか思えない。
と、遺跡を照らす魔法の明かりが明滅した。天井から、それを構成している石がさらさらと砂のようになって降り注ぐ。
ギブノーには、遺跡もまた死んでいこうとしている…そう感じられた。
(兄貴…兄貴はまだ中にいるのか?)
不安になったギブノーは兄を探して走り出した。
9
ギブノーは、兄ブルードを見つけた。
そこは遺跡の一番奥であった。中央には何か魔法の儀式に使われるような設備があり、その前に兄は座り込んでいた。その傍らには…原型をとどめていないが、トカゲ人間だったと思われる死体が転がっている。
「兄貴!」
ギブノーは叫んで駆け寄る。
「兄貴、なんかここ、やばいぜ」
しかし、ブルードは反応しない。
「兄…」
そしてギブノーは見た。ブルードの目の前に、あのエルフの女性が倒れていた。
確かめるまでもなく、死んでいるのがわかる。
(あ…)
ブルードは震えていた。泣いているのだとギブノーにはわかった。
こんなとき、どうしたらいいんだろう?
何があったのか、聞きたい。そして出来ることなら慰めてやりたい。しかし自分が何か一言でも言えば、兄を傷つけるような気がした。
いや、もしかしたら、自分が今ここにいる事がすでに兄を傷つけているんじゃないだろうか?
強くて、みんなに英雄と呼ばれていて、いつも動じない兄の涙を見てしまった事に、ギブノーはなぜか罪悪感のようなものを覚えて兄の背中から目を背けた。
「!」
突然、何かが足を掴んだ。心臓が止まるほど驚いてギブノーが足を見ると、トカゲ人間の手だけが自分の足を掴んでいる。
「うわあああ」
半狂乱になってギブノーは、その手をめちゃくちゃに踏みつけて、斧を叩きつけて、蹴り飛ばした。
「な、ななな」
見ると、トカゲ人間の死体はピクピクと動いている。肉片は本体(?)に集まろうとしているように見えた。再生しようとしているのか?
「あ、兄貴!兄貴!こいつまだ生きてる!」
だが、ブルードは落ち着いた声で答えた。
「心配するなギブノー。生き返りはしない。ただ死ぬまで時間がかかるだけだ…」
ギブノーは、声もなく兄を見る。
「こいつらはさ、いつも力を手に入れてどうとか言うんだ。だけどその力とやらを手に入れても、こうやって死ぬまで長い時間苦しむようになるだけだって事がわからねえんだよ」
ギブノーにはよくわからなかったが、それは兄が、そういった力すら超えた所にいるからじゃないだろうか。
「…昔、アリベスもそういう力に惹かれた事があったんだ。そんで力を手に入れた。大元は俺が落とし前つけてやったんだがな、その力の残りみてえなもんがアリベスには残ってた。こいつは、それを手に入れて、また自分達の時代を取り戻すとかくだらない事を言っていたよ。そんなのはどっかよそでやってくれってんだよ…」
ブルードは言いながら、そっと、アリベスの頬に手を触れた。
「…な、アリベス」
その力とともに、この兄が愛した女性は命も吸われてしまったんだろう…とギブノーにもなんとなく想像がついた。そしてそれを奪った相手も今、死に行こうとしている。この結末を人が知ったらなんて言うだろうか、ギブノーは考える。やっぱり自業自得だと言うのだろうか。
大きな音が遺跡に響き渡った。どこかの通路が崩落したのかもしれない。
「兄貴、ここはもうヤバイよ…。行こう。そのひとを連れて行くなら、手伝うから…」
ブルードは動かない。兄は心中するつもりなのではと、ギブノーは不安になった。が、次の瞬間ブルードは立ち上がった。
「わかってる。さよならだ、アリベス。いまさらで、すまねえ…」
ブルードは取り出した指輪をアリベスにはめてやると、そっと口づけした。
10
埃を巻き上げて崩れ去る遺跡を、アイアンハンマーの兄弟は外から眺めていた。
ギブノーは兄を見た。涙の痕はまだそこにあった。ギブノーの視線に気がついたブルードは、バシッとギブノーの背中を叩いた。
「兄貴…」
なぜ、兄はこんな時なのに自分を気遣うのだろう。
「とりあえず、ミラバールに帰ろうよ」
なるべく元気な声で、ギブノーは言った。だがブルードは首を振った。
「やらなきゃならねえ事があるんだ、ギブノー。お袋と店を、お前任せで悪りぃとは思ってんだけど…あいつと約束したんだ」
「約束って?」
ギブノーは思わず聞き返してから、聞かないほうがよかったかも、と少し後悔した。
「今までどおりに、生きていくって事さ」
意味がわからず、ぽかんとしたギブノーの背中を、再びバシッと叩くと、ブルードは遺跡に背を向けて歩き出した。その背中は、昔から変わらない兄のものだった。だけどギブノーは知ってしまった。そこにずっと残り続けるであろう涙の痕を。
「…あ、兄貴、俺、帰り道わかんねえんだよー」
慌ててギブノーは、ブルードの後を追いかけて走り出した。