なんでこんなことになったのか?
息を潜めてトグサは考える。
誰もいないダイブルームのケーブルの中に紛れながら、俺このまま死ぬのだろうか、とか本気で考えてしまった。
もちろん彼等が自分を殺すことなんてないのは解ってるけど。
でもだからって、何もここまで大掛かりにする必要性がどこにあるのか。そして自分が何でこんなところに隠れているのか、もはや疑問しか出てこない。
部屋の外に耳を澄ませながら、お父さん無事におうちに帰れないかも、と手に持ったキルト生地の人形を見つめて涙が出そうになった。





[情報戦!ソレは何だ!]



不規則な仕事なんだ。と休日にトグサは娘に言う。
ゴールデンウイークも夏休みも盆休みも冬休みも正月休みももちろん春休みも、そして土日祝日さえも、滅多に休むことのない父親であるから、子供や妻にも大変寂しい思いをさせていることは重々承知だけれど、こればっかりはどうにもすることが出来ない。
ただの警備の仕事なのにね。と妻は不思議がるが、その言葉にどきりとすることはもう数えきれない。
もしかしたら妻は本職知ってるんじゃないのか?とさえ疑いたくもなるが、取りあえず何も聞いてこないのでトグサも取りあえず安心している。
それに娘も遊びたい盛りだから、学校の友達が親と遊園地に行ったとか旅行に行ったとか、という話を聞くと羨ましいはずなのに、そのことで愚痴を零したことは一度もない。
それどころかたまに娘が起きてる時間帯に帰ってくると「パパ、お帰りなさい。いつもご苦労様」となんとも嬉しいことを言って抱きついてくるので、その健気さには涙が出そうになることもしばしばあった。
そんなこんなの日々での休日というのは、トグサにとって本当に特別なのだ。
一家団欒。
何をするでもなく家で新聞を読んだり、妻の手料理を食べたり、子供の話し相手になったり、一緒に買い物に出かけたり、ともかく家族と一緒にいる時間を満喫する。
明日からはまたハードな仕事が待ってるから。
そしてその日の夜のこと。
娘がランドセルから何かを取り出してトグサの元に持ってきた。
「はいパパ、これどうぞ」
そう言って差し出したのは。キルト生地で作られたシンプルな人形。
ちゃんと色を分けて縫い合わせている。髪の毛、顔、そして服、子供の裁縫にしてはとてもうまく出来ていると思った。親の欲目を差し引いても。
「これは……どうしたんだい?」
「あのね、家庭科の授業でね、お裁縫でお人形づくりしたの。自分の好きな人のお人形を作りましょうって。それでね、わたし、パパを作ったの」
だからパパにあげる。とにっこりと満面の笑みを浮かべていう娘と、自分の手に収まった人形とを交互に見比べながら、トグサは頭の中でもう一度娘の言葉を反芻した。
自分の好きな人のお人形。
パパ。
その単語を拾い上げた瞬間。トグサはもう何と口にしていいのか解らずに娘を抱きしめた。
「え?え?どうしたのパパ?」
「何でもないんだ、パパ、すごく嬉しくってさ」
「本当?」
「うん、すごいよく出来てるよ、流石だな」
「だってパパの娘だもの」
子供というのはどうして人を喜ばせるのがうまいのだろう。と、娘の小さな体を抱きしめながらトグサは思った。
抱き慣れているはずなのに、いつの間にこんなに大きくなったんだろうと思うと、またぐっと感情が沸き上がってくるのだった。
遠くで妻が子を呼ぶ。
「お風呂湧いたから、先に入っちゃいなさい」
「はーい」
それを合図にトグサは娘の体を離すと、娘は彼の頬にちゅっとキスをして身を翻していった。
ぱたぱたと慌ただしかった足音が遠ざかって聞こえなくなった瞬間、トグサは知らず知らずのうちに涙を流していた。
そこへ妻がやってきた。
「あら、そんなに嬉しかったの?」
「だってさ、俺のこと好きだって言ってくれたんだぜ?寂しい思いいっぱいさせて、我慢だってさせてるのに、俺のこと、好きだって……」
「そうねえ。でも、あの子も、あの子なりにちゃんと解ってるのよ。あなたのこと。他の親は他の親、自分の親は自分の親って、ちゃんと折り合いつけれてるんじゃないかしら」
「そうかな?」
「そうよ。でももう少し家族サービスに優しい職場だったらいいのにねえ」
どきっ。
驚きで涙まで引っ込んだ。
妻はふふふと笑うとそのままキッチンへ行ってしまった。
妻よ、お前は一体どこまで知ってるんだ?
恐くて聞けない。
トグサはため息をついて目を擦ると、手のひらにある柔らかな人形を優しく抱きしめた。
なんだかとっても胸が暖かかった。






そしてその人形がすべての発端となることを、この時のトグサは知る由もなかった。
















次の日、公安9課では。
世にも珍しい光景が広がっていた。
ある一定の空間内ではパステル色の世界が広がっている。
それはトグサのデスクを中心としていた。
さっきから何がそんなに嬉しかったのかにたにたにたにたしてる。見てるこっちは無気味で近付きたくない。
一歩踏み入れたら自分の顔の筋肉が一気に弛緩しそうだ。
だがそんな周囲のことはまったく目に入っていないトグサは、机の影で何かをしきりに見ている。
見た後に頬杖をついてにんまり。
しばらくして思い出したようにまた何かを見て。
それからまた頬杖をついてにたり。
これが気味悪くなかったら一体何を基準に気味が悪いと思うのだろう、というくらいの気味悪さ。
「あれ、どう思う?」
「なんかの病気か?」
「おとといの別れ際までまともだったぜ」
「頭打ったんじゃねえか?」
「にしてはひどいだろ、あれ」
トグサの脳内春状態に汚染された区域から離れた場所ではバトー、イシカワ、ボーマ、パズ、サイトーの面々が様子を伺っていた。
彼等は部屋のドアから盗み見るようにしてトグサを見ている。
最初口笛を吹いて部屋に入ろうとしたバトーは、その異様な光景に思わず己の結んだ髪の毛がぴょんと飛び上がるぐらいに驚いて、すぐさま部屋を出た。
何だあれ?
どこの生物だ?
見たことねえ。
気味悪い。
恐い。
近付けねえ。
等々のことが一気に脳内を駆け巡り、そのままドア付近で観察を続けているところへ次々にメンバーがやってきた。
ほかの皆もまた、あまりの恐さに部屋に入れないでいた。
「おい、誰か聞いてこいよ」
「やだぜ、あそこに行ったら何か得体の知れないものに感染しそうだ」
「空気感染は恐いな、防ぎようがない」
「とはいえ、このままでは仕事出来ねえし」
「あとで課長にどやされるな」
それは困る。と皆の意見は一致するが、誰も動かない。
そうこうしてる間もトグサは一定の間隔で同じことを繰り返している。
もはや作業用のアンドロイドとそう変わらない。ただひとつ違うとすれば、アンドロイドはあんな顔をしないということだろうか。
五人があれやこれやとドア付近でまごついていると、
「朝から集まって何してんのよ」
素子がご出勤。
みんなの目には不覚(?)にも救いの女神に見えた。
「なあ少佐、あいつ、一体どうしたと思う?」
バトーがそう言って問題のトグサを指さした。
言われるままにしばらく彼の動向を伺っていると素子は、ははあ、と呟いた。
「どうかしてるわね」
「見りゃ解るだろそれは」
思わずバトーがツッコむ。
「問題は、なんで彼がああなったのか?ということよね」
「そうだ」
「簡単よ」
「え?」
「吐かせればいいのよ」
そう言うや否や、素子は臆することなく部屋の中に入っていき、夢見心地な顔でデスクに頬杖ついているトグサのところへ向かった。
それからぱんと軽くデスクを叩いて自分の存在をトグサに知らせると、叩いた腕で体を支えながら腰を屈めてトグサを見る。
「おはようトグサ」
「あ、おはようございます」
「朝からご機嫌ね、何かあったのかしら?」
「え?あ、いや、別に」
「そう?」
「ええ。これといったことは、何も」
「にしては随分にやにやしてるけど、何を思い出してたの?」
「え、そんなににやにやしてました?」
「ええもう、顔面をお湯に突っ込んでふやかし過ぎたんじゃない?ってくらいふにゃふにゃしてたわよ」
「そんなにひどくはないでしょう?」
「今の顔、一度鏡で見てみるといいわ。ひどいから」
「そうっすかねえ」
「で?」
「はい?」
「昨日どうかしたの?」
「いや、だからどうもしませんって」
「どうもしなかったらそんな顔しないでしょう?それとも、あなた昔からそういう顔だったかしら?」
「違いますけど。でも、何もないんですって!」
素子とトグサのやりとりを聞いていたほかのメンバーは首を傾げる。
いつになくトグサが意固地になっていると。
あまり争いごとを好まない温和な性格にしては一度決めるとてこでも動かない意固地さを発揮するトグサであるが、仕事でない時にここまで何でもないと否定することはきわめて稀なことだった。
特に上司で何かと恐れられている素子相手にである。
これが驚かずにいられようか。
「ともかく何でもないっす。俺これから課長に頼まれた仕事ありますから出かけてきますね」
もう何も話したくない。とばかりに、膝に置いていた鞄を持ってトグサは部屋を出ていった。
素子も、そしてほかのメンバーも、その後ろ姿をただ呆然と見送るしかなかった。
姿がなくなった瞬間、くくく、という笑い声が聞こえてきた。
何だと思って見てみれば、おかしそうに笑っている素子だった。
「……ど、どした少佐……?」
思わず訊ねたバトーの声は震えていた。
普段声を上げて笑うことなんて滅多にない素子が、声を上げて笑っている。
メンバーは恐々とした。
こういう時の少佐ほど恐いものはないと。
「どうしても言いたくないか、トグサ。……ふふっ、そうか、言いたくないか……」
あわわわわわっ。
そしてそれは現実となる。
先ほどのパステル調の空気はどこへやら、気が付くと真っ黒な暗雲と落雷と豪雨のような風景が彼女のバックに現れた。
まずい。
なんか非常にまずい。
ここにいたら。
俺たちやられるかも。
そんなことを皆一斉に思ったが、足が凍り付いて動かない。
素子は肩を揺らして笑う。
ふふふっ、ふふふっ、ふふふっ…………ふーっ。
ひと呼吸おいて。


「ならば貴様の脳殻引きずり出してでも言わせてやるっ!!」
ごろごろぴかーんばりばりばりばりどーんっ!



雷が落ちた。
そしてほかのメンバーの運命も決まった。
「これからトグサ捕獲計画を実行する。どんな手を使ってもあいつを捕まえろ!!」
鶴の一声。
というよりは、メスゴリラの一吠え。
そんなこといったら八つ裂きだよな、とメンバーは思ったらしい。
本来の課長からの仕事なんてやってられねーぜ、とばかりに素子を筆頭に公安9課は出動したのであった。






 つづく