トグサは聞き込みの仕事を与えられていた。必要な情報源を頭の中に引っ張り出しながらも、やっぱりどこか上の空。
そして自然に足はスキップしてて。
軽やかになっているという自覚はない。
ああなんて素晴らしい日なんだろう。
こんな騒音けたたましい市街地歩いていても、まるで朝の目覚めに聞く小鳥の囀りみたいじゃないかー。
すれ違う人々みんなが自分を祝福してくれている天使みたいに見える。
誰も彼もが笑顔だ。
最高!
人生最高!
お前の頭の中が最高だ。と誰も突っ込んでくれないものだから、トグサはまるで夢遊病者のような足取りで歩道を歩いていた。







[情報戦!ソレは何だ!]






そのオーラに圧されて、人々が自然と道を開けていく。
やはり人間厄介なものには関わりたくないのである。
それにしても何故トグサがああまでして自分のご機嫌な理由を言わなかったのか、というと。
からかわれるのが嫌だった。ただそれだけだった。
ただでさえ独身貴族で満たされた職場唯一の既婚者、ということで何かといじられることの多かった彼であるから、「昨日子供から俺の人形を貰ったんだ」なんてことを話せば、あーあこれだから妻子持ちはよー、とか、親ばかねぇ、とかとにかく何か言われるに決まってる。
せっかくの子供からのプレゼントで気を良くしているところにそんなこと言われれば、やっぱりちょっとむっとする。
だから言わなかった。
そしてそれがのちのち、彼自身の悲劇を招くことになるのだということを、トグサはまったく理解していないのであった。
彼は持っていた鞄を開けて、中を覗く。
そこには昨夜娘から貰った自分に似せて作った人形がいる。
口元をにっこりと微笑ませてこちらを見ているその人形に、トグサ自身もにっこりする。とはいえにっこりしても、周囲からは「にやにやしてる」という認識しかされないのだが。
怪しい男が鞄覗いてにやにやしてます。という通報が警察にされないだけでも幸運である。
そんなトグサをとあるところから見ている人物がいた。
その人物は彼の頭上何百メートルという上空のヘリコプターに乗って、ゆっくりとトグサを追いかけている。そして普段閉じられている眼帯が開かれ、左目に収まった高機能のレンズが駆動音をたてながらゆっくりズームしていく。
『少佐。発見した。映像送る』
後ろの端子にジャックを差し込むと、そこを流れてメンバーのインターフェイスに表示される。
それは超高高度からの射撃を可能にするためにサイトーが埋め込んだ衛生リンクシステム、通称“鷹の目”からの映像であった。
こんなことに使っていいのかよ。と思う素子以外のメンバーも、素子ならいいのだと無理矢理納得することにした。でなければ9課なんてものはやっていけない。
インターフェイスに流れるその映像の中のトグサは、やはり気味が悪いの一言に尽きる顔をしていた。
背中に羽が生えてなくても空飛べそうな勢いである。スキップしながら花でも飛ばしそうで、その恐ろしさに行き交う通行人ですら道を開ける。
まるでそれは現代版モーセの十戒。
おいおいおい、本当に大丈夫かあいつは?
心配になった。
と、その時素子は気が付いた。
「ねえ、あの子何を見てるのかしら?」
「え?」
「ほら、さっきもそうだったけど、しきりに鞄の中覗いてるでしょ?」
「ああ、そうだな」
「ということは、すべての答えはあの鞄の中にあるってことね」
「あ、ああ」
「みんな、計画変更!」
バトーの乗った偽装バン、そして別の車で移動しているパズとボーマ、そして中型ヘリに乗っているサイトーとイシカワに戦慄が走る。
「トグサ捕獲から、トグサの鞄奪取に変更するわ」
素子の命令はいつだって絶対なのである。
誰も逆らえない。
というよりも声として発せられた時点でそれは強制的なものになる。
「それだったらトグサ捕獲した方が早くねえか?」
そんな絶対的命令に恐れ多くも口出ししたのはバトーであった。
素子とはそれなりに付き合いが長い割にはいまいち危機感が薄いところがある。
だが素子は鼻で笑った。
「仮にも9課で働いてる男だからな。それに彼に目をつけたのは私だぞ。そう簡単に捕まってくれるとは思わないわ」
「そりゃそうだけど」
「といってもこちらだって容赦するわけにはいかないわ。もし捕まっても抵抗するようなら骨の二三本軽く折っても構わない。基本的に、義体で換えがきくところならばどこでもね」
ふふふ、とそれはそれは艶っぽく笑いながら、それはそれは恐ろしいことを素子はのたまう。
ほかのメンバーの血の気がさっと引いた。
鬼だ。
この人、鬼だ。
そして計画は実行される。
選択権はない。
命令は絶対服従。
……己の命が惜しければ。
















るんるん気分でとあるマンションに聞き込みに来たトグサが最初の危機に遭遇したのは、聞き込みする相手の部屋にたどり着いたときだった。
ピンポーン。
インターフォンを押して相手がドアから出てきた瞬間。
ばばばばばばばばばばばっ。
鼓膜が破れそうなほどの音と風圧がした。そして視界に飛び込んできたのは目と鼻の先を飛んでいる見たことがあるヘリ。
風圧でトグサと、ドアを開けた家主の髪が後ろに撫で付けられる。
そしてそのヘリのドアがスライドしたかと思うと、中からサイトーが狙撃ライフルを構えた状態で登場したのである。
『トグサ』
サイトーの声が電通によって運ばれた。
『今すぐお前が持ってる鞄を寄越せ』
「はあ?」
いきなりとんでもない状態で登場したと思いきや、想像もしていなかったことを言われて目を瞬かせていると、そのライフルの銃口が自分に向けられていることに気が付いた。
え?
これ、どゆこと?
『さもなくば、撃つ』
さもなくばって。
撃つって。
まさか。
「冗談だよなっ!?」
ヘリのプロペラ音に掻き消されまいと大声で一応聞いてみるが、相手はゆっくりと首を左右に振った。
『少佐からの命令だ』
ああ、少佐のね。
それじゃあ仕方がないよなあ。
……って違うだろ!!
ひとりノリツッコミ状態のトグサは全身の毛穴がぱっと開いて汗が吹き出す感覚を覚えた。
少佐の命令が絶対的であることはトグサには身にしみてよく解っていた。
鞄を差し出さなければサイトーは100%撃ってくる。
殺しはしないだろう。
だが急所を外して撃つことぐらいはたぶんする。
いや確実にやる。
しかし、かといって鞄を手渡す気になんてなれない。
この中には大事な娘の手作り人形が入ってるんだ。
この鞄に何の恨みがあるのかは知らないが、せっかくの娘の人形の入った鞄を差し出すことなんて出来やしない。
トグサはゆっくりと息を吐いた。
そして息を詰めて三秒数えた後、ドアを開けっ放しでヘリを凝視していた家主の体を部屋に向けて思いっきり突き飛ばすのと同時に、彼もまた部屋の中に転がり込んだ。
瞬間。
どどどどどどどっ。
スチールのドアの向こう側で凄まじい音が響き渡った。
……本気で撃ってきた。
たぶん自分がいた場所のコンクリートの壁は抉れている。
家主の上に覆いかぶさるようにしてトグサはたらりと汗を流す。
「お、おいっ!何なんだよあれっ!」
トグサの訪問先の若い男が軽いパニック状態で訊ねてくるが、もちろんトグサには答えようがない。
何だって言われても。
こちらだって返答に困る。
ただここにいたら自分の身が危険であることが伺い知れた。
トグサは土足のまま男の部屋に上がり込み窓辺に寄る。
幸いなことにここは二階、地面までそう距離があるわけではない。
そう思った矢先、どんっ、という音と共に玄関のドアが開いた。
だが何も入ってくる様子がない。
いや、見えないだけだ。
もう中には人がいる。
『トグサ、その鞄を寄越せ……そしたら義体化にならずに済むぞ』
電通の主はパズだった。
「なんでそんなにこの鞄の中身が気になるんだよっ!」
別にそんな機密事項なものは入れた覚えがないのに!
『お前がいけないんだぞ。少佐の逆鱗に触れちまったんだ』
ボーマの声も響く。
中に入ってきたのは二人。しかも光学迷彩仕様。
少佐はここまでするのか?
一体何のために?
俺別に少佐の逆鱗なんかに触れてないのに。
自分が隠し事をしていることがそもそもの原因であることにまったく気が付いていないトグサは首を捻るばかり。
自分の体は大事だけれど。
やっぱり納得いかないし、娘の人形を片時も離したくないという思いも強い。
トグサはじりじりと後退すると、
「何があったか知らないけど、俺はこの鞄を手放す気はないからなっ!」
と叫ぶや否や、くるりと向きを変えてそのまま閉まったままの窓ガラスを突き破って外に飛び出した。
がしゃーん。
ばばばばばばばっ、!
砕けたガラスと共に地表に落下するトグサの背後から、銃声が連続して起こった。
アサルトライフル装備のようである。
ごろんと受け身を取って下に置いてあった車のボンネットをクッション代わりに落ちたトグサは、そのまま全速力で走り出した。
頭上からはサイトーがいるヘリの音が響く。
きっとこの後パズとボーマを乗せた車が猛スピードで追いかけてくるだろう。
一体自分が何をしたのかやはり思い当たらないが、とにかく少佐はこちらの身体がサイボーグになろうともおかまいなしにこの鞄を奪うつもりらしい。
そしてそれは、鞄を奪うまで続く。
経験があるからいやでも解るのだ。
だがこういう逆境に関して異様なほどの対抗意識があるトグサは、諦めて鞄を少佐に渡そうと考えるどころか、逆に絶対何が何でも守ってみせる!という風に考えてしまったのである。
絶対捕まらない。鞄も渡さない。
所帯持ちをなめんなよ!
一方。『トグサが繁華街に出ました』
『すみません逃がしました』
電通が送り込まれた時、素子とバトーを乗せた偽装バンは急遽方向を替えた。
うえおああっ!!
急ブレーキ急ハンドル。車はドリフトをかましながら180度回転。
助手席に乗っていたバトーの体がひっくり返る。
「サイト−たちはそのままヘリでトグサを追跡、位置を確認しろ!ボーマたちも後を追え、繁華街では車は不利だからサイト−の送る情報を随時確認して行動すること!いいか、逃がすなよっ!」
『了解』
『了解』
インターフェイスに映る映像を見つめながら、華麗なハンドル捌きを見せる素子。
バトーはサイドの把手を掴みながら右へ左へ猛スピードで揺れる車に耐えていた。
「素子ーっ!」
「何かしら?」
「お前の運転は最高だ、プロフェッショナルだな」
「それはどうも!」
「でもよー!」
「何?」
「そろそろ車道移った方いいぜ!ここ反対斜線だしな!」
そう、素子は逆走していたのである。
次から次へと流れてくる車を寸でで躱しているのだ。
「それもそうねーっ!」
呑気にそう答えながらもやっぱり車線変更する様子を見せない。
俺、今マジで自分がサイボーグで良かった。とバトーは心底思った。






トグサの余計な決心と素子のジャイアニズムによって、この日街のあちこちで謎の銃撃戦&逃避行が確認されるのであった。
















あちこちでの死闘を繰り返してトグサがたどり着いたのは、自分たちの職場。
そして現在彼はダイブルームのケーブルの中に息をひそめて隠れている。
体中が今回の出来事で悲鳴を上げている。
空気を吸い込む度に肺が刺すように痛む。
軋む体をコードの海の中に沈めながら、今日一日起こった出来事を思い出そうとしたが。
死にそうな目にあったことしか思い出せない。
街中を必死に走り抜けるトグサへの少佐の追撃は休む間もなく続き、街のあちこちの建物が犠牲になり、市民は大パニックになり、ある意味無差別テロのような雰囲気をかもし出していた。
たかがひとりの人間捕まえるために、何もここまでする必要ないんじゃないか?と思えるほどの徹底ぶりには頭が痛い。
明日の新聞にせはせめて顔写真載りませんように、と神に祈るしかない。
今頃課長の苦虫を何万匹噛み潰したような顔が目に浮かぶ。
それにしても。
トグサは思う。
何で俺がこんな目に遭うんだろう。
今日一日ほとんど少佐と会話らしい会話もしていないのに、これといったことで彼女を怒らせるようなことをした覚えがないのに。
どうしてだろう?
しかも彼女は必要以上に自分を、いやこの鞄に執着している。
抱えていた鞄を引っくり返せば、出てくるのは他愛もないものばかり。
唯一のものといえばこの娘がくれた人形だが、これが彼女を怒らせる理由になるわけがない。
と、最初から除外しているその人形こそがそもそもの元凶であるなどとは、彼の頭の中には存在しないらしい。
それ以外に何かあるかな?と鞄の中をあさっている時。
がちゃ。
ドアが開いた。
ぎくんっ。
トグサは動きを止めた。
暗い部屋に光が差し込み、そしてその光を背に誰かの影が伸びている。
相手は無言のままかつかつと部屋の中を歩いてくる。そしてその足がトグサの目の前にきた時、それがバトーのものであることが解った。
息を止めて存在を消すことに努める。
相手は奥まで進んだあと、また踵を返して元きた道を戻る。
お願い気付かないでっ!!
心の中でそう呪文のように願いながらしばらくして、
ばたん。
ドアが閉まり、また暗闇が戻ってきた。
…………ほっ
止めていた息をついた後。


「なーんてな」


目の前に丸い義眼が二つ現れた。
ひゃっ……………………っ。
心臓が動きを止めた。
息も止まった。
そしてトグサの意識も止まった。
極度の緊張状態で心臓はいつになくその鼓動を早めていたのだ。そして安堵してすぐ、とてつもない衝撃が彼の心臓に負担をかけた。
結果。
張りつめた神経がすべてをぷっつんさせた。
トグサは白目を剥いて気絶してしまったのである。
「おい、大丈夫かトグサ、おいっ、何もそこまでびっくりする必要ねえだろ、おい、おいってば!」
ちょっとした茶目っ気だったのに。と気絶させた張本人のバトーは、白目剥いて泡吹いているトグサの体を揺さぶった。
まさかここまでびっくりするとは思わなかった。驚かせ冥利に尽きるともいえるが、今はそんなことを言ってる場合ではない。
と、その時バトーは気が付いた。
彼の手が握りしめていた人形が、ころんと弛緩した手からこぼれ落ちたのに。
拾って見て見れば、それは稚拙な明らかに不馴れな人間が作ったと思われるキルト生地の人形。
しかもそれはトグサを真似て作ったようだった。
これって。
もしかして。
バトーは思う。
確かトグサには娘がいたということを。
昨日は休日。
家族サービスしなくちゃなあ、とおとといの夜に肩を揉みながら呟いていたことを思い出す。
そして今日。
しきりににやにやしていた。
鞄の中を覗き込んで。
でろんと伸びた顔を。
何かを思い出してむふむふと笑う。
「…………まさか、これが原因かよ」
手の中の小さな人形を眺めながらバトーは途方に暮れる。
そういえばこの男は、自分が所帯持ちであることを口にするとからかわれるから嫌だな、と言っていたことがあった。トグサ以外のメンバーは皆独身だからである。
バトーもよくこれだから結婚してる奴はなあとからかったことがあった。
そうするとムッとした顔で、「別にいいじゃねえかよ」と言い返してきたことも。
ああだからか。
だからこいつ、少佐に聞かれた時教えなかったのだ。
親バカだと笑われることを知っていたから。
でもだからって。
「……ほんと、親バカ」
そして俺たちはただのバカ。
すべてを理解したバトーはよっこらせ、と気絶したトグサを担ぎ、床に散乱していた鞄の中身をかき集めてダイブルームを後にした。
「どうだった首尾は?」
わくわくしたように素子が訊ねてきた。
少なからず興味を示している他のメンバーもいる。
9課全員んがこの部屋の前に集合したのである。
バトーはため息をつきながら、手の中の人形を彼等の目の前に差し出した。
期待に胸を膨らませていたメンバーからは無言。
素子がこちらを見た。
「………何これ」
「お前の探しもんだよ。トグサの娘がパパのために作った人形だぞ」
人形?
娘がパパに送った手作り人形?
バトーの肩に担がれて気絶しているトグサと、素子に手渡された人形。
それを交互に見つめながら、誰もが無言だった。
というより無言にならざるを得なかった。
街中であれだけ派手にドンパチやらかしたのに。
あっちへこっちへ走り回ったのに。
結果がこれ?
俺たちこんなもののために今日一日中頑張ったのかよ。
そして視線は自然と、今回の首謀者である素子へと注がれる。
素子は皆を睨み返した。
「何か言いたいならはっきりと言えばどう?」
言えないから目で見てるんじゃないか、と彼女以外の皆がそう思った。
「言っとくけど、賛同したお前たちも同罪だからな」
逆らったら逆らったでどんな報復するか解ったものじゃない人間が言う言葉ではない。
選択権を最初から与える気などなかったくせに。
流石素晴らしきジャイアニズム!
……でもやはり口にはしない。命は惜しい。
と、その時、






『くぅおらあ!!貴様らぁあっ!!』






皆の電脳にものすごい怒号が響き渡った。
それは課長、荒巻の声だった。
『今すぐ儂のところへ来いっ!!さもなくば減俸!!』
ぶちん。
まるで受話器を叩き付けるがごとく、荒々しいノイズと共にそれは切れた。
相当怒ってる。
いや考えれば当たり前なんだけど。
皆は一様に目を泳がせる。
素子以外のメンバーは全員「俺たち悪くない」と思ってる。
素子は「私のせいじゃない、みんなトグサが悪いのよ」
そしてトグサは真っ暗な思考の海の中。
責任転嫁のなすり付けあい。
だが彼等は逃げることを赦されない。
逃げたら給料がしょっぴかれる。
ただでさえ働いてる分に反比例しているほどのはした金なのに。
「……いくわよ」
『りょーかい』
もはや漢字で喋ることすら億劫な9課の面々は、重い足を引きずるようにして今頃真っ赤な顔をした赤鬼ジジイが待つ課長室へと向かったのだった。






 つづく