. | 2001.02.28 何が問題なのか? その2。「正直者が馬鹿を見る国民健康保険」(宝島新書)を読む。国民健保の財政難は、単に老人保健の負担ばかりではない、ということが分かる。というより、いかにも老人医療費が増えたことにすべての責任があるかのごとく喧伝される、そのことが、制度や仕組みの不備から目をそらせるものでしかない。特別職の徴収員として、著者は、多くの未納者と接してきた。もちろん、多くの人はきちんと払ってくれるし、未納者といえども無理もない事情をかかえている人もいる。しかし、未納者の中には、とんでもない不届きもの、要するに確信犯がおり、集金に行くと居留守を使うなんてのはまだ可愛いほうらしい。ともあれ、著者は、そうした未納者の手口とも言えないようなセコイ手口の例を挙げつつも、問題の本質は、もっと他のところにあると言う。役人の裁量行政と怠慢だ。本来なら払うことができない事情を証明するような書面を提出しなければならないのに、口頭で「失業中」とか「収入がない」とか言えば分納・減額を認めてしまうのである。その他にもいろいろあるが、それはともかく、それではどうすればいいのか。著者は、「税方式」にするしかないという。消費税が仮に14%になったとしても、負担率は変わらないし、制度が一本化されるので、その分だけ役人の仕事は減る、と言うか、その分だけ役人そのものがいらなくなる。これこそが「行政改革だ」と著者は言う。エ〜ッ、そんなことがあるのか、とか、まさか、などと驚くやら呆れるやらだが、その提言については、経験に裏打ちされているだけに、そうだよなあ、と納得がいく。ところで、週刊文春の連載エッセイ、中村うさぎ「ショッピングの女王」って、そう考えるととんでもない話だよ。税金・年金・健康保険の未納を面白おかしく書いているわけだから。まあ、あれはあれで面白いからいいけどね。しかし、たとえば、年金は、破綻するのがわかっている、あるいは、おそらく破綻するであろうのに、どうして払わないといけないのか? って問いかけだって説得力がある。そして、もう一方では、あれはあくまで「世代間扶養」なんだから見返りを期待するほうがおかしいよ、シブシブながらも払わにゃならんな、っていうのもあって、これがまあ、無難な立場だろう。 2001.02.27 何が問題なのか? その1。4月から、食品リサイクル法が施行される。これは、年間(?)およそ1950万トンにもなる生ゴミの半分、950万トンを出す事業者に適用されるもので、その事業者が出す生ゴミのうち20%だか30%だかをリサイクルしなければならなくなる。某コンビニ(サンクス)では、これまで生ゴミを堆肥にし、農家に肥料として使ってもらうようにしていたが、その際、生ゴミの処理業者は1kgあたり28円で処理していた。これは、法律で定められた金額で、食品リサイクル法施行後は、処理業者は自由に価格を設定できるようになるという。ある処理業者は、地代や電気代がかさむので、1kg当たり40円にしたいらしい。当然のことながら、コンビニ側としてはそんなにコストをかけるわけにはいかない。そこで、コンビニとか飲食店とか複数の事業者が共同で処理施設を作り、いわばスケールメリットで処理費用を低減させようと目論んだ。どこでも悩みは同じなので、さっそく実現に向けて動いたが、あれこれと問題があることがわかった。まず、土地である。江東区の埋め立て地に、処理施設を建設するには十分な更地を発見した。ところが、東京都内には条例だか区画法だかでそうした施設は建てられない。そこで川崎市鶴見区の臨海地区を当たっているという。しかし、ことはそう単純ではない。大規模処理施設で大量に堆肥から肥料を作っても、農家の絶対数からしてそんなに捌けないのだという。農家としても、何から作られているか分からない肥料を使うのに抵抗があるし、そもそも、作物はその作物に適切な肥料を適切な時期に与えなければうまく生育しないのだ。これは、ある肥料メーカー(協和醗酵系?)が実験したところ、堆肥に含まれる油分の問題なのだという。揚げものとか炒めものとか、油を多く使うものからできた堆肥には油分が多く残っていて、これが作物の生育を妨げるのだという。そこで、そのメーカーでは、木材チップと混ぜ合わせ、空気を含ませることでじっくりと醗酵させ、油分を抜くように試みているが、これには半年かかるという。ただし、商品化できれば商品化する方針ではあるようだ。京都大学の先生によれば、こうした大掛かりな処理方法よりも、ひとつの小売店(生ゴミ)→ひとつの処理施設(堆肥・肥料化)→少しの農家(作物)→その小売店(その作物の販売)というように、小規模のサイクルにしているほうが現実にはうまくいっているという。さて、堆肥化以外にも生ゴミのリサイクル方法はある。ひとつは、九州のある大学で行われている研究で、生ゴミから乳酸ポリ(?)を抽出する方法だ。乳酸ポリから作られたプラスチックは、微生物によって分解されるものなので、たとえ土中に埋めても問題がないという。しかし、この方法でも、どういう商品にするか、コストは見合うのか、そして乳酸ポリ以外の物質をどうするか、などの問題があるらしい。堆肥化以外のもうひとつの方法は、生ゴミからメタンガスを発生させ、それをエネルギーにしようとするもので、神戸のあるスーパーで行われている。生ゴミ1トンからできるメタンガスは、一般家庭の90日分にも相当するエネルギーとなり、そのスーパーではガス代の節約になった。しかししかし、これが最善の方法かというとそうでもなく、メタンガスを発生させる施設が大型すぎて、どこの店鋪でも導入できるようなものではない。そこで、そのスーパーの担当者は、生ゴミ入れにICチップを付けて重量計で毎日きちんと生ゴミの量を計り、どこの売場からどれだけの量の生ゴミがでるかを集計・分析しはじめた。というのも、生ゴミを減らすための最も効果的な手段は、生ゴミを出さないようにすることなのである。生ゴミを減らすにあたって、どこをどう減らすのか、それにはどんな工夫が必要かを調べるために、まずはきちんと生ゴミの実態を把握することから始めよう、というわけだ。京都大学の先生も、結局は、なるべく生ゴミを出さないようにすることが、生ゴミを減量するための最短の道なのだとコメントしていた。そして最終的には、たとえば生ゴミからできた堆肥・肥料を使った野菜が、ふつうの肥料を使った野菜よりも高い価格であっても、消費者がそれを買うかどうか、つまりは「消費者の意識」、これに尽きるという。以上、今日放映された「クローズアップ現代」より。 2001.02.26 今月は久しぶりにインターネット接続時間が規定をオーバーした。まあ、そのうち半分くらいはロクデモないサイトだが、仕事直結型も増えている。今も、次の仕事の糧にするべく企業の環境報告書をピックアップしてダウンロードしている。某印刷会社のPDF版は6Mもあって、ダウンロード完了までの無為の時間を利用してこれを書いているわけだ。6Mって、多すぎないだろうか? 内容を盛り沢山にしたりビジュアルを意識して写真や図表を多くしたりするのはけっこうだが、すべてダウンロードし終わるのに20分はかかってしまう。もっとも、たとえばADSLなんかにすれば、時間は圧縮されるのだろう。そうしたいのはヤマヤマでも、なかなか踏ん切りがつかない。初期費用だけでももう少しお安くならないだろうか。そうかと思うと、某ガス会社のものは1M未満で、これくらいのサイズなら苦にならない。どうでもいいが、インフォシークで「環境報告書」で検索をかけると、某電機メーカーの名前が延々とヒットする。あれって見苦しいなあ。「M電器」を含まないって条件で検索できないものだろうか。 2001.02.25 朝日新聞の朝刊に無洗米のことが載っていた。ダイエーの担当者は、今後半数は無洗米になると予測している、とコメントしていた。実際、我が家でも、栃木産コシヒカリの無洗米を食べているが、これが楽チン楽チン……ふたたび有洗米には戻れないかもしれない。ただ、近所の米屋には、その栃木産コシヒカリしかなくて、これがそれほど美味しくない。綾瀬のイトーヨーカ堂には、秋田小町の無洗米があるが、やはりこの1種類だけしかおいていない。まだウエイトは低いようだ。しかし、あの手軽さを知ってしまうと、後戻りはできないのが普通ではなかろうか。これで、通常の米と味が変わらなければなおさらである。今は冬だし、冷たい水で米をとぐ必要がないと分かれば、徐々にではあろうが、米売場に占める割り合いは高まっていくだろう。イヤ、ホント、楽ですよ。西東社から出版されている個人事業のためのハウツー本を購入。必要と思われる箇所を拾い読みしただけだが、それなりに示唆に富んではいた。それと、こういうふうにまとめるといいんだなっていうような、執筆あるいは編集のノウハウも見てとれる。実際、松沢サンという著者もビジネス系のフリーの編集者らしい。私にとってもモデルケースのひとつであろう。ともあれ、今のO社の仕事をできるだけ精一杯こなして、反応を窺いつつ展望を開いていくしかない。そのためには……やらなきゃならないことはたくさんあるが、とりあえず、レーザープリンターでも買うか。昆布と干ししいたけで出汁をとり、ワカメとエノキダケを具に、ニンニクパウダーとトンガラシとコショーと醤油で味付けたスープを作った。1週間ぶりのスープ作り。アルコールを断ってから4週間。上出来上出来……。 2001.02.24 連れ合いが突然コートを羽織って玄関からダダダッと駆け出していった。何かと思えば焼きイモである。焼きイモなんて久しぶりだなあ、もっとホクホクして甘いもんだと思っていたら、甘さ控えめ身はシットリ、であった。これが遅めの夕食。焼きイモ屋って、儲かるのかなあ。儲かるとしても、季節ものだし、イモと同様、そんなに甘くはなかろう。いろんなシノギがあるもんだ、と、ふと思い出したのは、ちょっと前に雑誌で読んだことで、落合信彦のオヤジは浅草の香具師だかテキ屋だったらしい。フ〜ム、そうか、あれを「ノンフィクション」と考えるから食わず嫌いになったのであって、そのことを知っていてなおかつ心に余裕があれば、もっと若いころに読んでいたかもしれないのに、今となってはもう遅い、だってあれって季節もの、というか、10代のころに読むものでしょ? そうそう、雑誌といえば、週刊文春の先崎学のエッセイで、「初王手目の薬」という言葉があって、これは「江戸時代からある地口のようなもので、当事の目薬は気持良いだけで効果が無かった。だから最初の王手もこんなもんだ」ということを意味するらしい。これはちょっとおもしろかった。それと、故大山康晴は色紙のよく「王将」と書いたのだが、それをひねって先崎は「飛角金銀桂香歩」と書いたりするという。これはまあ、おもしろくもないが、しかし、昔の大先生が「王将」と書いて、それじゃあオレはどうするかってときに、同じように「王将」なんて書くのは憚られる、という点は同感である。気恥ずかしいだろうしね。それでも堂々と「王将」と書ける人は、政治家にでも教祖にでもなればよいし、そこまでいかなくとも、市井にもいるあの無恥な輩と張り合ってくれてかまわない。でもどうか、他の関係ない人にまでチョッカイを出さないでほしい(意味不明)。O社に提出するパンフの素案をひとまず仕上げた。満足できるものではないが、どうせ修正がくるだろうし、サッサと宅急便で出してしまった。明日は(も)ノンビリしよう。 2001.02.23 朝11時にプレゼン資料を持っていく。担当者のIさんはとりあえず誉めてくれたけど、やはりO社長はビシッと切り込んできて、肝心なところが表現されていないことを指摘された。もう少し作り込むということで事務所を出る。 そこから飯田橋ハローワークで情報収集。昼どきだというのに、やはりかなりの混み具合だ。それにしても暑い。地下鉄大江戸線で上野御徒町へ。連れ合いと待ち合わせて「かっぱ寿司」に行く。昼どきはとうに過ぎてるってのに行列だった。でも、そこそこ客の回転は速く、それほど待たされずにカウンター席へ。いろいろ頼んだ中で、石垣貝ってのが、磯くさく、貝くさくって美味しかった。二人であれこれ腹八分目まで食べて、〆て3,040円は安い。ここはおススメ。二木の菓子の裏手です。 2001.02.22 疲れたなあ。久しぶりに神経をコキ使った。夜6時半から面接。朝起きたのが5時ごろだから、それが肉体的な辛さの要因だけど、神経は神経でまた別のものだしなあ。ひょっとすると英文和訳の筆記試験なんてやらされるんじゃないかと一抹の不安もあった。でも、さすがにそんなことはなく、何だかとらえどころのない大雑把な話から始まって、結局はまあ、そこに落ち着くって感じで、要はプレゼン資料の整備とコピーライティング。とりあえず、プレゼン資料をフリーハンドで作ってみてくれということで、持ち帰りの課題となった。結局はこれが試験のようなものか……。そんなに肩ひじはらずに、こんなもんかなってところまで仕上げて、それでも何だかんだで午前1時、眠いけど寝つけない、無性に酒を飲みたい、そんな夜になった。 2001.02.21 ついフラフラとミステリー/ハードボイルドものに逃避してしまうことがある。逃避ってのも大袈裟だが、どうしてあの手のエンターテインメントものを読むときは、やや後ろめたいところがあるのだろうか。冒頭、最高に上手いカクテルをつくるバーのオヤジと主人公との「気のきいた」会話、とても普通じゃ交わすこともなさそうな「洒落た」会話、「おいおい赤面もしないでよくそんなことしゃべれるな」という会話のオンパレードで、後ろめたさに拍車がかかる。ところが、徐々にその嘘臭さに無神経になっていき、いつのまにやら一気呵成に読了していた、そんな逢坂剛「あでやかな落日」(講談社文庫)であった。ギターの話とか広告業界の話とか、物語の合間に挟まれるウンチクがおもしろかったとはいえ、1週間もすれば読んだことすら忘れてしまうであろう。 ところで、主人公に感情移入しなくてもすむようなものってないのか? 主人公の輪郭は、意図せぬままに複数の女性から好意を寄せられたり、これまた純粋に悪になりきれないヤクザ者と立ち回りを演じつつ感情を交錯させたり、典型的な小心者の登場人物を揶揄したり、その他、昔(学生時代)からの友人とかどうしようもないチンピラとか情報源としてあるいは物語を進行させる触媒のひとつとして重宝な警察官とか、ともかくそうした脇役たちと相応な関係を結ぶなかで浮きぼりにされていく。どいつもこいつも、ちょっとはワルで、しかし通すべき筋は通し抜く、というわけだ。「感情移入のための諸原則」ってのがあるようである。ここで思い出すのは渡辺容子の「無制限」だったか「左手に〜」だったかで、あの女主人公はやることなすことが自分勝手というか自己中心、とても感情移入しながら読めるものではなかったが、逆にそれが新鮮でもあった。ただし、この場合も「主人公とその他の登場人物と読者の間に心理的な交流が成立する」というセオリーと無縁ではなく、女主人公はラストになって真っ当な神経を取り戻すみたいなところがある。まあ、このセオリーは娯楽ものには不可欠で、これさえしっかりさせれば、あとは舞台設定や登場人物の性格や「謎解き」をいかにして書き込むか、に著者の力量が問われるわけだ。 その昔、建設省の外郭団体にお仕事を頂戴し、顔合わせと打ち合わせのために大塚の事務所に行った。そこでお会いしたのが、建設省を退官した(技官だったと思われる)A氏である。A氏は、何というか、典型的な「お役人」みたいなところがあった。とにかく高飛車、高慢チキなのである。名刺を交換してソファに腰を落とすやいなや、「あなたはどちらの大学ですか? 文系ですか理系ですか?」などと問うてきた。こうして文字にするとどうってことはないように感じるが、その場では、とにかくイヤミに感じられた。こちらが文系だと申し上げると、「それで仕事ができるのか?」ってのが表情にありありと浮かび、こちらのヒガミもあったにせよ、堂々と見下してくる。さすがに事務局になってくれる担当者は、その場をキチンととりなしてくれたのだが、A氏のそんな態度は辞去するまで続いたのであった。ただ、私も怒るどころか、かえって毒気を抜かれてしまい、「ああいう人って、ホントにいるんだなあ」と妙に感心してしまった。ああいう人が、最初から最後までその性格を変えることなく主人公であるような、そんな娯楽小説って、ありうるのかなあ? 2001.02.20 「ヒマだなあ」というような明け方、不要不急なことに妙に集中して取り組んでしまうことがある。昨日の夜11時くらいに眼が覚めて、しばらくは頭が重かったのだが、インスタントコーヒーをガブ飲みしているうちにシャンとしてきて、さりとて肝心なことをやるのは億劫で、そうそう、あれはどうだったかなあ、なんて気になると気になりだし、そしてひとたびやりはじめると止まらない、そんな夜明けであった。何かというと、確定申告の用紙に記入する、ただそれだけのことなのだが……以前にもやったことがあるので大したことはないだろうと取り掛かってみるとやはり面倒だ。ここの数字はどうするの? 控除額の一覧表は? などなど、いちいち用紙をめくったりしなければならず、ササッとできるものではない。やや気分が萎えかけたが、そこはそれ、無事にやり遂げたのであった……といっても、そんなに記入すべき欄がなかったためである。失業者で無収入とくれば、記入後の用紙はスカスカ、あの用紙の3分の1のスペースだっていらないだろう。反対に、連れ合いはあれこれ悩んでいる。あちこちから怪し気(?)な領収書を引っぱり出してきて、「おかしいなあ、こんなはずじゃないんだけどなあ」などとブツクサ言っている。「(ライターの)Mサンは全額戻ってくるって言ってたけど、なんか奥の手があるのかなあ」「青色申告って、どうやるのかなあ」などと、今さらどうしようもないことをつぶやいているうちにそのまま炬燵でフテ寝。こちらは殊勝にも洗濯を済ませてから、おもむろに郵便局へ行った。今日、2002年W杯Korea/Japanの申込用紙が再配付されたからである。連れ合いの分と合わせて2部もらってきて、さっそく記入を開始。う〜む、集中力はとぎれてないぞ。決勝戦のカテゴリー1のチケット料金が8万円以上ってのを見ていると、グループリーグのカテゴリー1が1万7000円ってのが安く良心的な値段に思えるから不思議である。基本的に遠出はイヤなので、茨城と埼玉に集中させて記入。大阪もひとつ。すべて当たったとしたら絶望的な出費になるが、そこはそれ、わが国の「我も我も」という美しくも素晴らしい国民性には全幅の信頼をおけるから、最悪の事態にはならないだろう……というか、すべて外れたらそれが最悪の事態なのだが……。 石田卓夫「猫のエイズ」(集英社新書)を読み始める。いかにも昔気質の学者が書いたものという感じであまり面白そうではないが、かつてエイズが盛んに取り沙汰されたころ、ウィルスが極めてメタフォリックな存在であることに興味を覚えたことを思い出させてくれた。誰かの本で読んだ、「自己が自己でなくなってしまう」などという要約がウロ覚えのまま頭に残っている。ウイルスそれ自体は単なる分子にすぎないが、他の分子と作用しあってとんでもないことをひき起こす。情報のかたまりが、他の機関に侵入して、その機関の正常な機能を狂わせてしまう。まあ、その他にも、著者が書くようにアウトソーシングとか究極の合理化とか、あれこれ喩えることができるだろう。ともかく、ヒトに作用するウィルスの研究はネコのウィルスの研究と密接に関連していた、なんてところは「フムフム、そうだったのか」と感じた。それはそうと、この人、猫好きって面もあるのだろうけど、猫を実験動物としても使っていたわけだ……リンパ腫の組織を他の猫に接腫したら百発百中、とかいう(他の研究者の)エピソードを嬉しそうに書いてるし……研究者だから当然か……いささかカッタルイ本だが、やはり読み進めてみよう。 2001.02.19 今夜は暖かいなあ。朝4時だというのに暖房要らず。春だなあ。昨日の今季初G1、連れ合いが浅草WINSに行くというから、よせばいいのになけなしの軍資金を託して、みごとにかすっただけ……あてずっぽで8枠はきたけど……といっても2,000円ポッキリだから、せせこましい話だ。 大谷昭宏「日本警察の正体」を読んでいる。とりたてて読みごたえのある本ではないが、警察の不祥事や捜査ミス、マスコミや社会のあり方などについて、簡潔にまとめられている。こういう本を読むと、たとえば大沢在昌「眠たいやつら」とか鳴海章「ブラックナントカ」とかが分かりやすくなる。一橋文哉のオウムものやグリコものとかも。大谷サンが和歌山砒素カレー事件にふれているところがナルホドと思わせた。林真寿美被告は、供述調書どころか否認調書もとらせないような強者で、自白なんてとても期待できない。そこで、林被告以外に犯人はありえないということを示すべく、状況証拠を積み重ねていき、起訴にもちこんだのである。これとまったく逆の、自白偏重の捜査が東電OL事件で、あれなんて、ネパール人の被告が実際に犯人であろうがなかろうが、裁判上は無罪になるしかないのでは? ところで、大谷サンによれば、逮捕を5回も繰り返して「オチ」なかったのは、某大物暴力団幹部と林被告しかいない、とのことだったが、この本が出版されたあとに、ルーシー・ブラックマンさんの行方不明事件がおきて、逮捕された織原容疑者も、5回も逮捕されていたっけ。この事件は、織原容疑者が「オチ」る前に、ルーシーさんとされる遺体が発見された。警察としては、「織原容疑者が白状して、その供述に基づいて掘ったところ、供述どおり遺体を発見した」というシナリオに持っていくのがベストだったんだろうけど、これから状況証拠を積み重ねることによって起訴に持っていけるのだろうか? ところで、林被告にしてもO容疑者にしても、彼らが真犯人だとすると、いずれも「平気でウソをつく人たち」になるわけだ。誰がどう見てもバレバレなのに、イケシャアシャアとウソをつく。「秘書が預かっただけで返した」という額賀サンにしても、「名義を借りただけで税法上も問題ない」という森サンにしても、同罪であろう。かといって、なんでもかんでも素直に白状するというのも考えものだ。我が身可愛さや利害への執着で少しでも有利に、というのは誰しもが持っている性だ。要は、犯罪とか、政治腐敗とか、そういう場合については、そのウソをくつがえせるだけの状況証拠を示せばいいだけのことである。犯罪者はウソをつく。政治家もウソをつく。一般人だってやっぱりウソをつく。それを大前提として、「ちょっとそれはないんじゃないの?」というときに、キッチリとそのウソを暴くだけの能力と、そして、これがより重要だろうが、「ちょっとそれはないんじゃないの?」と判断する場合の判断基準とを、警察も議員も国民もシッカリと持つことが大事なのだ、と、そんなコトを思った(歯が浮くなあ)。 2001.02.18 このところ「水」問題に関するサイトをあれこれ巡っている。今日の新発見は、中東問題が、単に民族・宗教の対立のみならず、水を確保するための陣取り合戦でもある、ということだった。地中海沿岸地域は降水量が少ない。ところが、内陸のべカー平原とかゴラン高原は水が豊富にあり、イスラエルがそうした地域に攻め入ったり占領したりするのは、その豊富な水資源を確保するためでもあるという。そこにはまた、入植=農業開発=経済発展という意図もあろう。ここでも、「水」問題はすなわち「食料」問題であり、「農業」問題でもあるという図式が成り立つわけだ。国連が数年前に「21世紀は水が紛争のタネになるだろう」というレポートを発表したそうだが、もともと20世紀の最大の紛争のひとつである中東問題にも、「水」が深く関わっていたのである。というか、いわゆる四大文明が大河の河口地域に繁栄したことをみても、文明の栄枯盛衰と人々の生活&移動&戦争は、古来から「水」を抜きには語れないのだろう。 ところで、以前、TVで視たのだが、中東だか西アジアだかの国では、水を土器に入れておく。すると、水は少しずつ土器に浸透し、蒸発していく。その気化熱の影響で、土器の中の水の温度が下がり、冷たくなる。冷たくて飲みやすい水になるわけだ。古来からの「知恵」というものであろう。しかし、その水の確保が危うくなるようでは、美味しいとか不味いとか言ってはいられない。 さてさて、いよいよ森サンがドンヅマリになってきた。同情の余地は砂粒ほどもないが、さっそく橋龍サンが北方領土を視察に行き、「四島一括返還しかない」と語ったシーンをNHKが7時のニュースでやっていた。国営メディアと結託した露骨な自己PRじゃないでしょうね? 橋龍サンなんて、あの、人を小馬鹿にしたような話し方、軽くため息を吐きながらの話し方が、どうにも生理的に受け付けない。じゃあ誰がいいのか? となると、誰かいるのだろうか? 誰になるのだろうか? 予測がつかないなあ。ここは思い切って、女性を総理にしてしまってはどうか。もちろん、扇千景サンではないし、田中真紀子サンでもなく、聖子サンである。聖子サンといっても「パンチパーマ」橋本聖子サンではなく、「(今のところ)添え物(のように見える)」野田聖子サンである。政治的力量だの見識だのはまるっきり知らないが、とりあえず郵政大臣を務めたこともあるし、二世議員だし(?)、見栄えも悪くはない。見栄えだって「資質」の大きなポイントである。ちょっと迫力はないが、ああいう女性がキリッと見得を切れば、それはそれでサマになるのではないだろうか? ちょうどフィリピンのアヨロだったかアロヨだったか、ともかく、あの女性大統領のように。ダークホースどころか、まだまだメインレースの枠にも入ってない段階かもしれないが、どうせ自民党から首相を出すのなら、野田聖子サンを第一に推しマス。関係ないが、小池真理子サンよりは、野田聖子サンのほうが、生理的に受け付けられやすいのではないか? 2001.02.17 平日の午後4時、いい歳をした夫婦者が、「水戸黄門」の再放送を視ていてよいのだろうか? とは思うが(実際、事態は深刻になりつつあるが)、ついつい視てしまうことがあって、そうするとつくづく、東野英二郎じゃないとサマにならないよなあ、佐野アサオまでならどうにか許容範囲ではあるが、西村コンなんてどう考えても悪代官のほうが適役だし、石坂コウジにいたっては、豪快さとか貫禄とか重々しさとか、とにかく悪人どもを平伏させる威厳も、スケさんカクさん弥七に八五郎&ミス水戸黄門といった供の者を率いるリーダーシップのかけらもなさそうである。そこへいくと我らが東野英二郎の黄門サマ、仔細な吟味もないままに「そのほうの悪事は明白」として断罪してしまう、その潔さというか、突拍子の無さは、東野英二郎であるがゆえにナットクできるわけで、こんなのを石坂コウジがやったら、ウソ寒いだけである。 そう考えると、「三角大福中」の時代は、仮にそろってあくどいヤツらだったとしても、それなりに一国の首相たる面がまえだけはあったような気がする。もちろん、時代背景も違うし、こちとらも徒に馬齢をかさねてしまったのでそう感じるということもあろうが、それにしても、である。世の中がデフレっぽくなっていった一方で、首相たちは言ってみればハイパーインフレだったんじゃないか? 鈴木宇野細川村山とかいった面々は、箸にも棒にも引っ掛からなさそうだし。ところで、竹下海部小渕森といったら、いずれも早大出身者である。もちろん、東大宮沢慶大橋本といった例もあり、早大だけがトンデモ首相の産地ではないし、そもそも学歴なんぞ関係ないというギロンもあろうが、しかし、10年だかそこいらの間にこれだけの「人物」を首相に送り出すのだから、大した「私学の雄」であろう。竹下サンは政治腐敗の象徴 or 元兇だし、海部サンは神輿に担がれた飾り物だし、小渕サンは、急死したせいもあってか何やらその人物を評価する向きもあるようだけど、ノホホンとしたようでいて大きな借金を抱えさせ、しかもそれをみずから茶化しつつテンとして恥じなかったわけで、どう考えても世界に誇れるような器ではあるまい。森サンにいたっては、せいぜい、「今後少なくとも20年間は早大出身者を首相にはしないという法案を作るべきだと思わせるに足るヤカラ」としか言えない。森サン追い落としのために、ここへきてゴルフ会員権の無償授受が問題とされているが、早大出身とか日本の首相とかいうものの権威をとことん失墜させるべく、できるだけ長くその地位に留まってほしいものである。 断酒してから19日が経過した。ところで、羽田サンって人もいたけど、今はどこでどうしているのやら? 2001.02.16 週刊ダイヤモンドをボンヤリとめくりなおしていたら、表3に日本郵船の広告があって、例の、大きな袋に飲料水を満たしてタグボートで曳航するヤツが載っているではありませんか。どうやら新規事業らしい。早速、日本郵船のホームページを見に行ったのだが、どこにもない。どこかにあるのかもしれないが、どうも見にくいHPで、内容も充実していなかった。仕方がないので、インフォシークで「日本郵船|タグボート」でキーワード検索してみたら、ありました。どうやら、ノルウエーの会社を子会社化して、そこで事業を行っているようだ。本家のHPで探せないのに、個人のHPで見つかるなんて、これはこれで情けない。 さて、その事業は、個人のHPでは、飲料水が不足する国や地域への「福音」というような意味を込められているようだ。実際、そういう性格がメインの事業ではあろう。しかし、NHKの番組では、政治に活用されているという側面が際立っていた。単純に「人助け」だけで成り立つものでもなさそうである。日本郵船あるいはノルウエーの会社としてみれば、事業そのものはあくまでニュートラルだと主張するだろう。それはそうなのだろうが……。ドサクサまぎれに日本郵船のIR資料のPDFファイルをダウンロードした。ところが、これが英語なのであった。それはそうなのだろうが……。 「ASAHIパソコン」がブロードバンド(?)の特集をやっていたので購入。ADSLにしてみようと考えているのだが、もうしばらく様子を見よう。その前に、稼がにゃならんわけだし。 2001.02.15 アルコールを断って2週間以上になるが、とりたてて体調が良くなったということはない。ただし、ウンコの質というか、硬さは増した。私の場合、酒はいくら飲んでもそれほど酔わない体質(これはこれで悲しいが)で、しかもゲロっと戻すことも滅多にない。かと言って酒が強いわけでは決してない。ほころびは腸に来る。要するに、酒を飲むと、たいてい下痢もしくは軟便になるのだ。しかも、一度の排便ではすまない。2〜3回は便器に腰掛けるハメになる。アルコールを断ってから、この下痢もしくは軟便体質とはしばらく縁を切っている。 ところが、これはこれで新たな問題が生じる。 これまで下痢もしくは軟便でしかも1日に2〜3回のトイレ通いという毎日を10年以上も続けていたためであろう、いつのまにやら「痔主」になってしまっていた。自己診断では痔核、いわゆる「イボ痔」である。痔そのものには痛みはないが、肛門にはなんともいえない違和感がまとわりつき、そのプックリを放置したまま出歩いたりすると、尻肉に擦れてヒリヒリと痛くなってくる。イボが破裂して真っ赤な血が溢れ出したことも2回ある。ところで、キタナイ話だが、下痢もしくは軟便体質であれば、排便後、肛門の汚れを完璧に拭くことはできない。どうしても、多少の汚れは残ってしまう。これがイボ痔には一定の効果がある。つまり、残った汚れが潤滑油となり、イボ痔はニュルンと引っ込んでくれるのだ。 さて、下痢もしくは軟便体質から硬便体質に切り替わったことで、毎日ではないが、非常に「切れ」のよいウンコとなることがある。「初めジワジワ、あとはスルッ」と出てくるような、肛門に汚れがつかない、あのウンコである。トイレットペーパーで拭かなくてもすむのはありがたい。しかし、汚れはなくともイボ痔は御出座おわす。御出座おわしたイボ痔殿は、潤滑油がないので、なかなか退出(退入か?)してくれない。いつまでも痼り、違和感が続く。こうなると、ボラギノールとかジナンコーハイとかを出動させて、強制排除(あの引っ込める作業は、どう表現するのかなあ?)となる次第。 これを記している今、違和感は残ったままである。そろそろ引っ込めないと……。 * * というわけで、風呂場でシャワーを浴びながらイボ痔殿には退散してもらった。この頃は手馴れたものだ。 週刊ダイヤモンドの建設特集をザッと読む。ヘビとナメクジとカエルの3すくみではないが、ゼネコンは今、どこが潰れるかをジッと窺っている状態だという。公共工事にせよ、民間工事にせよ、需要のパイが減っており、減少傾向は今後も続くだろうから、どこかが舞台から去っていくしかない。そうして供給側が適正な数になるまでは、ひたすら忍の一字である。 前の会社で、建設省の役人だか何だかを囲む会合に出たことがある。当事、朝日新聞が北海道(埼玉県だったかな?)の談合を糾弾するキャンペーンを展開しているときで、その役人だか何だかの人は、朝日の記事を「一方的」「偏見に満ちている」というように評していたっけ。業界には業界の知恵と工夫があって、それには行政だってそれなりに尊重せにゃならん側面もあり、要するに、悪い面だけじゃなく良い面もあるのだから、ひたすら「談合=悪」と決めつけるのはいかがなものか、ということだ。公共工事は税の負担者への行政サービスの一環であるという視点が、もののみごとに欠落していたわけだ。まあ、そういう人を囲い込んで商売しようという会社にいたのだから、あまり大きなことは言えないが……。経営事項審査をより厳格にしたり、入札制度の透明性・公平性を高めたり、そういうシステム改善を行いつつも、ゼネコンがどこかしらに抜け道・裏道を発見し、既得権益を少しでも保持できるような余地を残しておく、そういうところに役人の知恵が働くのではないかと勘ぐるのは、あまりにも役人不信すぎるだろうか。いずれにせよ、政官業の癒着体質を変えるには、「制度改善」と「抜け道探し」のイタチごっこであっても、それを地道に続けていくことしかないのかもしれない。 2001.02.14 このところ炬燵で眠くなったら眠るというようなグータラな毎日である。そのせいか、昨日、Nステが始まるころに起きたら軽く頭痛がした。バファリンとコーヒーのガブ飲みで治す。 昨日は、初めて都営地下鉄大江戸線に乗ってみた。といっても、飯田橋から上野御徒町までの3駅なので、便利なのかどうかは実感できなかった。でも、京成で上野まで行って、アメ横をブラブラと冷やかしつつ、上野御徒町から飯田橋のハローワークに行くというコースはいいかもしれない。 で、ハローワークで情報収集。去年、失業したばかりのときは、ビルが移転したばかりであったが、今回はナント、求人票がすべてパソコンで閲覧するようになっていた。一瞬「あれ?」と思ったが、受付の人が即座に対応してくれて61番の端末へ。混雑具合はそれほどでもないか。となりの若い男はグーグー眠っていた。2月という季節柄、求人数は多いのではないかと予想するも、「これは!」というものはそんなにない。そもそも絶対数が多くないので、当方の条件(職種ではなく、年齢)に該当するものもチラホラあるだけであった。いくつかプリントアウトする。プリンターが音をたてると、その度にとなりのアンちゃんがムクッと起きる。悪いね、快適な眠りをさまたげて、とは思うものの、フロアは当然、真剣な空気が充満しており、こっちだって気兼ねなんぞしてられん。 ところで、「水」。いろんな問題があるのだなあ。日本には伝統的(慣習的)な水利権というものがあるが、中国にしてもトルコにしても、そんな生易しいものではなさそうだ。黄河の断流やトルコのダムは、国策あるいは国策の結果であって、当事者同士が話し合いで利害調整をするといったレベルではないだろうし。とあるサイトで、「水」問題は、「green water(農業用水)」「metal water(工業用水)」「crystal water(飲用水)」「light water(発電用水)」に分けて考えるべきということが記されていた。なるほどなあ。そもそも、21世紀の人類(地球)のfirst issueが人口問題だとするならば、それはすなわち食料問題であり、したがって「水」の問題でもあるのだ。「農業」を優先するか、「環境」を優先するかでも、大きく意見は分かれてしまう。 まあ、難しいことはさておくとして、次のようなことを知れば「水」問題をもっとも簡単に理解することができる。 ・ビール大瓶1本作るのに必要な大麦は90g ・大麦90g作るのに必要な水は、約1000倍として90kg ・ビール大瓶1本そのものが667mlで、約0.6kgの水を使う ・それに加えて瓶の洗浄水等で製造工程でもそれなりに水が必要である ・したがって、ビール1本あたりcrystal waterが1kg、 green water+metal waterが100kg程度必要となる これを、おとな一人あたり1日1本のビールを飲むとして、とか、日本人の年間のビール消費量は◯◯だから、とか、あれこれ敷衍していけば、いかに大量の水が食料生産に必要なのかが理解できるというものだ。まあ、実感は湧かないにしても……。 2001.02.13 昨日のNHKは、朝から晩まで「大自然と動物」のオンパレードだった。その半分ほどは、去年やってた「アジアもの」の再放送。でも、サクラマスの一生とか、ふたたび見入ってしまった。ヤマメもエゾアカガエルも切ないなあ。夜7時半からの「アメリカ大陸もの」も、オポッサムやナントカ海峡など、やっぱり去年の焼き直しだったが、ガラパゴスのゾウガメとかバイソンとか、これまた見入ってしまった。特に、シャチが獲物を捕らえようとして波打ち際に突っ込むシーンは圧巻。下手すると自分も浜辺に打ち上げられて干上がってしまう危険もあるだろうに。食われる方も食う方も、どっちも命がけ。 夜9時からの水の問題。これは考えさせられる。中国やトルコでは、黄河やユーフラテス川の上流で農業用水を多量に使用するため、下流域では水がなくなってしまう。つまり、上流域の農業が発展する一方で、下流域では水不足が農業に深刻な打撃を与えるわけだ。黄河なんて、土砂の堆積も影響してか、河口まで水が届かない現象も起こるらしい。 特に興味深かったのは、トルコのお偉いサンが「20世紀に石油がそうであったように、水は21世紀の戦略物資だ」と語っていたこと。ユーフラテス川下流のシリアが水不足を抗議しているのにも関わらず、農業用水のためのダムを建設してしまった。これからもダム計画は目白押しという。そればかりか、ギリシャ系住民とトルコ系住民が深刻な対立をしているキプロス島に、何と水を輸出しているのだ。もちろん、トルコ系住民の方(キプロス北部)に肩入れしているのであろう。そして、他の地中海の国々にも、水を輸出するプランが進行中であるらしい。 これに対して、コメンテーターの毛利衛サンは、「水は、人類にとって必要不可欠なものであり、石油とは違う」(したがって「戦略物資」にはなじまない)なんてコメントをしていたが、これは甘くはないだろうか。彼等は、水を戦略物資と位置づけたなら、断固としてそれで押し通してしまうだろう。それが金になるばかりでなく、戦略物資としての性格をもたせた水の供給国となることで国際的な発言力が増すのであれば……。実際、石油は、「人類の貴重な共有財産」ではなく、えげつない国際政治&国際経済の根幹に位置する物資のひとつだったわけだし、今後も膨大な人口増が見込まれるなか、水がそのような役割を担うようになっても決して不思議ではない。 ところで、黄河が河口まで届かないような現象がしばしば起こるに至った中国では、水に比較的余裕のある揚子江からパイプラインで水を引く計画もあるという。上流中流下流でそれぞれ1本ずつ、計3本のパイプラインの総延長は5千キロ、完成までに50年もかかるらしい。上流のパイプラインなんか、標高差が3千メートル(?)もある。もちろん、黄河のほうが高い場所にあるので、ポンプで汲み上げることになる。 「中国らしい遠大な計画だ」と感心するやら呆れるやら、あるいは「どうせ日本の土木会社も虎視眈々と参入のチャンスを狙ってるんだろうな。ひょっとすると計画そのものにも一枚噛んでいるかもね」と斜に構えるやら。どっちでもいいが、日本のダムでさえいろいろ問題が生じているのだから、計画が遠大であればあるだけ、問題も途方もないものになりはしまいか? 以上、昨日はそんなTV三昧の一日。アルコール抜きで……。 2001.02.12 酒を断って2週間になる。やればできるもんだ。最初の頃は、いわゆる離脱現象というのか禁断症状というのか、ともかくいても立ってもいられないようなジワジワ感に苛まれたりもしたのだが、今ではその段階も過ぎている。 ところで、簡単なjavascriptを活用してみた。ブラウザのバージョンによっては動かないかもしれない。ともあれ、HPを作るってのは根気がいる。ホントはこんなことやってる場合じゃないのだが……。 |