歌会Vol.1劇場版
2024年12月27日(金)、仕事納めの日、会社を足早に出た僕は、最寄りの映画館へと直行した。歌会劇場版を見るためである。少し時間があったので、フードコートでチキンかつ丼を食べる。意外と待たされたため、シアターの席に着いたのは、実は開演3分前。一番後ろの席、最上段の中央に座る。ここが一番好き。
さて、曲順が思っていたのとは違っていたものの、開始3曲で涙がこぼれる。やはり、映画館の音響はいい。そして、アップのみゆきさんも、かなりいい!
みゆきさんの歌声は、相変わらずパワフルだが、緩急の付け方は流石である。ステージのライトはとても効果的な演出をするけれども、あくまでそれは演出であって、メインではない。どんな派手なセットも、みゆきさんの歌が始まると、それは背景のひとつとなり、全体を見渡したとき、まるで街中に立つ電柱のように風景に溶け込んでいる。
主役は常にみゆきさんではあるのだが、パートパートで、舞台に立つすべての奏者、コーラスにスポットライトがあたる。それは空席となったキーボードも同じだ。ひとりひとりが、どこかで見せ場を持つ。その瞬間だけは、主役交代。これを中島みゆきのコンサートでやるのだから、かなりのプレッシャーだうなぁと、毎回思う。
2時間弱のライブ映像のあと、エンドールのあとに、メイキングが流れる。みゆきさん、ノーメイク。もちろん、僕の目はハートマークである。メイクバッチリとはまた違う魅力。オフな感じ(とは言っても、リハだったり打ち合わせだったり、仕事場ではあるのだ)が、新鮮であった。ああ、こんな風にコンサートは作られていくのか、とファンに見てほしいと思っての映像なのだろう。監修にみゆきさんが入っていることは間違いない。
僕は、ステージに立つみゆきさんが大好きではあるのだが、オフ感漂うみゆきさんも、更に好きである。生きていれば、ヒトはだれしも年をとるものだ。ならばこんな風に年を重ねたいと思う。プロフェッショナルは、仕事に対してとてもストイックだが、そこには子供のような遊び心や、まさに子供が遊びに夢中になるようなビジネスライクとは異なる向き合い方がある。コンサートを作っているあの場所に自分を含むファンの居場所は当然ない(つまりみゆきさんにとって職場)のだが、見ていてとても心地いいのは、そこがクリエイティブで、集まる人々のエネルギーを強く感じるからだろう。見ているだけで、楽しい気持ちになるのだ。
映画館の入っている複合施設を出たのは21時を回っていた。寒いはずの師走の風が、なぜだか冷たいと感じない。みゆきさんの歌声を聴いた後は、いつも心だけではなく、身体も温まっている。おそらく、ドーパミンとオキシトシンが大量に分泌されているせいだろう。みゆきさんの歌声は、ホッカイロのようであり、マフラーやセーターのようであり、ベッドで聴く時はゆたんぽのような存在なのだ。僕が自分の中に、愛を感じる時間でもある。