ただし、荘子は自分を犠牲にするこれらの生き方を決して肯定しているわけではない。 小人、士人、重臣、聖人、事業も異なれば得られる名声も異なるが、人間の本性(長く生きたい)を損ない、 他のもののために自分を犠牲にするという点ではなんら違いがない。
自然体であることを最も徳のあることと考える荘子にとって、このような生き方は不自然に見えたのでは ないだろうか。