老子曰く理想的な指導者とは

最も理想的な指導者は、部下から存在することさえ意識されない。
部下から敬愛される指導者は、それよりも一段劣る。
これよりさらに一段劣るのは、部下から恐れられる指導者。
最低なのは、部下から馬鹿にされる指導者だ。
(私訳)
●「部下から指導者と意識されない指導者」は、常に部下と寝食を共にしているので、 部下の能力を十分知っており、それを最大限引き出すことができる。
よって、最も優れた指導者である。

●「部下に敬愛される指導者」は、たとえ目を光らせていなくとも、部下にやる気を起こさせ怠けさせることがないから、 やはり優れた指導者といえる。
また、順調に進んでいるときは勿論、苦境に立たされても部下たちは離反しない。
ただ1つ、「指導者と意識されない指導者」に劣る部分があるとすれば、敬愛するあまり君主の過ちに部下が 甘くなったり、間違いを指摘することに遠慮してしまうことである。

●「部下から恐れられる指導者」は、目を光らせている限り、部下を思うが侭に使うことができる。
また、勢いがあるときだけ、部下を自分の手元に留めておくことができる。
ただ2つ、「敬愛される指導者」より劣るのは、常に目を光らせていなければ、部下たちが好き勝手なことを 始めてしまうことである。また、勢いを失った途端、部下たちは我れ先にへと逃げ出すだろう。

●そして、最も劣る「部下から馬鹿にされる指導者」。これはもはや何も言うことはないだろう。たとえどんなに 目を光らせていても誰も言うことを聞かず、富は公然と採取され、権力は乱用される。勢いがあっても維持できず、なければ その身が危うい。よって、最低の指導者である。

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