日本の教育を考える〜社会科編に対する投稿 |
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![]() 本コラムの「政治が三流」は使って欲しくないキーワードです。たてまえでも我が国は主権在民です。 ということは、政治の最終決定権は国民にあることになってます。 そこで、政治が三流ということは、国民が三流ということに他なりません。
このキーワードが登場してきたとき、バカだといわれている本人達は、
拍手をする人すらいました。
こうした現実がある以上、誰が賢くならなければならないのかからの教育が必要なのでは?
さて、珊瑚さんの言われる通り日本の主権者は国民であり、「政治三流国」とはつまり国民を愚弄する言葉ではないか という意見に、私はハッとしました。同時に珊瑚さん自身が言われるように「たてまえでも」主権在民と言わねば ならない現実は、やはり一流とは言えないのではと改めて感じもしました。
私は日本の政治三流国とは「政治システムが三流である」ことだと認識しています。その結果、国民の政治に対する
関心もまた低いところに抑えられていると。
また、社会システムの違いもあるでしょう。 実は筆者、どうにか日本版教会(もちろん宗教色はありませんよ)なるものを作れないかと以前より考えていますが(これは 住民自治・地方分権に関わる)、今のところよい案が思いつきません。何かありましたらご一報を。
今回、珊瑚さんから指摘のあった「政治三流国」というキーワードについては、使う時に注意が必要だという
新たな発見がありました。 |