本日の御題:日本の教育を考える〜学力低下を促すもの |
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「日本人は数学が得意だ」「日本人は勤勉だ」「日本人は礼儀正しい」「日本人は……」 今、この「日本人は……」というキーワードが危ない。
◆暗記教育 すでに週刊誌でも面白おかしく、そして嘆きを持って取り上げられているが、近頃の大学生は分数の足し算ができな いらしい(特に文系学生)。しかも超有名校である。簡単に言うと、1/3+3/5=4/8になってしまうのだ。
「分数なんて滅多に使わないし、電卓があるからできなくてもいいじゃん」というかもしれない。しかし上記の考え方
そのものに実は問題がある。つまり彼らは、分数とは何であるかをイメージできていないのである。そして習っていた時
はそのやり方だけを機械的に覚えて、その場では100点を取っていたのだ。
◆学力低下を生み出すもの 学ぶ量が減れば詰め込みがなくなり、ゆとりを持って深く突っ込んだ教育がなされているかと言えば、答えはノーである。 単に量が減っただけで、詰め込み式の教育が健在であることは、前述した例を見れば明らかだろう。結局、学力が低下し ただけでなんら改善はされていないのである。
またその一方で「学力主義」を改めて内申書などによる「性格重視主義」への移行も試みられているが、これがまた問題を
引き起こしている。 例えば入試の合格点が「60点」であるのに対し、内申書が良いからといって「40点」しか取れない学生が入学できてしまっ たらどうだろう? 彼(彼女)は入学してから落ちこぼれはしないだろうか? 勿論、全てはその後の努力次第である。しかし 統計的観点から見れば、彼らの多くは入学後、苦戦を強いられるだろう。たとえ性格のよさで入学できたとしても、その後 数学・国語などで評価されるのは、あくまでもテストの点数だからだ。 いやいや、宿題(レポート)を提出していればテストの点数に下駄を履かせてあげるから、彼らが落第することはない、という 意見もあるだろうが、そんなものはコピー機が校内に常設されている現在では、皆コピーで済んでしまう。つまり、レポート で評価するということは、カンニングで評価するようなものなのである。
また、極端に学力レベルの異なる生徒が同じ教室で同じ授業を受けることは無理がある。教師はできるだけ再試験の手間を
省きたいから、どうしても学力の低い生徒に授業を合わせがちになるが、これではより上を目指したい生徒を犠牲にすること
になる。つまり全体的に授業のレベルそのものが下方へシフトしてしまうのだ。
◆学科と道徳は両立できる 私は入試に関しては、「学科至上主義」であるべきだと思う。なぜならば、同じ学力レベルの生徒を集めて授業を行う ことが合理的であること、そして道徳・一般教養を教えることにも特に支障がないからである。つまり道徳などは学力の差異 に関わらず教えることができるが、逆に学科は学科のレベルが同等でないと教えづらいためだ。 多くの読者は時代に逆行した考えかただと思われるだろう。しかし、学力低下が時代の流れであるのだから、私はあえて逆行 したいと思う。 |