本日の御題:学生服の役割は終わった
◆女子中・高生の象徴と化したセーラ服
 今からおよそ10年前、私がまだ浪人生活を送っていた頃だったろうか。ブルセラがこの日本に誕生したのは。
 その後、この手の制服に関連するショップは至る場所で見られるようになり、さらには十代半ばの現役中学生・ 高校生が援助交際と称して体を売るようになった。彼女たちの多くが口にすることは「女子高生」という賞味期限 の間が一番高い値段をつけてもらえるという、なんとも衝撃的な言葉だった。
 おかげで高校を卒業した後も制服を身につけ、似非(えせ)女子高生を装っている人まで現れる始末だ。

 そもそも学生服とは、同じ学校に通う者ならば貧富の差によらず同じ服装ができ、また学んでいる最中の人間と 一般の大人を区別するためのものだったはずだ。だから色は紺と地味であったし、清楚でもあった。
 同じ服を着ることで個性は埋没したが、同時に連帯感もあった。

 しかし今やどうだろう。セーラ服には否応となく「援助交際」のイメージが染み付いてはいないだろうか。
 私は思う。もはや学制服の時代は終わったのではないだろうか、と。「買春」が罰せられるようになったのは ごくごくつい最近だが、罰則を設けても女子高生の象徴が健在であるかぎり、事態は改善されないだろう。買う側の 欲と売る側の利益がうまくかみ合っているのだから。

 制服は本当に必要だろうか? 戦後に比べて貧困層は減少したため、貧富の差による問題はすでに皆無になっている。 学生としての自覚を持たせるために必要だと言う方がいるかもしれないが、そもそも制服が犯罪を誘発している事実を 完全に無視している意見だ。
 私が学生だった頃、「生活の乱れや不良化はまず服装から始まる」との理由で、教師たちは制服の必要性を説いてい たが、もはや現在は「制服が生み出す付加価値」によって「生活の乱れ」が始まっている側面があると考えられる。

「たかが学生服」と思う方が多いのは分かる。しかし、来世紀の日本を考えた時、健全な青少年を育成することは必要 不可欠である。

制服は昔からあった。変わったのは家庭環境のほうである」と反論される方もいるだろう。ごもっともな意見である。
 しかし家庭環境の改善を促すことなど容易いことではないこともまた明らかである。


中国好さんからのご意見(1999.07.26)

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