本日の御題:日本的平和主義の限界(1) |
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◆教育現場が荒れている 日本的平和主義と銘打ったタイトルとかけ離れた場所から話を始めて申し訳ないが、しばらく付き合ってほしい。 昨今、日本各地の教育現場、特に小・中学校で「学級崩壊」ということが起こっていることはご存知だと思う。簡単に まとめると、授業中に生徒が大声で叫んだり廊下を自転車で走りぬけたり、机の上に立ったたりと、好き勝手な事を生徒 たちが始め、授業が事実上成り立たないことをいう。 これが小学生の低学年ならばまだ少しは分からぬでもないが(と言っても、私が小学生の時、このようなことはなかったが)、 これが小学生高学年、ひどい場合は中学生になっても続いていると言うのだから、大人には理解し難い事である。 原因は何なのか? 二十年以上のベテラン教師でも、理由は分からないらしい。一説には環境ホルモンが影響しているので はないか、とも言われているが、確たる証拠は挙がっていない。 ただ1つ言える事は、もし私の時代にそのような事があれば、教師は何の躊躇いもなく生徒の頬を叩いたということだ。 私の小・中学校時代も、やはり落ち着きがなくいつもふざけてばかりで教師を困らせている生徒はいた。何を隠そう、 私もその1人であった。それは「大人」に対する一種の反抗であることも多かった。 その結果、私たちは教師によってよく叩かれ、反発もしたが、しかし彼らが言う「正義」とか「平等」という言葉にも耳を 傾けたものである。決して熱血教師ばかりではなかったが、1学年に1人や2人いる怖い先生とのこういった関わり合いが、その 後の精神的成長に役立った事は言うまでもない。 では、現在はどうか。廊下を持ってきてはいけない自転車で走りぬけても、口で注意する事はできても力ずくで止める事は できない。その結果、その生徒や他の生徒が怪我をする恐れがあるにも関わらずである。そう、「暴力」は「教師」にあるま じき行為と見なされているからだ。 「話せば分かる」。確かにそういう事もあるだろう。しかし、話して分からない場合はどうするのか。 「ひたすら注意し続ければその内誠意が伝わって・・・」と言うかもしれない。ではそれで収まらなかったらどうするか。 分かってもらえるまでの間、回りの生徒が被害を被り続けても、涙ながらに辛抱しても、なお言葉による説得が最良と果たして 言えるだろうか? 「人間だから話せば分かる」というのは正しいが「分かったから行動に移す」かと聞かれれば、答えはNoである。 親が過保護になり、その親たちが作るPTAも過保護になった。また過度の平和主義(非暴力)が、かえって状況を悪化させた のではないか。「言葉や正論だけではどうにもできない」という人間の本性、いや動植物、生きとし生けるもの全ての本 性を無視した現在の教育現場を、私は憂慮している。 (続編に続く) ![]() |