おやじ狩りはなぜ生まれたか
第1回からこんなネタを取り上げたら、ここを訪れた人が引いてしまうのではないかと思いつつ、 やっぱり取り上げてしまった「おやじ狩り」ネタ。社会問題には真剣に取り組まないといけない、 などと思っております。

◆元凶はどこにあるのか?
おやじ狩り」。20年後のおやじが、中年男性を主な標的に、暴力的な行為で金銭を奪うこと。
私は、この現象の背後には「援助交際」があると考えている。
なぜなら、おやじ狩りで捕まった人の殆どは高校生と中学生であるからである。 彼らは毎日のように「援助交際」をしている中・高生の女子と、学校をはじめあらゆる場所で 接しているのだから、その影響を受けても少しも不思議ではない。

●金銭的に富む女子校生と、貧乏の続く男子校生が生む歪み
援助交際を始めた女子は、当然金回りが良くなる。普通のアルバイトなら時給700〜800円が主流だから、一度の 「関係」で万単位の金銭を手にする彼女たちの羽振りが良くなるのは当然だろう。

一方の男子はというと、肉体労働関係のアルバイトでさえ、日給が女子の1時間で稼ぐ金額に及ばない。 つまり、相対的に、男子校生は貧乏になってしまったのだ。

元来、特に日本では、男が女よりも収入が少ないというのは引け目を感じるものである。

なぜ、自分達は貧乏なのだろう?」「何が違うのだろう?

不幸にして男に生まれてしまった彼らが辿り着く結論は、容易に想像できる。

俺達もおやじたちに援助してもらおう

そうは言っても、女子ほどの色気を自分達が持っていないことは彼らも十分承知している。幸運なことに、近頃は食べ物の栄養価が 増したせいか、一世代前に比べて体格は非常に良くなった。

テレビや映画で見たようなことをやればうまく行くかもしれない

暴力ネタの情報は溢れている。「かつあげ」のマニュアルはそこら中にあると言っていい。もし信じられないというのなら、 レンタルビデオに足を運んでみるがいい。

こうして、彼らは金銭的な「男女平等」を実現しているのではないか。

●恋愛対象への疑念と、社会への嫌悪
もう一つ、忘れてはならないことがある。

それは、「高校生」にとっての身近かつ最大の恋愛の対象もまた「高校生」ということだ。

毎日顔を合わせている同じクラスの好きな子や、通学途中ですれ違う気になる子が援助交際しているかもしれないと、 疑わなくてはならないとしたら、どうだろうか?
ただでさえ、思春期は潔癖なものである。「初めて大人になろうとしている(つまり子供では体験できないことを経験 しようとしている)」彼らは、「初めて」ということに特殊な価値を見出すものなのだ。
そんな彼らが、自分の好きな子が、もし脂ぎったおやじに汚されてるかもしれないとしたら、 穏やかでいられるはずがない。そのフラストレーションたるや計り知れないはずだ。

そういった意味では、「おやじ狩り」は一種の復讐の様相も呈してくる。

◆10年後のおやじから現在のおやじに手紙を送る
筆者は現在、20代の後半に差し掛かっている。つまり「10年後のおやじ」といっていい。
そんな筆者が現在のおやじに対して、一言言いたい。

高校生が何か事件を起こす度に、「近頃の高校生は・・・」と見てしまう経験は誰にでもあるものだ。 勿論、全ての女子校生が援助交際をしているわけでもなければ、全ての男子校生がおやじ狩りをしているわけでもない。 それでも、「近頃の・・・は、みんなそんなものなんだろう」と漠然と思ってしまうのが、人の性なのだろう。

そう、それは「人間の性」なのだ。つまり、中・高校生たちもまた、「最近のおやじたちは、どいつもこいつも・・・」 と必ず思っている。

そして、不幸なことに、思春期は、大人の汚い部分に敏感に反応してしまうのである。
誰にでも、子供の頃、「あんな大人には絶対なりたくない!!」と思ったことがあったはずである。 思い出してみればたいした事はない、「大人の都合」による些細な「約束の不履行」や、「親や教師」に由来する 「権力」の、些細な「乱用」である。
しかし、当時は激しく反発したものである。非常に汚いものとして映ったものである。

大人は平気で嘘をつく」「偉そうなことを言う癖して、自分にはだらしない

この言葉を口にせず大人になった人は、いないのではないだろうか?いつの時代も、少年少女にとって大人は 汚いものに映るのだ。
まして、自分の同級生とラブホテルに入るおやじとなれば、・・・。想像を絶する嫌悪感を感じて当然である。

未来が予測できないのと同じように、「大人の都合」や「親や教師の権力の乱用」は、大人になってみなければ分からない。
しかし、過去を思い出せるように、「そんな大人にはなりたくないと思った気持ち」は思い出せるはずである。

たまには、息子と同い年になるのも悪くはない。そうは思いませんか、「現在のおやじ殿」。

◆10年後のおやじから20年後のおやじに手紙を送る
偉そうな事ばかり書き綴っている筆者だが、甥や姪ができてからというもの、たまに、「叔父の都合」や「叔父の権力」を 行使してしまうことがある。

たとえば、自室でHomePageを作っている時に甥たちが部屋に入ってくると、「この部屋にはお化けが出る」と嘘をついて 追い返したり、「いい子にしていたら、後でおやつをあげる」などとその場限りの約束をしたりする(約束するたびに おやつを買ってあげていたら、私は破産してしまうだろう・・・)。

また、子供たちが喧嘩を始めればある程度までは放っておくが、どちらかが「武器」を持った時点で仲裁に入り、 「叔父の権力」の下、どちらかを叱ることも多々ある。

いずれも他愛ないといえば他愛ないが、「叔父」も社会の荒波に日々もまれている人間である以上、時にはヒステリックにも なるし、公正とは言えない結論を導き出してしまうこともある。申し訳ない・・・。

「十代の頃、なりたくないと思った大人にはならないようにしよう」と日頃から心の中で呪文を唱えている筆者ですらこの様 だから、20年後のおやじたちが現在のおやじに反発するのは分からないでもないが、犯罪を犯すには十代はあまりに若すぎ るというのが、筆者の正直な思いだ。
「若いからできる」と人は言うかもしれない。しかし、筆者は全く逆のことを考えてしまう。十代で罪を犯してしまうという ことは、その後の長い人生をややもすれば台無しにすることを意味する。それはもったいないと筆者は思う。

例えば、海外旅行に出かける際、どうせ飛行機が落ちるならば行く時ではなく帰りにしてくれと思うだろう。
楽しいことは十代では終わらない。歳を取ってから罪を犯せといっているわけではないが、人生を十分楽しんでからでも 遅くはないのである。二十代、三十代の楽しみを知らずに、十代で躓くことはないではないか。

孫夫人さんの感想(1999.05.11)

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