危険すぎる教育のデフレーション に対する投稿 |
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![]() 社会人が大学に再入学できるようにすること自体は大賛成なのですが、現状では若干の問題点があります。 私は高校を卒業してから2年ほど働いて、その後から大学に入学しました。働いている間にいろいろ考えたのですが、やはり専門知識が欲しかったからです。 そんなわけで、大学に入学できたのは22歳になってからです。勉強が面白く最終的には大学院まで出てしまいましたが、ここで問題がありました。 再就職ができないのです。今の現状では会社を辞めてから大学に再入学すると卒業後、就職先を探すことは非常に困難です。年齢制限があるため公務員にもなれません。
また、大学の教官職の意識にも問題があります。ほとんどの教官職はもともと優秀な成績を残した学生が外部に就職せず、そのまま大学に残った人たちです。
ですから、年をとってから学生になった人に対して非常に冷たいく、見下した感さえあります。幾ら頑張ってもストレートに進学してきた無垢(無知)な学生の
ほうがかわいいようです。そこには自分が育てたという自負もあるのでしょう。 これは大学を出たあと就職し、その後大学院に進む場合も同じです。自分が卒業した大学の大学院に進学できればよいですが、そうでない場合は 差別を受けます。私は大学も修士も博士課程もすべて異なる大学と異なる分野で取得しましたので、 このあたりは、地方の大学も中央の大学も変わりありませんでした。私以外にも再入学組は何人かいましたが、同じような境遇でした。
社会人が大学で勉強できるシステムを構築することは非常に望ましいですが、それを大学の運営側からだけで議論されることに危惧しています。 一方、海外に目を向けると、アメリカの大学システムと日本のそれとを比較することは簡単ではないですが、 私が個人的にアメリカの大学システムで気に入っているのが、同じ大学で博士号を取れないことと、修士の時に基礎勉強をして、自分の研究の独自性と 重要性を説明できなければ博士研究をはじめられないという点です。
マスター(修士課程)を終了するひとは、自分の考えをまとめたプロポーザルを書いて自分が勉強したい大学の教授などに提出します。
そこで、受け入れてもらえなければドクター(博士課程)には進めないことになります。
実は私も学部と修士で大学が違い初めのうちは結構悩みもありました。特に人間関係は勉強してどうなるものでもなく、
同じ大学で学部から上がってきた人とは経験も違うため、なかなか話しの輪に入れないこともしばしばありました。
”組織”を変えるならまずは”人”からですね。
大学も官僚の世界と同じで閉鎖的な上、実は評価の方法が曖昧で、適当な論文をたまに書いているだけでも、歳をとって
上の教授・助教授がいなくなれば自動的にその後釜に座れるような悪しき環境があります。
アメリカの大学は本当に強いですよね。もう十年近く前だったでしょうか、アメリカのある学生が原爆の作り方を卒業論文にしようとして
問題になったことがありました。多少の不具合はあるものの、技術的にはほぼ問題がないということで物議をかましました。 今回は、ご投稿、本当にありがとうございました。 |