21世紀の民主主義 に対する投稿
北海人さんの感想
 民主主義と言う言葉は過去には西側自由主義陣営の国家体制体制をさしていて、いまや世界の大半が採用している 政治システムだ。
 日本も民主主義国家だとほとんどの国民は言うだろう。
 しかし、僕は日本が民主主義国家だとは到底思えない。擬似民主主義、バーチャルデモクラシーではないかと思うのです。

 民主主義とは国民主権が大前提、とくに議会制民主主義を採用する国では必要不可欠なものだ。 さらに付け加えるなら国民の政治参加、すなわち選挙または意思表明の投票機会が頻繁でなければならないはずだが 日本はまったく違う。
 国政は総選挙ほぼ4年に1度、さらにそのあいだに3年ごとに半数改選の参議院選挙。そして4年に一度の地方選挙。 ほかに国民が意思を表明する機会はない。おまけに住民投票制度は整備されておらず。 まれに地域で住民投票を実施しても法的効力はないと政治家がうそぶくこともしばしば。 はっきりいって国民主権という概念が風化している実態を認識しなければなるまい。

 もう1つは総官僚化の危機だ。
 官僚の一部は政治の下で密かに政権党の手足となって国民利益よりも利権保持、無責任行政を行っている。
 しかし、彼らが裁量権をふりまわして好き勝手しようと自分たちの時代に発覚しなければ責任が問われない。
 だからどんなに国民にツケを払わせるような行為にも嬉嬉としておこなうのである。
 このような自ら裁量権者のような行動と無責任が昨今あらゆるところで氾濫している。
 公務員の大半、企業経営者、公益法人、とにかくあらゆる分野に官僚化した人間が将来を省みない愚行を犯している。

 最後に政治の機能不全だ。
 指摘するまでもなく政権党である自民党が利権によって国民の政治意識を人質にとり、利権団体や各省庁の代弁者を議員 として雇いまさに自民党が三権の支配者のように振舞っている。
 残念ながら野党は政権交代できるだけの力を持ち合わせていない。
 たとえ政権が変わっても官僚たちは自民党のロボットも当然でアメリカのような大幅な国論変更は見込めない。
 これでは民主主義に必要な政権交代による浄化作用も働かない。

 総論としてぼくらは知らないうちに自民党というシステムに国家運営を任せてしまった。
 ひとつのシステムに過度に依存するとシステムが崩壊したときのショックが巨大になる。 これは源平合戦までさかのぼる日本の政権交代の歴史が物語っている。

 日本は決して国民が望んで現体制を選択していない。ただ流されてきたに過ぎない。 だからこそ逆説的に考えると自らで考える政治を認識すれば変わると思うが、それまでに日本があるかとても不安だ。

管理人より
 投稿ありがとうございました。

 日本の政治がなかなか変わらない一つの理由は「参議院」の存在であると考えたことがあります。
 理由は明白です。ここ10年の間に与野党の議席数が逆転したことがありました。しかしいずれも参議院であったため、 政権交代には至りませんでした。
 また、参議院は6年間解散されることなく議席が保たれるため、「今」と「過去」の間に明確な隔たりが生じます。 6年前と言えば中学2年生の子供が成人式を迎えるほどの期間です。選ばれた時と今との間の時間的ズレは大きいと 言わざるを得ません。
 政治家の立場からすれば、解散(失業と言い換えてもよい)の心配をすることなく「ぬくぬく」と飯を食える ため、どうしても勉強不足になります。危機感がなければ人は機敏には動けない。それは紛れもない真実です。
 そもそも参議院は衆議院の暴走を食い止める目的で作られた面がありますが、逆にその安全弁としての機能が 変化の速度を著しく妨げている感があります。
 北海人さんの投稿と順序が逆になってしまいましたが、政権交代をより容易にするシステムが、日本と言う保守的な 国には必要なのだと思います。色々と問題点を指摘される小選挙区制も、政権交代が容易になる制度として 意義があるでしょう。

 また、官僚の害はまさにおっしゃる通りで、彼らには責任感と言うものが希薄です。そもそも官僚の組織自体が 事なかれ主義の塊であるため、変化を好むようなことはありません。前例や慣習をいかに覚えているかが重要なので あって、リスクのある新しいことをする必要などないのです。
 その気質の大元は、おそらく彼らが試験によって昇進していくことに原因があるでしょう。試験は過去のことしか 出題できないのが一般的です。でなければ模範解答も正解もつくれないからです。
 彼らは分厚い辞書を頭の中に記憶すると言うことでは優れていますが、独創性や将来への見通しという点では 幼稚でしかも無関心です。
 そして彼らは政治家以上に失業のリスクを負っていないため、ここでも危機感による競争原理(他よりも努力しなければ 生き残れないという)は働きません。若いうちから天下り先に流れていくのみです。
 官僚としての職業を止めた後の心配ばかりしている彼らに、責任感を期待するのは荒唐無稽なことであると 私は切々と感じています。

 私はこのような官僚に政治を任せておくことはできないし、そのためにも政治家によりアクティブに働いてもらう必要が あるとも考えています。そして政治家を最も動かす力になるのが「選挙」であるということは間違いありません。
 これまでは選挙に金と労力がかかる以上、頻繁に投票行為を促すことはできませんでした。そのため国民にとって 政治は縁遠いものになっていました。
 しかしインターネットによる投票(および政治に対する要望)などが今後活発になれば、国民の政治に対する意識も 変わっていくと思うのです。それが私が本コラムで訴えたかった最大の要素です。

 新世紀、我々は誰を選ぶべきなのかより真剣に考える必要に迫られることになるでしょう。
 もしそれを怠れば、北海人さんが危惧する「それまでに日本があるか」ということが現実にならないとも限りません。
 国民も責任を持って政治家を選び、そして育てて(政治家は各界から圧力を受けたとき、自分の言動に有権者の支持が あることを訴える必要があります。言い換えればどんな正しい主張もそれを後押しする声がなければ政治家は錦の旗印を 失うことになります)いかなければならないでしょう。

 今回は、ご投稿、本当にありがとうございました。

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