本日の御題:21世紀の民主主義
◆民主主義とは
 民主主義とはどのようなシステムであろうか?
 ある人はこう言うだろう。国家の大多数を占める国民がそのリーダーを選ぶ制度である、と。
 またある人はこうも言うだろう。独裁者を許さぬ制度である、と。
 そしてまた他の誰かはこう言うかも知れない。コストのかかり過ぎる制度である、と。
 そして多くの国民はその言葉に頷くに違いない。
 そう、近代から現代にかけての民主主義は、まさに国民が独裁を許さぬためにコストをかけてリーダーを 選ぶ制度なのである。
注)尤も民主主義の制度下からでも独裁者が生まれたことは否定できない。ドイツのファシスト、アドルフ・ ヒットラーは当時最も民主的な制度を採用していたドイツで絶大な支持を集め、見事独裁を達成した。

 では民主主義的制度は理想どおり機能しているだろうか?
 少なくとも日本において、民主主義の理想は実現していない。真に国民のことを考えず私利私欲に走り、 日本を誤った方向に導きかねない旧態依然の政治家たちが国会を闊歩している姿は、民主主義の理想が 想定しない現実である。
 なぜそうなってしまうのか? 一つには国民が自らの意思をリアルタイムに政治に反映できないことがあげられる。
 選挙前に掲げていた公約が選挙後覆されたとしても、次回の選挙まで国民は選びなおすことができない。
 小さな地方自治体規模ならば市民・町民・村民が団結してリコールすることも可能かもしれないが、国民レベルで 一致団結しリコールを行うことは事実上不可能である。
 そうこうしているうちに時が流れ、国民の間には次第に諦めムードが漂い始めるのである。その結果次の選挙の 投票率は下がり、既得権益を持っている者の投票行為が過大に票として反映されることになる。
 国民はその結果を目の当たりにし「やっぱり変わらないではないか…」と落胆する。
 底のない集団の心理の負のサイクルへの突入である。

 私はこのような現状を古典的民主主義と呼びたい。
 そして21世紀は新民主主義の幕開けの時代になると断言したい。
 では新民主主義とは何か。それを述べる前に、まずはインターネット技術について語らねばならない。

◆インターネットによる選挙
 実は技術的にはインターネットを使っての投票システムはほぼ実用のレベルにまで達している。
 ノートPCサイズの端末に専用のカードを差し込めば、画面に候補者が写真付きで表示され、投票を行うことが できるのである。こうして投票された結果は人手をかけず僅か5分程度で集計が完了するという。
 しかしどうも日本と言う国は技術の進歩に意識の進歩がついていけないらしい。せっかく作り上げた高度な技術も 国内での実用化の計画は立っておらず、同システムは国内ではなく英国のノリッジ市の選挙で初めて使われた(2000年6月)。

 日本での実用化が一向に進まない理由の一つは政治家が自分の名前を書いてほしい、という願望を持っているためと言われている。
 我々はまずこういったことを平気で言う政治家から排除しなければならないのかもしれない。
 国の将来を本気で考え投票率の低さを心から嘆くならば、どうして個人的な願望を優先するだろうか?

 もちろん、インターネットを使っての投票には幾つかの問題点があるのは事実である。
 投票方式には、(1)特定の投票所で電子投票機によって投票する、(2)指定外の投票所から投票する、(3)個人の端末(例えば 携帯電話や自宅のPCなど)から投票する、の3つが考えられているが、 (3)はPC等を持つ階級と持たざる階級によって投票率の差が出てしまうことから不公平であるとの意見が根強い。
 また個人の端末から投票を行った場合、投票用カードなども含めて投票者の情報が不正に監視され、 誰がどの候補者に投票したかと言うことが分かってしまう危険もある。
 勿論、ハッカーの攻撃や二重投票などの危険も否定できない。これらはインターネットが共通に抱えるリスクと いえるだろう。
 よってインターネットを使った投票とはいっても当初は投票所のみでの利用となるだろう。各投票所から中央コンピュータへの 投票行為の送信がオンラインで行われることで、集計が早く行われることが最大のメリットになるはずだ。
 ネットワーク攻撃を強く警戒するあまり、各投票所の端末はオフラインにし、集計結果をまとめてフロッピーで持ち運び 中央のコンピュータで集計するという方式がとられることも考えられる。
 いずれにしても選挙結果が人手をかけず早く開票できると言うだけで投票所まで足を運ばねばならないことに変わりはなく、 利便性は今ひとつといえるだろう。
 しかしそれでも次に示すような効用が期待できると言う意味では意味があるはずだ。

◆低コストの選挙が可能にするもの
 このようにして行われる選挙は、従来の選挙に比べて明らかに異なることがある。それはコストがかからないことだ。
 そういってしまうとどうということがないように聞こえるが、実はこれが非常に大きい。
 これまで、国民の意思が政治に反映されなかったの理由の一つは選挙の間隔が長い事であり、選挙の間隔が長かった 理由は選挙にコストがかかるためこま目にできなかったためである。当然、国民が意見を言う機会が少なければ、 政治家たちには好き勝手なことを始める時間的余裕ができる。
 しかし選挙にコストがかからなければ、例えば重要法案についてはその都度国民投票を行うことも可能なのである。
 もちろん、政治家が長期的な視野から国民に負担を強いるような法案を出した場合、近視眼的なものの考え方で 国民がそれを否決する危険はある。しかしそれはいくらでも回避する方法はあるはずだ。
 一つにはインターネットを使った国民投票に制限を設けることだ。それは議題をある一定の範囲内に留める(例えば 公共事業のみインターネットを使った国民投票を行うことができる、といった具合)ことで可能になる。

 大切なのは常に国民の監視の目を政治家に向けることである。
 そして古典的民主主義制度では事実上それは不可能であった(少なくとも日本のような国民性を持つ国では)。
 しかし新民主主義制度では、よりリアルタイムに政治家を監視することで、本来の民主主義の理想に近い 状態を保持することが可能になるのである。

北海人さんからの感想(2001.02.10.投稿、02.11掲載)

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