◆小池氏のご乱心ではない行動の裏
小池百合子防衛相が官邸や事務次官本人の承認を得ずに守屋武昌次官を更迭したことで、物議を醸している。
守屋武昌次官が4年にも渡り次官の席に座っている一方、彼が次官の席にいる間に防衛庁からの機密漏れ事件が次々発生していることがその理由であると、
小池氏は言っているようだが。
しかし、彼女はなぜいきなり彼をクビにしようとしたのだろうか? 彼女のこの強気の元はなんであろうか?
単なる推測にしか過ぎないが、ひとつには直前にアメリカのライス国務長官(今月9日)との会談が影響していると私は考えている。
折りしも、ミサイル防衛(MD)システムの中核である海上配備型迎撃ミサイル(SM3)搭載に向けた改修工事中の海上自衛隊の
イージス艦「こんごう」について、米側が機密性の高いソフトウエアや文書の供給を一時停止していたことが分かったのが11日なのだから
タイミング的にはぴたりと一致する。
しかも小池氏が守屋氏の更迭理由とも一致する。
次の事務次官が警察OBとなれば、本格的な省内捜査を行うことで、アメリカの不信感を払拭しようという考えも容易に汲み取れる。
小池氏は既に15年もの長きに渡り与党の政治家として活動しており、次官人事を事実上決めるのは官房長官主催の「閣議人事検討会議」で
あることも承知しているはずである。にも関わらず、独断で即決したのには、アメリカの意向という強い後ろ盾があったとは考えられないだろうか?
◆小池氏は総理の座を狙っているのでは?
また、優柔不断な安部総理に国民が不満を感じているこの時期に、「強いリーダーシップ」を印象つける意味合いもあったかもしれない。
小池氏の今回の行動は、少なくとも「行動力」という点においては人々に強い印象を残したであろう。内閣総理大臣になるような人(野党ならば党首)は、
プロセスのどこかで、その言動によって大きな話題を作るものだ。そう、注目を浴びることも民主主義の政治家にとっては重要なのである。
また、「棚ボタ的に防衛大臣になった」という周囲の見方を一新したかったのも見て取れる。内閣改造が決定して入るものの、その人事については
まだ明確に決まっていないこの時期に、次官人事に手を付けるというのは、自分が改造後も閣内に納まり、しかも防衛大臣に引き続き就くことを示したものでもある。
その行動力は、もしかしたら日本初の女性総理大臣というものもまんざらありえないことではないとさえ思える。もちろん、自民党が今後も与党でいられればの
話ではあるが。
◆人事権こそ力の源
人事権は組織にとって最大の武器である。
しかし今までの大臣はそれを行使しようとはせず、内閣総理大臣に一任してきた。これでは、省内を掌握することなどできるはずがない。
大臣(および副大臣)だけが入れ替わっても、肝心の次官以下が変わらないのだから、政治家が変わっても政治が変わらないのも頷ける。
本当に手をつけなければならないのは省内の改革なのである。
そういう点では、小池氏の今回の行動は非常に真っ当に思える。
もちろん、次官は面白くはないだろう。つい数ヶ月前に防衛省にやってきた何も知らない大臣に何ができるものかを思っているに違いない。
次官ともなれば生え抜きであり、半生をその省内で過ごしてきたという自負がある。並み居るライバルを退けての地位だから、当然プライドも高い。
抵抗する彼も、おそらく彼の立場に立って考えれば、決して心の小さな話ではないのだ。
しかし、日本の政治の世界では今までなかったことなのだろうが、為政者が変わればスタッフも変わるのが正しい考え方である。
なぜなら為政者を選んだのは国民であり、国民によって選ばれた為政者が、自分の公約や使命と感じている案件をつつがなく実行していくのが
民主主義というものであろう。
ならば、その為政者の手足となって働くべく事務方も、変わって当然なのだ。
現代の日本において政治が国民の意思を反映できないのは、政治家や大臣を変えることはできても事務方をかえることができないからに他ならない。
以上の点からも、大臣を拝命した以上、人事についても口を出すべきであるし、今回の小池氏の考え方は正しいと私は考える。
むしろ、自分の手足となって働いてくれる人を呼べないような大臣は大臣としての資格がないと言うべきだろう。
最後に中国春秋戦国時代の思想家・韓非子の言葉の引用で締めくくりたい。
「虎が犬を従えることができるのは、強力な爪と牙があるからである。もし虎がこの強力な爪と牙を犬に与えたならば、
たちどころに虎は犬にひれ伏さなければならないだろう」
つまり、「大臣」という名に力があるのではない。「大臣が持つ権限」に力があるのである。それをもし次官に渡してしまったならば、
大臣というポストなど無力に等しい。