本日の御題:ホワイトカラー・エグゼンプション

◆安部総理は財界のおもちゃ
 組閣当初、安部総理は美しい国づくりをスローガンに掲げていたが、その具体的な政策はまだ先らしい。
 とりあえず近々に行わなければならないことは稚拙な「教育基本法の改正」であったり、今まさに叫ばれ始めている 「ホワイトカラー・エグゼンプション」であったりするわけだ。

 ホワイトカラー・エグゼンプションは簡単にいうと、ホワイトカラー(一般に事務職)の評価を労働時間ではなく成果で測るというもの。 今から70年近くも前の1938年に米国で導入されたもので、決して新しい概念ではない。(1)管理職であること、(2)運営職であること (プロジェクト・リーダーなど)、(3)専門職(教師や法律家)であることが、その対象であったらしいが、最近はその枠も拡大傾向に あるらしい。

 さて、ここで問題になるのは、経団連が主張している日本版ホワイトカラー・エグゼンプションの適用範囲が 曖昧かつ広範囲であることだ。

 厚労省が部会に提示した報告書案では、

(1)労働時間では成果を適切に評価できない業務
(2)権限と責任を相当程度伴う地位
(3)仕事の進め方や時間配分に関して上司から指示されない
(4)年収が相当程度高い

の4条件を満たす労働者に限定するとしているというが、すべてにおいて表現が曖昧であり、企業側の解釈の仕方によっては 如何様に運用可能である。

 更に経団連は(4)の条件について「年収400万円以上」という具体的な金額を出しているが、これは殆どの正社員に当てはまるのでは ないだろうか? (1)〜(3)が曖昧な条件である上、(4)のみ具体的数字を設定するということは「君は年収400万円以上だから、 ホワイトカラー・エグゼンプションの対象になる」と企業側に言わせる大義名分を与えるようなものである。

◆一方的な労働時間の拡大
 現在、日本には労基法で定められた「1日8時間・週40時間」という枠があり、これを超える場合は残業代を企業は払わなければ ならない。ホワイトカラー・エグゼンプションはこの枠を取り除くことを意味する。
 しかし、その一方で、多くのホワイトカラーが対象となった場合、1日8時間労働という枠は守られるだろう。つまり時間で評価は しないといいながらも、現実的にはAM9時〜PM5時迄といった具合に就業時間は設定される。
 これは成果を上げた能力のある労働者を時間で縛る一方で、時間内に終らなかった労働者に対してはその労働賃金(残業代)を 支払わないということに他ならない。好きな時間に出社して、好きな時間に退社できる役員級の社員は、そんなに多くはないのである。

◆成果給は意外と難しいホワイトカラー
 しかも、8時間労働時間外に対して給与が払われないとなれば、誰もが自分に与えられた最低の仕事しかしなくなるだろう。
 会社ではよく、部署を超えた仕事をしなければならないことがあるが、これらの業務には多くの場合明確な担当がない。これらの 業務は評価にも結びにくい上、調整に時間もかかるため、誰もやらなくなるだろう。仕事の擦り合が始まる。

 元々、仕事というものは能力のある人間に集まるものなのだ。無能な人間には上司も最低限のことしか頼まない。必然的に、能力 のある社員の負担が大きくなるが、残業代が払われなくなれば、頑張れば頑張るだけ損をすることになる。
 というのも、事務職の多くは、実績評価をするのがそもそも難しいからだ。営業職のような「売り上げ」「新規顧客の獲得」のような 数値で測れる尺度は少なく、例えば企画・開発のような部署でさえ、末端の社員は企画書を作成することはあるとしても、なかなか自分の 企画を通すことは難しいし、仮に通ったとしてもプロジェクト・オーナーとなって企画を指揮することは稀である。
 更に経理や、受注発注を行う部署などに至っても同様で、日々の業務は伝票処理であり、彼らの能力に応じて伝票が増えたり減ったり するわけでもないのであって、実績評価というのは難しい。

 部長・あるいは課長以上で裁量権が十分にあるサラリーマンならばまだしも、一般のサラリーマンにとって上司の命令は絶対であるし、 自分の思うように仕事ができることは稀である。一人で仕事をしているわけでもないから実績評価も難しい。
 この現状を全く無視し、「ホワイトカラー(一般に事務職)の評価を労働時間ではなく成果で測る」というのは、横暴であるといわざる を得ない。

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