◆現代に甦る聖戦
第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ブッシュは再び4年の任期を得ることになった。これはつまり、世界が最低あと4年はテロの恐怖と戦わなければならないこと
を意味する(ブッシュと共に)。
彼はテロと戦うという。しかし、テロを望まない国の多くが彼の当選を落胆をもって受け止めたのは何とも皮肉な現象だ。
ブッシュ大統領は再選されるや否や、イラク戦争が国民に支持されたとしてテロ掃討作戦を開始した。具体的にはファルージャへの大規模な攻撃である。
11/16、19:30現在で、米兵38名、イラク人1000名が死亡、また約1000名を捕虜(内20名は外国人)としたという。なんとも素晴らしい戦績ではないだろうか。
彼は確かに偉大な大統領だ。もし、殺害したイラク人が皆本当にテロリストであったとしたら、の話だが。
今のブッシュ大統領にとって死者の情報は、たんなる数字でしかないらしい。それはまるでソビエトを牛耳ったスターリンとよく似ている。
独裁者にしてヒットラー以上に虐殺の限りを尽くしたスターリンは言った。
「私だって、身近な人が亡くなれば悲しいものだ。しかし、報告として上がる死者というのは、数字でしかない」
おそらくブッシュ大統領も同じ心境なのだろう。イラク人(正確にはイラク人という人種は存在しないが便宜的にイラク国籍を持つ人をこう呼ぶ)は
テロリストを生むイスラム教の信者であり、白人とも異なる黄色人種。人の形をしてはいるが、キリシタンにとっては魔女を髣髴される妖しいローブを
かぶり、おかしな言葉と低俗な文字を使う。彼らは欧米文化を拒み、米国の信奉する自由平等とは相容れない文化を持ち、何よりアメリカ国籍をもたない。
つまり異端の国の民であり、イラク人の死者の数はまさにただの数字でしかないのだ。
このコラムを読まれる方ならば、おそらくテレビでファルージャの映像もご覧になったことだろう。あれは町ではない、廃墟である。
あの町に残っていた人は人ではない、テロリストである。建物は尽く破壊され、無抵抗な者に銃口を向け、死体でさえも米兵は生存
を疑い至近距離から執拗に銃を撃つ。戦場に人権がないのは今知ったことではないが、あれが正規軍かと疑うほどの振る舞いに、私は憤りを感じずにはいられなかった。
私はテロを憎んでいる。「9.11」もそれを計画し実行させた人も憎んでいる!
なぜなら「9.11」は多くの罪なき者を殺したからだ。
しかしそれでも、今のイラクで行われている行為を正当化する気には到底なれない。
あの映像を見た者ならば、多かれ少なかれアメリカという国が今どんな国になってしまったのか、知ることになるだろう。
◆政権移譲は現実的には風前の灯
しかも今回の攻撃は、モスクにまで及んでいる。フセインの支持母体は元々敬虔なイスラム教徒ではなく、だからこそアメリカもかつててこ入れしたわけだが、
彼らの一部残党を攻撃するためにモスクを攻撃するということは、より敬虔なイスラム教徒である南部のイラク人に多大に衝撃を与えるだろう。
今、日本の自衛隊が駐留しているサマワは、まさにそんなところなのだ。
にも関わらず、日本政府はアメリカ政府支持の一辺倒である。ブッシュの片腕で国民的人気の高かったパウエルが閣僚から去ったとしても、まだ小泉は気付かない。
いや、気付けない。今のアメリカ政府がどれほど日本にとっても危険であるかを。
今回のアメリカ軍の掃討作戦を、イラクの暫定評議会が支持しているのも大きな問題である。確かにまだまだ占領状態にある以上、米国を批判することは
難しいだろう。というのも米軍が去れば真っ先に彼らがイラクのテロリスト達によって血祭りに上げられるからだ。
しかし、イラク国民の立場で見れば、イラク人のための政府も結局はアメリカ追随であり、神聖な場所であるモスク攻撃をも黙認するとなれば、
もはやその旗の下に集まる国民はいないだろう。
それはイラク復興の大きな足かせになるだけでなく、暫定評議会がイラクの「旨み」だけを頬張るアメリカに対するテロリスト及び国民の怒りの象徴にさえ
なりかねない。
◆北朝鮮、ロシア、韓国、中国との問題
もっとも、日本政府がアメリカ政府にモノいえないのは、ご存知のとおり理由がある。東アジアは今なお決して安全な地域ではないからだ。
つい先日も、中国の原潜が日本領海を通過するという事件が起こった。流石に領海を軍船が侵犯して謝罪しないとなれば、真っ当な国ではないという
烙印を押されてしまうことを恐れたのであろう、中国政府は謝罪を表明したが、この一件からしてもわかるとおり、決して何もしないで平和を
享受できるような状況にはない。
しかし、今回のことでひとつ明らかになったことが言える。それは中国政府の詭弁だ。靖国神社を総理大臣が訪問しただけで猛烈に抗議し、
プロパガンダのせいでサッカーのアジアカップの決勝を日本チームが中国チームに勝った際は公使の車のガラスが割られるまでの事件に発展した。
その一方で、他国の領海に原潜を航海させているのである。
私は決してそれを気に日本に軍拡の道を走れというわけではない。ただ日本国民も、勿論政治家もしっかりと認識すべきことがある。それは
政治の世界には常に二枚舌が存在し、建前と本音があるということだ。
日本の学者、特に日教組を含む共産主義者は、この点が完全に欠如している。たとえアメリカの犬と呼ばれようとも(イギリスのブレア首相はブッシュのプードルらしい)
、日本がこれまで何とか生き残れてこれたのは、憲法違反の疑いがあろうがなかろうが自衛隊を保有してきたことに他ならない。
建前と本音の使い分けも必要である、という教訓を、是非今後の外交戦術に活かしてもらいたいものである。