本日の御題:教育水準と出生率の関係
◆2年後に迫る全員大学進学時代
 日本は世界で有数の高進学率を誇る国である。やや古いデータではあるが、平成2年には30%だった大学への進学率は平成13年には 45.1%に達している。これは同年代の人口を分母にした数字であり、進学希望者を分母にした場合の進学率はさらに高くなる。
 問題は、進学率の上昇というものが常に教育水準の低下を引き起こしてきたことだ。義務教育終了後即就職する学生が多かった時代には、 高校進学者は選りすぐりの秀才であった。
 しかし高校進学が当たり前になるとその学力は低下し、一般常識を答えられないことも珍しくなくなった。それでも大学受験をしよう とする者が少なかった頃は、大学進学は語幣を覚悟で書けばエリートであり、大学生になることには相当の勉強が必要であった。
 しかし、現在、大学生と聞いてイメージすることといえば、勤勉で研究意欲のある、最高学府に通う優秀な者たちではなく、 怠惰で親の拗ねをかじり、一年の1/3もある長期休暇を謳歌し、残りの2/3も週休二日であるうえ、授業にも必ずしも出席せず、アルバイトや リゾートにいそしむ人々を思い浮かべないだろうか? 全ての学生がそうだとは言わない。しかし、学びたい理由も対象もなく、 大学に入学する者が増えた結果、総合的にその品質が低下傾向にあることは紛れもない事実だ。
 その結果、ここ数年、大学院大学構想まで生まれる始末である。つまり、大学の品質低下を大学院で補おうとするわけである。
 しかし、大学院まで行くことで就職が有利になると考えれば、おそらく志も熱意もない人が、惰性で進学することにもなりかねない。 その場合、過去の経緯と同様に、大学院の質までも低下されることになるのは自明の理であろう。なぜなら、大学院大学構想そのものが、 学生人口減少のために少しでも学生を大学に留めようと言う学校側の思惑と密接に関係しているからだ。

 このように進学率の上昇は社会に決してよい影響を与えない。もし中卒が一般的であった頃の学力を保持し、多くの学生が大学まで 進学するようになったならば、彼らは卒業後、多大な功績を社会に対して果たすだろう。
 しかし、進学率の上昇と反比例する形で学力が低下していくならば、社会(正確には社会の構成員)は彼らを自らの収入や税金で 養っているにも関わらず、少しもその投資に見合うだけの成果を得られないであろう。
 まして、定員だけで見た場合、2年後には全員が大学へ進学することが可能になるのであるから、受験勉強の厳しさは過去のものとなり、 学生は労せずして大学生の地位を得ることができるようになるのだから、教育の品質低下は防ぎようがない。

◆出生率との相関関係は?
 世界中のどこの国でも、経済の発展は出生率の低下を促してきた。ひとつには、共働きが増えたことにより育児の負担が増えたことが あげられるだろう。また、人権(特に女性)への意識が向上し、出産というものが周りに強制されることではなく、自己の自由の範囲内である という空気が生まれることも大きい。晩婚化も影響しているはずだ。
 しかし、私が注目しているのは実は「教育と出生率」の関係である。たとえば、あまり知られていないことだが、 お隣の韓国の出生率は、ここにきて日本を下回った。シンガポールも同様だ。両国に言えることは、加熱とも言える教育への熱心さである。 特に韓国の受験戦争はすさまじい。当然、高学歴化も驚くべき速度で進んでいる。
 これはつまり、親が子供の成功を願い、その教育にお金をかけることが必要な社会では、そうでない社会に比べて1人当たり3〜10年も 子供の面倒を見なければならないため、一人あたりの学費の高騰を子供の人数で調整していることを意味する。一般的に義務教育よりも高校が、 高校よりも大学のほうが金銭的にかかることは明らかであり、彼らの学費を捻出することは容易なことではないだろう。
 さらに時代が進み、高学歴な親の年代が増えることで、その子供には自分達以上の学歴を望む傾向にあることも明らかだ。

 政府・自民党は長らくこの状況を放置してきた。それで出生率の低下を嘆くのは政治家としては怠慢である以外の何者でもない。確かに、保育園 を増やすことも重要だろう。しかし、社会の荒波の中で一生働きつづけることを熱望する女性が必ずしも多数派であるわけではない。
 それよりも、万人に共通し、かつ切実な問題は子供を生み育てることにかかる膨大なコストである。この負担を軽減させることのほうが、 出生率低下を抑える効果として、遥かに大きいのではないだろうか?
 財源は、無駄な公共投資や役人のカラ出張、天下り先を取り潰せばいい。その上で足りなければ、消費税をあげることもやむを得ないだろう。
 大切なのは、子供を生むことが親の生活を圧迫しない仕組み作りである。たとえば、2人目以降の子供の分の学費の一部を国が負担するなど 工夫が必要だ。これは将来に対する投資である。

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