本日の御題:自己責任とは |
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◆イラクへ向かう民間人
自己責任という言葉が広く使われるようになったのは、いつ頃からだったろうか。 私の記憶する限り、バブルの崩壊と金融機関の相次ぐ破綻によってからである。金融に無知な一般国民が株に手を出し、そして大損したときに 国が口にした言葉が自己責任であった。それは金融自由化によって広く金融商品が銀行の窓口で 購入できるようになり、さらには低金利時代の救世主として高金利の外貨預金がもてはやされて、さらに身近な言葉になった。 国にとっては、ある意味都合のいい言葉であるため、多用される懸念もある。
さて、つい先日、イラクで3人、その直後に2人の合計5人の日本人がイラク人の武装勢力によって拉致・監禁されるという事件が起こった。プロの
ジャーナリストも含まれる一方、未成年者や純然たるボランティア活動家も含まれていたために、自衛隊が迫撃砲にて攻撃を受けたのとはまた別の
衝撃を日本国民は感じることになった。 日本政府は人質の命は大切であるものの、アメリカとの同盟関係(ブッシュ大統領への忠誠心と言ったほうが適切だろうか?)のため、 自衛隊の撤退はないことを宣言するものの、同時に人質の開放を水面下で行うと回答した。イラク情勢について何を聞かれても 「分かりません」と答えることしかできない小泉首相に如何ほどの問題解決能力があったかは疑問だが、シーア派の聖職者教会の仲裁によって、 日本人人質は開放され、残ったのは自己責任論と政府の無能ぶりという結果になった。 事実関係は誰が語ろうが、おおよそこんなものであろうが、その受け止め方は人によって全く異なる。ことに拉致された人々の自己責任という 問題に関しては、世論を二分しているのではないだろうか?
政府は憲法で国民には移動の自由が保障されているから、渡航を強制的に禁止することはできず、よって危険地帯へ自ら赴くときは事故の責任の下で
お願いします、と言っている。その意見はもっともである。
もちろん、日本政府は日本国民の財産・生命を守るために最善を尽くす必要があるが、しかし、同時に、残念ながら、国家の宰相は国民全体の利益を
考えざるを得ず、たとえば武装勢力に屈して自衛隊を退却されることが、よく多くの国民の生命と財産を害する恐れがある場合、遺憾でありながら
犠牲を最小限に留める選択をせざるを得ないのも事実である。 そもそも、今回は拉致であったが、有無を言わさず殺されてしまう危険だってあるのである。拉致にしても、日本政府が仮に要求を呑んだとしても 人質が安全に開放されるとは限らない。つまり、日本政府の見解如何に関わらず、自己の行動の結果が自己に降りかかるという点においては、 逃れようがないのである。危険地帯に赴くということはそういうことであり、初めから誰も命の保証などできないのだ。
しかし・・・政府と同じ自己責任論を展開しながらもなお私が歯切れが悪いのは、ほかならぬ自衛隊の派遣そのものが
憲法違反に他ならないと考えているからだ。そもそも自衛隊派遣がなければ、日本人のNGOが狙われることはなかったのでは
ないか? つまり今回の拉致の根本原因を作っているのは日本政府そのものであり、その点において政府が責任を逃れることはできないのではないか、
という点である。 |