本日の御題:盗賊を懲らしめるために野蛮人に武器を売るアメリカ
◆増え続ける弾薬庫の弾薬
 思えばイラクが軍事的に巨大化した理由のひとつはアメリカにあった。確かに、イラクに対して膨大な武器を売ったのはフセイン大統領がまだ 副大統領だった頃のフランスのシラク現大統領ではある。しかしイランのホメイニ師の影響力を抑えるためにイラクに肩入れしたのは他ならぬアメリカであった。
 また、アルカイーダも当初はアメリカが支援した人々の集まりであった。彼らの多くはイラン−イラク戦争当時、イランに対抗するために アメリカが軍事訓練を施した人々である。素人の集まりに過ぎなかった彼ら民兵は、アメリカから軍事訓練の方法を学ぶ事で、屈強なゲリラへと急速に 変貌を遂げたのである。

 さて、そんなアメリカは現在、イラクのサダム・フセイン大統領を失脚させようと躍起だ。この時期にアメリカがこれほどまでもイラク攻撃に こだわる理由は、もしかしたらテロリストとの繋がりの証拠でも掴んだのかもしれない。
 いずれにしても、アメリカは同じ過ちを再び中東というアメリカにとって「異国」で行おうとしている。
 敵の敵は味方とはよく言ったもので、タリバンを攻撃する際は彼らの政敵であった北部同盟に肩入れをした。
 そしてイラクでも同様のことを試みようとしている。アメリカはなんと、1万人単位の軍事訓練を、イラクの反政府組織に施そうとしている。
 これは同時に武器の供給も意味しており、もしこの企みが成功すれば、アメリカにおける同地域の影響力はかなり強大になるだろう。

 しかし、敵の敵と仲睦まじくいられるのは、あくまで共通の敵がいる間だけだろう。サダム・フセイン然り、アルカイーダ然り、である。
 元々同地域は欧米に対して強い反感と不信を抱いており、宗教的にも敵対関係が長く続いた彼らの間に本当に平和や共存を構築する事は そう容易なことではない。
 もしフセイン大統領が反政府組織とそれを後押しするアメリカによって破れたとしても、新しい政権がアメリカの言いなりになるとは 考えにくい。一度国家としても体ができてしまえば、ナショナリズムはそのまま反米感情となって政権運営に大きな影響を及ぼすようになるだろう。
 そして万が一、もし反政府組織が破れる事になれば、彼らは自分達をはやし立て、そして見捨てたアメリカを強く恨むようになり、 新たなテロを誘発させることにもなりかねない。

◆戦争は貧困を増幅させても回復はさせない
 第一次世界大戦後のドイツは当時世界一民主的な制度があった。しかしご存知のとおり、欧米列強はヒトラーという独裁者の台頭を許し、 国民も熱狂的に支持した。それはなぜか? 戦争の賠償金があまりに膨大であり、その後の世界大恐慌もあってドイツ国民が貧困にあえいでいたからである。
 ドイツ国民は自分達から植民地と富を奪い、そして敗戦という屈辱を与えた英米仏を憎んだ。そして、強い指導者、ヒトラーを世界一民主的な制度下で 合法的に選んだのである。

 今の中東はまさに当時のドイツと同じではないだろうか? 欧米の植民地支配によって彼らの文化は辱められ、富は搾取された。
 先進国が裕福な生活をしている一方で、文明の祖である自分達は貧しい生活をしている。しかもその差は決して縮まるようには思えない。

「誰が悪いのか?」

 そんな疑問を感じた時に、耳元で「アメリカ」と囁く者がいたら、誰もが首を縦に振るだろう。
 「イスラムの誇りを取り戻せ!」と叫び声が上がったならば、誰がそれを無視するだろう。
 海を隔てたアメリカに対して戦争を仕掛ける事などできるはずのない彼らに残された戦い方、それはテロしかないのである。

 このような状況でアメリカが再び中東を戦場とした戦争をはじめたらどうなるだろうか?
 ミサイルはビルも車も、兵器も包帯も、哺乳瓶に至るまで全てを平等に破壊する。
 銃口は兵隊だけを狙うわけではなく、叫ばれる正義や神は人を救うどころか人殺しを奨める。
 かくして心身ともに貧困に陥った彼らは、さらに精神世界へと没頭するようになり、 独裁者の囁きがキケンなテロリストへと彼らを育て上げるのである。

◆ペンは剣よりも強く、パンは正義よりも正しい
 今の中東諸国に必要なもの、それは彼らが文明の祖としての誇りを取り戻すこと、そして経済的にも繁栄する事である。
 ペンは剣よりも強いと昔の偉人は言った。付け加えるならば、「パンは正義よりも正しい」のである。
 自分達が生きていくために必要な栄養を取るために動物を殺す事を非難する人はいない。人にとって最も正しい事は自分が生きることであり、 口先だけの正義ではないのである。
 今の中東諸国のイスラム教徒が容易くテロリストによって洗脳されてしまうのは、もともと熱い信仰心もさることながら、 パンがその手に握られていないからではないだろうか? 彼らは自分達が生きるために戦っているのである。
 そんな彼らに与えるべきものは戦争の道具ではなく、戦わずにも生きていけるシステムであろう。
 逆に武器を与えて戦争を起こし、彼らをより貧困のどん底へと追いやったならば、銃声が鳴り響くたびに生まれる遺恨の応酬によって、 さらに凶悪な事件が我々の身に起こるかもしれない。

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