本日の御題:政治家にも必要な経営センス
◆政治の目的を誤った自民党
 かつて竹の子族なんてものがあった。かみなり族もあった。暴走族なんてものは今でもある。国は彼らを煙たく思っているようだが、 私には「道路族」のほうが全国的・しかも将来に渡るまで有害に思えてならない。

 道路公団は自民党、特に地方選出の自民党員にとって欠かせない政治的要素である。それは、自民党の大物・有力議員の顔を並べて みれば簡単に理解できる。地方選出議員が殆どなのだ。自民党にとって地方ヘの利益誘導がいかに重要であるか、如実に表していると言えるだろう。

 地方開拓および地方と大都市の格差の削減を目指して新幹線・高速道路を作り続けることで、地元の土建屋をなけなしの税金で養い 足りない分は借金までする。それは決して親切心ではなく、そうすることで自分の地元を「第二の新潟五区」にすることを 計画しているのは明白だ。

 故・田中角栄は新潟へ新幹線を通したことで地元では絶大な支持を受けた。それは彼が犯罪者として逮捕された後も現在まで 続いている。そして今、地元への利益誘導に奔走しているのは彼の股肱とさらにその下で働いていた者たちである。
 彼らは田中氏から「政治」を学んだ。その姿は疑惑の作り方から証人喚問、そして逮捕に至るまでまさに瓜二つだ。

◆惰性という罪悪
 しかし、時代は既にあれから30年近くも流れている。高度成長期の時代は終わり、交通量の増加も今後それほど望めないだろう。 にも関わらず、道路公団が建設費の支払いに当てようと考えている高速道路の利用料金の試算では、交通量は高度成長期さながらの 増加を前提としているのだ。
 利用収入が利用料金単価と利用台数の掛け算であることは誰にでも理解できる。もし利用台数が 計画ほど延びなかった場合、収入を増やすためにどうすればいいのか、それは容易に予想がつくはずだ。
 タイミングが良すぎるが、最近発表された首都高速の料金値上げは、決して偶然ではない。

 結局のところ、田中時代に作り上げたシステムが既に時代遅れになっているにも関わらず、社会構造がそれに対応していないのである。
 政治が介入せず無駄な道路を作らなければ、土建屋は淘汰され他業種へと労働人口も流れていき健全な経済構造が出来上がる。
 しかし政治が無駄な仕事を作り続けているため、労働者はそこに必死にしがみつき、業界は政界へ圧力をかけ続ける。
 経済の発展とそれによる社会構造の変化は古いニーズを遠ざけ新しいニーズを生むものだが、今の日本は古いニーズを業界保護という 観点から守り続けているに過ぎない。

◆政治家の経営センス
 道路族が掲げる、採算性のない道路を作り続ける大義名分を、読者の方々はご存知だろうか?
「政治が採算を求めたらそれは公共事業ではない」
と、最近テレビで自民党道路族が盛んに訴えている。
 教科書に載っているような例をあげれば、港には灯台はなければならない存在だが、もし自分がそれを建設しても その利益を受けるのはその港を使用する人全員だから、誰も自腹を切ってまで灯台を建てようとはしない。
 そこでみんなが使う設備を建てるためには国民から平等に集めた税金を当てるというわけだ。
 道路もその口で、一部の人だけではなく国民全員が使う「可能性」があることを考えれば、採算性を求める必要はないと いうのが、道路族の考え方だ。
 しかし、ここで問題になるのは「可能性」があるかどうかだ。上の例で言うならば、船のない海辺に灯台を建てても それを使う人はないし、ただの巨大なオブジェに過ぎないだろう。これを税金の無駄遣いではないという人はいないはずだ。
 そう、いくら採算を考えなくてもいいと言われる公共事業であっても、そこに使う人がいる「可能性」までも 無視することはできないのである。
 そして必要性の薄い高速道路や新幹線の建設は、まさにこれにあたる。使う人のいない道路を作って道路の総延長の数ばかり 増やし、それを豊かさの指標にするのことに私は政治センスの欠片も感じない。

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