何年前のことだろう。男女別姓の議論が俄かに盛り上がりを見せ、その度に消えていったのは。世は平成大不況もあって、
この手の議論にあまり多くの注意を払わなくなった。
その間、国会内外の様々な女性議員・団体から案が出されているが、今回はそれについて話をしたいと思う。
◆別姓推進派の論理
女性の社会進出に伴い、女性の環境は大きく変化した。以前なら当然の如くあった「寿退社」はめっきり減り、
妊娠した後もお腹が目立つまでは働きたいと考える女性も増えた。
そして出産後も単なる母としてではなく、社会の構成員としての地位を守りたいと考え、産休後元の生活に戻る。
産み落とした子供は当面は両親か、または施設に預けることになる。
これは決して間違った方向ではないかもしれない。少なくとも、国はその社会整備を遅々としてではあるが進めている。
男女雇用均等法の制定や、保育所の増設を進めているからだ。
しかし、職場では法的に達成された平等も、「結婚」という場面では女性の地位はまだまだ低いと考える女性も存在する。
どちらか一方を自由に選択できるとありながら、実際に結婚によって姓を変えるのは殆どが女性であるからだ。
これを不平等と考える人たちが持ち出した論理が、「夫婦が同姓である必要はない」ということである。
結婚によって職場で名字が変わることは、業務上も差し支えるというのがその根拠だ。
また夫婦別姓反対派が唱える「別姓になると家族の結束が弱まる」という反論に対しても、
「同姓でも離婚率は増えているではないか!」と反論する。
◆同姓擁護派の論理
一方の夫婦は同姓であるべきだと考える人たちは、夫婦が別姓であることの弊害を指摘する。少子化、一人っ子が進む中で
夫婦を別姓とした場合、子供の姓をどうするかが必ず問題になるからだ。家族の中で一人だけ姓が違うことを快く思う人が
いるだろうか? と彼ら(彼女ら)は考える。
さらに、家族という単位そのものが崩壊してしまうのではないかという危惧までしているのが現状である。
◆夫婦別姓は必要か
まず筆者の結論から言おう。私は夫婦別姓には反対である。それは私が男性であるとか、保守的な人間であるとかいう
理由からではない。それは下記の記事を読んでいただければご理解いただけるはずだ。
まず最大の理由は、別姓推進派が高々と掲げる「18歳になったら、子供にどちらかの姓を選択させる」という点に
疑問を感じるからだ。よくよく考えてもらいたい。これは子供にとっても親にとっても、精神的に相当苦痛ではないだろうか?
子供にどちらの親が好きであるか、これほど明確に言わせることは残酷なことではないだろうか? しかもこれを制度化し、
全ての子供にその苦渋の選択を強いるのだから。
もちろん、親もその判決に一喜一憂しなければならないだろうし、子供が18歳に近付く頃には、家庭内に妙な緊張感が
漂うのも容易に想像できる。
少なくとも、私が選択しなければならないとしたら、国に対して反発を感じるだろう。なぜこんな選択をさせるのか、と。
第二の理由は、第一の理由と重複する点もあるが、夫婦の別姓の次に起るのは間違いなく子供の別姓問題であるからだ。
これを議論する人に今まで私は会った事がないが、流れとして当然起こる。つまり、子供が18歳になるまで暫定的であるにしろ一方の姓が
名乗られるわけだが、これがもしどちらか一方に傾いていた場合、間違いなく現在起っている夫婦別姓の議論がそのままの形で
子供別姓議論に引き継がれるだろう。
これでは根本的な解決にならない。
第三の理由として、職場で旧姓の使用が認知されている現代社会において、上記のストレスを負ってまで別姓にする必要性そのものを
感じない点だ。
職場とプライベートの名字が違うことに違和感を感じるという意見が推進派から出されるが、芸能人や作家など、複数の名前を持っている人
は多い。それ自体が耐えがたいほどの苦痛であるとは考えられない。私からすれば、子供と自分の姓が違う事のほうが遥かに耐えがたい苦痛である。
第四の理由は、別姓推進派が言う「同姓でも離婚率が高くなりつつあり、姓と家族のあり方には直接相関関係がない」とする意見があまりにも
幼稚であること。社会環境の変化によって離婚率は確かに上昇しているが、姓との相関関係については全く不明である。
もしかしたら別姓になっても全く離婚率は変わらないかもしれないし、もしかしたら同姓であるからこの程度に収まっているのかもしれない。
判断しかねるこの状況の下で安易に「相関関係はない」と断言するのは、ただ自分の意見を通したいがための屁理屈にしか思えないのだ。
もちろん、離婚率の上昇が女性の経済的自立によって引き起こされている点は認めざるを得ず、別姓が相対的にどれほどの影響力を持つかは
疑問の余地はあるが。
以上が筆者が夫婦別姓反対を唱える理由であるが、皆さんはどうお感じになっただろうか? 是非ともご意見を窺いたい。
またこういった議論をする際、忘れてはならない点が2つある。
一つは「新しい動きが必ずしも正しいとは限らない」こと。新しい動きに反発しようとすると保守的な人というよろしくないレッテルを貼られがちだが、
是非とも勇気をもって冷静に判断していただきたい。
そしてもう一つは全く反対のことのようであるが「古いからといって必ずしも守る必要もない」こと。その古い伝統の前にはさらに古い伝統があり、
今ある伝統も過去のどこかで改革されできあかったものである。そう考えると、これまでがこうであったからこれからも、という議論のない保守主義
は全くの説得力を持たないのは当然である。時代の変遷に対応した制度は必要であり、時には過去と決別する勇気も是非持っていただきたいと筆者は思う。
まげさんからのご意見(投稿日2002.9.13)(掲載日2002.9.14)