|
2001年8月29日(水) 祝、H-UAロケット打ち上げ成功!いやー、良かった良かった。成功して。この調子で今までの失敗を払拭して、日本の宇宙開発事業も発展して欲しいものです。そして、いつの日か打ち上げを目の前で観られるようになる事を切に願う! でー、ここのところ日記の更新が滞っておりましたが、それもH−UAロケットの打ち上げが気になって日記に手が着かなかった為であります。しかも、実は先週末の8/24、25、26に諏訪部氏と二人で種子島へ行ってたのでありますよ。打ち上げを観る為に。しかし、既に皆さんご存知の通り、H−UA・F1の打ち上げは当初予定していた8/25には行われず、本日8/29に延期となったのでありました。当然、我々は打ち上げを生で観る事が出来なかった。 延期の事は出発前に判っていたのだが一ヶ月前から種子島までの交通手段を確保しており、直前にキャンセルすると払戻手数料等で \20,000近く損をしてしまう。また、延期後の日程が決まったとしても土日とは限らず、諏訪部氏もオイラも予め申告せずにいきなり休暇を取れる状態ではなかったので、打ち上げは観られないけれど折角だから種子島まで行こうとなった次第。 当初は8/24(金)に種子島に渡り、25(土)に打ち上げ見学。26(日)に種子島観光をして帰ってくるという予定だったが、打ち上げを観られないので種子島滞在は一泊にして最終日は指宿、知覧に行く事にし、種子島、鹿児島観光旅行となりましたとさ。 では、簡単に「種子島、鹿児島ぶらり旅」をレポートしまひょ。 8/24(金) この日は有給休暇を取得し、種子島へ向かう事にしていた。 諏訪部氏とは 6:00に新宿駅で待ち合わせだったので、4:55相模大野発の小田急線始発に乗り新宿へ行った。オイラが新宿に到着したのは 5:45頃。諏訪部氏は 5:55頃到着で無事合流。山手線で浜松町まで行き、モノレールで羽田空港まで行った。7:00前にはチェックインを済ませ、搭乗口の前でチェックしながら時間を潰す。やがてJASの 8:00羽田発、鹿児島行きの便の搭乗が始まり機上の人となる。離陸してからは、昨晩ほとんど寝ていなかったので爆睡。気がついたら鹿児島上空だった。鹿児島空港に降りてからリムジンバスで鹿児島市内へ。バスは1時間ほどで鹿児島に着き、11:00前には鹿児島の中心街をウロウロしていた。いや〜、飛行機は早いねぇ。二年前にバイクで九州まで来たとき、エライ時間が掛かった事を思い出す。飛行機って便利だね。しかし、その分「遠くへ来た!」っていう気分が湧かないのが難点。 鹿児島から種子島へ渡るには高速船を使う予定で、夕方の便を予約している。それまでは鹿児島観光をする。鹿児島には一昨年の5月にバイクで来ていたので、オイラが諏訪部氏を案内する。とりあえず銀行で軍資金を調達。その後、オイラは朝飯抜きだったので天文館通りで「ぢゃんぼ餅」を買って食った。それから、携帯できる小さな時刻表を買う為、本屋を探す。本屋の場所は、諏訪部氏が餅屋のおばちゃんに聞いたのですぐに見つかった。そこで時刻表を買ってから昼飯。さっき朝飯食ったばかりと思うかもしれないが、餅だけじゃ流石に腹一杯にはなりません。「十兵衛」というトンカツ屋に入った。オイラはロースカツランチ。諏訪部氏はメンチカツランチ(どちらも\700)を選んだ。味の方はどちらも普通だった。多分ランチのカツは黒豚じゃないんだろう。 昼飯食った後は、薩摩揚げを仕入れる。まだ食うのかよとツコミが入りそうだが、これはおやつ用(^^; 天文館通りで見つけた薩摩揚げ屋で数種類購入。しかし、これは揚げたてでなく冷たいやつだったので、山形屋の裏にある「揚げたて屋」というところに行った。ここは一昨年も来たと店で、揚げたばかりのを売っている。やっぱり薩摩揚げは揚げたてが一番でしょう。ここで棒天、ごぼう、サツマイモ入り、チーズ入り、キビナゴ入りの薩摩揚げを二枚ずつ買った。 薩摩揚げを仕入れた後は、城山公園向かう。途中のコンビニでビールを買い、それから照山神社を参拝。その後、照山神社横の細い道で城山を登った。急な石段でヒィコラ言いつつ城山に登ると、目の前に桜島が見えた。今日の鹿児島の天気は晴れ。遠くの方は霞んで見えるけれど、城山公園の展望台からは桜島がよく見えた。この日の桜島は穏やかで、噴煙は上がっていなかった。 ここで桜島を眺めながら、先程買ったビールを煽り薩摩揚げにかぶりつく。これが美味い! 一昨年も同じように城山公園からから桜島を眺めながら薩摩揚げを食べたが、その時は流石にビールは飲めなかった。昼間っから何の気兼ねもなく酒が飲めるのだから、たまには飛行機や電車の旅もイイなぁ、とか思った。ここで 14:00過ぎまでダラダラし、城山を降りる。遊歩道を下ったところで西郷さんの銅像と写真を撮り、埠頭へ向かった。しかし、ここまでずっと歩いて移動だったので、疲れるわ汗がダラダラ出るわで、やっぱりバイクがいい〜、とか思ったり(^^; 埠頭に着いたら窓口で予約番号を言ってチケットを受け取り、席の指定をして待合室へ。高速船が来るまでの間、またもや爆睡しとりました。 16:00頃になって乗船開始。予定通り船は鹿児島港を後にする。この時乗った高速船というのが水中翼船型のジェットフォイルで、水中翼により浮力を発生させて船体は完全に水上に出るようにする為、波で船体が揺らされるという事が全くない。乗り心地は新幹線に似ていて、非常に快適です。しかも最高速度が45ノットも出て、鹿児島、種子島間を1時間半で航行してしまうというスゴイ船。水流ジェットを駆動する為のガスタービンエンジンは川崎重工製で、甲高い駆動音がカッコイイです。 席は窓際で左側に大隈半島を観る事が出来た。佐多岬を通過するときは、再び二年前のツーリングを思い出し、懐かしくなった。その後はうつらうつらしてて記憶がない。気がついたら、窓の外に種子島が見えていた。17:30頃、種子島に到着。港からは歩いて民宿まで行った。「後庵」という民宿を予約していたのだが、この日の泊まり客はオイラ達だけ。当初は15人ほど予約が入っていたらしいのだが、H−UA打ち上げが延期になると殆どキャンセルしたそうだ。ロケット打ち上げが、この島の経済に大きく影響するようだ。 今日は疲れたので、宿に着いたら早速風呂に入って飯を食い、諏訪部氏と共に西之表の街を少し散歩してから早々に寝た。 8/25(土) この日は宿で朝食をとって 8:30頃出発し、はじめに種子島開発総合センターというところに行った。なんだかスゴそうな名前だが、要は郷土資料館みたいなところで種子島の地理、風土、昔の生活の様子等が判る品物が展示されている。しかしここは種子島。普通の郷土資料館と違って、大きな見所がある。勿論、鉄砲ですよ。鉄砲伝来の歴史資料と共に、種子島で作られた鉄砲、大筒等が展示してあります。これはオススメ。センターの建物は西之表市役所のそばにあり、港から歩いて20分位の所にあるので種子島に来たら訪れてみると良いだろう。 種子島開発総合センターを出た後は、レンタカーで島内を回る為にレンタカーを手配する事に。しかし、西之表市内のレンタカーは全て予約が入っていて、空いている車がなかった。仕方なくバスで移動しようとバス停まで来たところで、ふと思いついて種子島空港そばのトヨタレンタカーに電話したところ、車の空きがあるとの事だった。ラッキー。種子島へのアクセスは西之表港に入港する高速船が主なようで、みな西之表市内のレンタカーを利用するようだ。そのお陰で中種子町にある空港そばのレンタカーには、予約が入っていなかった。ロケット打ち上げが延期されたからかもしれないが。 レンタカーを確保できたところで、バスに乗って種子島空港に向かった。西之表から種子島空港までは、1時間弱で着く。空港でレンタカーを借りたのが11:00頃だった。朝は曇っていたのだが、この頃には空は快晴となっていた。 まずは鉄砲伝来の地、門倉崎へ向かった。諏訪部氏がハンドルを握り、オイラは助手席でボヘッとする。西側海沿いの県道588号で南下したのだが車も信号も殆ど無い。天気は良いしドライブにはうってつけだった。 門倉崎でちょっと歩いて写真を撮り、その後は種子島宇宙センターへ。門倉崎からは、車で10分ほど行くとTNSC(TaNegashima Space Center)の看板が出てくる。 「遂に来たァァァアアァァァァ!!!」 オイラも諏訪部氏も興奮状態。ここに日本の宇宙開発技術の最先端が結集していると思うと、打ち上げが観られないと判っていても胸の高鳴りは抑えられない。 広大な敷地内に車を進め、まずは宇宙科学技術館へ向かう。ここには日本の開発したロケット、N−T、H−T、H−Uロケットや宇宙開発に関する資料が展示されている。中でも一番の目玉は、H−Uロケットエンジンの実物でしょう。興奮したオイラと諏訪部氏は、もう写真撮りまくり。柵から身を乗り出して激写、激写、激写ァッ!! 他にも観に来ていた親子連れが、一体何やってるのかと訝しむ程に接写して各部を撮影した。だって細部の造りが凄いんだモーン。メカデザインの参考になるわぁ。諏訪部氏は、「ベルリン博物館にティーゲルを撮影に行った田宮の社長の気持ちが判る」と言っていた(^^; 展示資料を一通り観た後は、エントランスホールの売店にてNASDAキャップ(\2,000)を買う。NASDAキャップは一つしか置いてなかったので、諏訪部氏はH−Uキャップを買った。 その後、館内の食堂で昼飯にしようとしたのだが、混み合っているので諦めた。宇宙科学技術館を出て広場でH−Uロケットの実物大模型を撮影し、再び車に乗って各射場を観に行く。小型、中型ロケット射場はそばで観られた。しかし、大型ロケット射場は関係者以外立入禁止。仕方なく途中の展望台から眺めただけだった。しかも、肝心のH−UAロケットは発射台ごと組立塔に入っていて、外からは全く見られなかった。残念。 しかし射場を近くで眺めながら打ち上げの瞬間を想像するだけで、ドキがムネムネしてくる。ああッ、余計に打ち上げを生で観たくなってきた。クソー、次は必ずこの目で観るぞ! 未練タラタラで種子島宇宙センターを後にして、今度は県道75号で島の東側を北上する。干潮時だけ現れる千座岩屋に寄って見物。ここには観光バスに乗った団体観光客が沢山来ていた。また、浜辺で泳いでいる人もいる。オイラ達も泳ぎたくなってくるが、水着を持ってきていないので諦める。 千座岩屋からは運転を交代して、オイラがハンドルを握る。県道75号を北上して中種子町を通過する。しかし、こちらの道は殆ど海が見えない。代わりに車が全然走っていないので、カーブを楽しみながら運転。16:45頃に種子島北端の喜志鹿崎に到着。しかし、レンタカーを17:00迄にトヨタレンタカー西之表営業所に返さなければならないので、すぐに喜志鹿崎を後にした。西之表港前のSSで給油。諏訪部氏には先に港に行ってもらい、高速船のチェックインを頼んだ。オイラはトヨタレンタカーの営業所に向かう。ギリギリ間に合った。それから港に行って諏訪部氏と合流し、17:35の高速船に乗船した。 帰りは鹿児島ではなく、指宿で下船。指宿港から指宿温泉まで歩いていき、昨日のうちに予約をしておいた圭屋ユースホステルへ行った。ここは、一昨年 Eddy氏と九州ツーリングで指宿に来た際に泊まったところ。ユースホステルに着いたのは19:00過ぎで、素泊まりだったのでとっとと着替えて風呂と食事に行く事にする。 風呂は、ユースホステルの目の前に「砂むし会館」があるので、そこで砂蒸しに入る。入湯料は、浴衣の貸し出し料込みで \900。スッポンポンになってから借りた浴衣を着て、浜辺に出る。そこで浴衣のまま横になると、待機しているおばちゃん達がシャベルで身体に砂をかけてくれて、首だけ残して砂で埋められてしまうのだ。これが結構気持ちイイ。ここ砂は、浜辺に湧いている温泉で暖められているので、サウナに入ったように身体中が暖められる。気持ちよくて寝てしまいそうになるのだが、うっかり寝てしまうとのぼせてしまうので、10分程度で砂から出る。これだけでも十分で、身体中の血行が良くなる。 砂蒸しの後は、浴衣ごとシャワーを浴びて砂を落とし内風呂の温泉へ。ああ、やっぱり温泉はイイですなぁ。 温泉で心身共にサッパリした後は、飯を求めてJR指宿駅前へ。駅前の商店街で割烹料理屋に入り、和食膳を頼む。ビールで乾杯。その後は飯食って焼酎飲んで結構盛り上がった記憶はあるのだが、何を話したかはよく覚えていない(^^; しかし、アルコールが入ったのと種子島宇宙センターへ行けた喜びでついつい話し込み、ユースホステルの門限をすっかり忘れていた。店を出てユースホステルに戻ったのが11:00頃。入り口は閉まっており、閉め出されてしまった。仕方なく携帯で電話して開けてもらったが、これはオーナーに申し訳なかった。ユースホステルを使うときは、門限が有るところもあるので気を付けましょう。 その後は、翌日の交通手段等をシグマリオンを使ってインターネットで調べ、寝たのは1:00頃だった。 8/26(日) 朝7:00頃目が覚めた。蒸し暑くて夜中に何度も目が覚めてしまい、寝不足だった。 当初の計画通りロケット打ち上げが観られたら、この日に種子島観光をする予定だった。しかし、種子島観光は前日に済ましていたので、この日は知覧へ行く事に。8:00ちょい過ぎにユースホステルを出発し、バスに乗る為にJR指宿駅へ行く。しかしこの日は天気が悪く、雨がパラついている。途中のコンビニで傘を買って、駅まで歩いていった。 指宿駅のバス停で時刻表を確認すると、指宿から知覧への直行便は一日3本しかなく、朝の便は既に出た後だった。次の便は11:00とかなり時間が開いているので、9:00の鹿児島行きの便に乗った。途中の平川で降りて、鹿児島発知覧行きのバスに乗り換える。知覧行きのバスは、殆ど待たずに乗る事が出来た。 10:00ちょっと過ぎには知覧の武家屋敷前に到着。ここを武家屋敷群は現在でも人が住んでおり、庭を特別に開放している。しばしその閑静な佇まいを楽しんだ後、そば屋で昼飯を食う。ここで蕎麦おはぎという物を食べた。そば粉を練って餅のようにし、あんこを絡めた物なのだが、これが結構ボリュームがあり、蕎麦よりもこちらの方で腹が一杯になってしまった。 昼食の後は、知覧特攻平和会館へ向かう。ここも歩いて行ったのだが、武家屋敷群から2kmほど離れていた上に登りの坂道があり、着いた頃にはヘトヘトになっていた。 特攻平和会館は特攻隊基地跡に建てられており、太平洋戦争当時、特攻部隊に駆り出された全ての人遺品が展示されている。家族に宛てた手紙や部隊員の寄せ書き、遺していった私物等、あらゆる物がある。特に、家族宛の手紙はその内容が実に様々で、悲壮感が伝わると同時に多くの事を考えさせられる。その内容は、HPの容量がいくらあっても書ききれないし、答も簡単に出せる物ではない。ただ一つ言える事は、是非とも一度は訪れて過去にこの国が歩んだ道と当時の人が何を想いどのように生きて死んだのかを知り、心の隅に留めておいて欲しいという事だ。 特攻平和会館を出たのは15:00を過ぎていた。タクシーでJR平川駅まで行き、鹿児島指宿線で西鹿児島まで行った。 鹿児島市内の「さつまいも館」と「揚げたて屋」でお土産を買い、ラーメン屋で夕飯にとんこつラーメンを食べた頃には、既に18:00をまわっていた。その後は、天文館でリムジンバスに乗り、鹿児島空港へ。20:35分発の羽田行きの便に乗り、東京まで帰ってきた。 羽田で諏訪部氏と別れ、家に着いたのは午前0時丁度だった。 最大の目的だったロケット打ち上げは観られなかったが、それなりに充実した旅行であった。 |
|
2001年8月19日(日) 今日はガンマの洗車ですよ〜。昨日、出来なかったんでね。午前中は 10:00頃起きて飯食って暫くウダウダしてたので、結局作業を始めたのは昼過ぎ。まずはカウル全部とタンク、バッテリを外し、ガンマをスッポンポンにする。その後、燃料ホース、エアインテークを輪ゴムとガムテープを使ってビニール袋で覆い、水が侵入しないようにしてから洗車開始。今回は、ダートスコート社の「ダートスコート・エクストリーム」というクリーナーを使った。これは「なんでもインプレッション」の方でも紹介している「ストリートマックス」の後継製品で、使い方は「ストリートマックス」と全く同じ。バイクに水を掛け、その上から「ダートスコート・エクストリーム」を直接吹きかけ、暫くして汚れが分解されたら再び水を掛けて洗い流す。排ガス中に含まれるオイルの燃えカス、スラッジやタールも簡単に分解して落としてくれるので、2ストマシンの洗車にはオススメです。因みに、以前ダートスコート社が出していたバイク用クリーナーは、オイルやスラッジ等の油系の汚れに効果があるオンロード向けの「ストリートマックス」、主に泥汚れを落とすオフロード向けの「ダートマックス」の二種類があった。しかし現在ではそれらは廃番となり、二つの効果をまとめて統合した「ダートスコート・エクストリーム」になった次第。 「ダートスコート・エクストリーム」ではスラッジ等の分解除去能力は、「ストリートマックス」と変わらなかった。泥汚れに関しては、「ダートマックス」を使った事がないのと、ガンマの泥汚れが思ったほどひどくなかったので効果は判らなかった。それから「ストリートマックス」ではなかった事だが、「エクストリーム」は乾くと白くなって見た目が悪い。水で洗い流してから、よく乾拭きをしないといけないようだ。この点が「ストリートマックス」に比べて気に入らない点かな。 しかし、廃番に伴って「ストリートマックス」が手に入らなくなり、代換品を探していたオイラにとっては嬉しい。今度、業務用の2リットル入りボトルを買ってこよう。 汚れを落とした後は、エンジン周りにシリコングリーススプレーを吹いておく。こうする事で、次回の洗車の時に汚れが落ちやすくなる。それから、カウルを外したついでに電装系のチェックも行う。7月末にスズキ・オーナーズミーティングで渚園に行った際に、6,000rpm以上になるとタコメーターが動かなくなるという現象が起きたので、その原因を調べる為。しかし、コネクタの接触不良やハーネスの断線はなかった。ムゥ。 考えてみれば、タコメーターが動かなくなるのは走行時に6,000rpmを越えたときだけで、停止時にレーシングしてもタコメーターは正常に動作するから、このやり方では原因は判らないのカモ。原因はイグナイタ??? ウ〜ム、これもラジカルで看てもらった方が良いかもなぁ。何でもかんでもプロに頼ってしまうというのは出来ればやりたくないのだが、判らないのだから仕方ないか……。 とりあえずバッテリの充電だけして、外装類を取り付けよう。おっと、その前にキャブのフロートチャンバーからガソリンを抜いておくのを忘れずに。暫くは忙しくてガンマに乗れそうもないので、キャブを腐らせない為の対策ね。 カウルを取り付けて、カウル表面の汚れをクリーナーで落としてワックスがけして終了。この時既に 18:00過ぎ。バカていねいにやってたから、時間が掛かってしまった。ま、これもガンマへの愛情の現れやね。 |
|
2001年8月18日(土) 今日は落ち着かない天気だなぁ〜。朝から雨が降ったり止んだり、晴れたり曇ったりで、天気がめまぐるしく変わる。晴れたらガンマの洗車をしようと思ってたのに。先週、コミケへ行った際に雨に降られてガンマが汚れてしまったのよ。ガンマで雨天走行したのは初めてだったし、車が跳ねた泥で結構汚れたのではないかと思う。ホントは、雨天走行後は水洗いだけでもすぐにしたいのだが、先週はそんな暇もなかった。あ〜、明日晴れてくれー。 でまぁ、今日は洗車は無理だから車で買い物に出かけた。ちょいと諸般の事情で英会話関係の本を探す用事があったので町田に行ったのだが、ついでにヨドバシカメラにも寄る。で、なんかDVDを買おうと企んだ次第。 DVDはビデオに比べて安いから、以前からいくつか欲しいソフトがあった。しかし、PS2も含めDVDプレイヤーを一台も持っていなかったので手を出しかねていたのよ。だが先日、満を持してDVDレコーダーを買ったので、ビデオ&LDライブラリーを徐々にDVDに移行していく計画を発動。その第一陣を購入しようとした。 買うソフトは特に決めてなくて、とりあえず店頭にある物を見てその中から適当に見繕おうと思った。で、オイラの目に留まったのは「燃えよドラゴン」\1,800。これは安いかな。オイラ、ブルース・リー大好きだし。いずれ必ず買おうと思っている物も頭の中にはリストアップされていたのだが、それらはどれもヨドバシに置いてなかった。 因みに必ず買おうと思っているソフトは、洋画では「炎のランナー」「ライトスタッフ」「普通の人々」「アンタッチャブル」「ロッキー1、2」「プラトーン」「ダーティハリー」。邦画では特に無くって、アニメは「バンパイアハンターD」「ザ・コクピット」「獣兵衛忍風帖」「あしたのジョー」あたりか。 今日買うのは「燃えよドラゴン」で決定かなぁ、と思ったところでふとアニメのコーナーを見ると、「獣兵衛忍風帖」が置いてある。思わず手に取るが少し悩む。実は、「獣兵衛忍風帖」はLDもビデオも持ってたりして。しかも、それらをすぐに手放す気にもなれない。DVD化で省スペース化って事にならないんだよなぁ。しかも定価\7,800で高いし……。 その場で10分ほど悩んだ(大体、物欲に関しては即決するオイラとして凄く悩んだ方)のだが、結局購入する事に(^^; その代わり、「燃えよドラゴン」は次の機会にした。帰ってからDMR−E20のDVDビデオ再生能力のチェックも兼ねて早速視聴。画面は全然綺麗ですな。DVDが出た当初、アニメはディザがかかる(だったかな? よく覚えてない)とか何とか言われていたような気がしたのだが、これは全然問題ない。ここ数年でデッキも進歩したんだね。これなら、川尻善昭監督のハイクォリティなアニメでも十分視聴に耐える。LDとビデオは手放しても良いカモ。とか思っていたら、エンディングが微妙に違う! DVD版の方が長いぞ。でも、エンディング曲の流れとしては、LD&ビデオ版の方が収まりの良い長さだ。ムゥ、LDは手放せないかも(ォイ なんにしろ、\7,800はちょっと高いカモ。DVDって一本当たり\2,000〜\3,000ちょいでCDよりちょっと高め、ぐらいに考えてたから結構な出費のような気がした。ま、徐々に揃えてゆきましょう。 |
|
2001年8月15日(水) ああ、なんだかここ数日ボヘーッとしちゃって日記とか書く気起きなかったですよ。しかし、夏休みが終わって通常の生活が始まり日記書く気も起きたので、とりあえずコミケの事後報告でもしましょう。 と言っても、大して書く事も無いんだよなぁ(ォイ オイラは、今回も創作中心の3日目のみの参加。鉄龍研の方がブースは取れていたんだけど、サークル入場じゃなくて一般入場でした。当初は、ツーリングから帰ってきて直接ビッグサイトに行く予定だったので、サークルチケットは受け取っていなかった。 サークルチケットも無いし、特にチェックしたいサークルもないので会場には昼過ぎに行く事に。家を出たのは12時を過ぎていた。バイクでビッグサイトに行こうとしたのだが、サンダーエースは調子が良くないのでR1を選択。しかし、出発直前にチェックをしたらリアのブレーキパッドが殆ど残っていない。これ以上使ったらディスクを削ってしまいそうなので、仕方なく500ガンマで行く事にした。しかしこれが失敗だったか、首都高は全線渋滞な上にレインボーブリッジに差し掛かったところでいきなり雨に降られた。ガンマはエアクリーナーを外しているので、エンジンに雨水が入らないかと気が気でなかった。そもそも、ガンマは雨の中走らせたくなかったのにクソー。 通り雨だったようで雨はすぐに止んだが、念の為ガンマは屋根のあるところに停めて会場へ。鉄龍研のブースは東地区なので、西館の方から入ったが西には寄らずそのまま東に直行しました。しかし東館に入った途端、ムッとするような熱気に襲われる。連絡通路と比べて、明らかに温度が2、3度高い。東館には男性向創作とギャルゲーが混在していたからでしょう。しかし、毎回こんなんでいい加減ウンザリですな。 今回はカタログもサークル配置も事前にチェックはしていなくて、所長から鉄龍研の配置番号を聞いていただけだったのだが、ブースはあっさり見つかりました。人集りがイヤなんで人の少ない方に行ったら、自然にメカ・ミリの所に辿り着けたカンジ(^^; 鉄龍研ブースに行く前に、メカ・ミリをざっと見てみたのだが、興味を引くような本はなかった。しかし、ミリタリーと鉄道関係は結構元気があるのだが、メカは寂しい限り。メカが減少傾向なのは今に始まった訳ではないが、10サークルもなくてその内オリジナルのメカ物で本を作ってるのが、ウチを含めても3サークルしかないという。絶滅寸前ですな。ま、この辺は今更嘆いてもしょうがないので、鉄龍研のブースに行って売り子をする事に。オイラと入れ替わりで鉄さんがそこら辺見て回ってくるというので、オイラはイスに座っておとなしく売り子。だが売り子をしている間、隣のサークルが気になってしょうがなかったです。なんでかと言うと、売ってる本がどう見てもメカ・ミリジャンルに適合しない。どうも少女小説のようなオリジナルの小説のよう。そこのサークルの人たちの話を聞いてみると、どうやら色んな即売会に出て名を売っているようで、その一環としてコミケでは毎回ジャンルを変えて参加しているようだ。つまり売る場所を変える事で、毎回客層を変えようとしている訳ですな。そんなんありか!? ジャンル分けの意味がないじゃん。なんだかなぁ。 結局、今回は売り子してるだけでどこにも行かずに終わりました。終了後もどこにも行かずに直帰。17:00前には帰宅しましたよ。ホント、今回のコミケは収穫ゼロでした。ま、最近は本買う方には興味なくなっているので、自分が新刊出さないとあんまり行く意味ないですな。冬は間に合うようにがんばろっと。 ついでだから、ガンマについても書く。 最近、ようやく今の仕様での弱点と言うか不満な点がはっきりしてきた。一つはリアサスで、バネが硬過ぎ。元々オーリンズのガンマ用はバネが硬いと思っていたが、シートレールを新造してシート高を高くした事で唯でさえ動き難かったリアがもっと動き難くなった。サーキットを走るなら丁度良さそうなんだけど、公道ではリアに掛かる加重が小さすぎてサスが動かない。お陰でトラクションの感覚が掴みづらいので、コーナー脱出で思い切ってアクセルが開けられない。これは、サスのスプリングを変更する必要があるだろう。幸い、オーリンズは分解、オーバーホールが出来るぐらいだから、スプリングの交換も可能な筈。問題は適当なスプリングがあるかどうかだが、この辺はラジカルに相談してみよう。 二つ目は、これもサスでフロントのスプリングが柔らかい。丁度リアと逆で、シート高が高くなった事でフロントに掛かる負担が増し、コーナーに突っ込んでブレーキング時にフロントがフルボトムしてしまうときがある。これも要スプリング交換か。しかし、フロントのスプリングは既にホワイトパワーの物に交換している。GSX−R400用のフォークに適合するスプリングで、今以上のスプリングレートで尚かつ適当なプログレッシブレートの物があるかというと、ちょっと怪しい気がする。もしかしたら、フォークごと交換する必要があるかも。現行のGSX−R750用なんかどうかな、とか考えている。 あとはフロントブレーキも交換したいし、次の車検の時にラジカルに相談してみよう。 いじょ。 |
|
2001年8月13日(月) 皆様、ご無沙汰しておりました。ツーリングから無事帰還しましたであります。とは言え、帰ってきたのは随分早くて、9日の夜には相模原に着いていました。帰ってきてからは、後片づけやらコミケ参加やらでゴタゴタしててHPの方も放置プレイ状態になっておりました。 ツーリング日誌の方も途中で更新が止まってしまって、一部の方に心配をお掛けした事をお詫びしますm(__)m 更新が止まっちゃった理由は、ツーリングに持っていってたシグマリオンが充電不足でバッテリが上がり、ツーリング日誌のデータ共々メインメモリの内容が消えてしまったというものです。充電はバイクから電源を取って行うようにしていたんですが、DC12V-->AC100Vのインバータがいつの間にか壊れていて充電されていなかったのであります。原因はよく判りませんが、過電流が流れてコンデンサが吹っ飛んだのではないかと。やっぱりインバータは使わない方が良いですね。デカくてかさばるし。バイクから電源を取る場合は、出来るだけDC-->DCのアダプタを使った方が良いようです。 何にしろ、ツーリングレポートの続きは近日中にアップしますです。 |