雪 ふ り つ む


 淡雪が風に舞う。そのはかなげな色合いを引き立てる、松の緑の濃さ。池の蓮の葉陰に、欄干を映すように緋鯉の背が見え隠れする。
 その奥、低い垣を巡らした離れに待たされた客は、濡れ縁に腰を下ろしたまま庭園を眺めていた。おおよそ不釣り合いな金色の髪と衣服が、異形の姿を景色から画す。
 回廊から縁先へ続く渡り板の、きしみに顔を向ける。翡翠を銀糸で縫い込めた大袖が、木と竹と紙の大仰な背景を負うて、美しい。
 間近まで着て膝をついたその主が、部屋へと促す。
 「ここではお寒うございましょう。そのままお上がり下さい。」
 礼を述べ、そうもいかぬと時間をかけて長靴を外し、座敷へ入る。 雪の眩しさに慣れた目に、外の光を集めて輝く金屏風と、掛け軸の紅梅だけが暗がりに浮かぶ。その背で主が雪見の障子を開けて、青畳の上に日を呼び込んだ。砂壁が一瞬に煌めく。
 鳥のさえずりに誘われて庭を向く。三羽二羽が甘い実をついばみに来たらしい。座位に合わせた高さに、生け垣が隠れ、その飛ぶ先々の枝が見て取れる。寒雀が、どれも胸をいっぱいに膨らませて。
 ゆっくりと半身を回し戻り、招き主の横顔を見る。生きているのが結い上げた黒髪の艶だけかと思えるほど、硬い貌。色のない唇には、一つ、花を挿したような紅。
 「――で、用向きは?」
 声をかけられてようやく主は顔を戻し、伏せた目を辺りに漂わせる。ごく小さな声で答えが返される。
 「お越し頂いて、有り難う御座いました。」
 暫く待つ。真っ直ぐに向ける視線を受けるのが絶えられないのでもなさそうな相手を、半ば不審に思いながら。
 一声大きく騒いで、庭先の群れが飛び去った。
 「それでしまいなのか?」
 少し笑いを作りながら尋ねると、わずかに肯く。
 「もう一つくらいなら、話をきいても構わないが?」
 弾けるように娘は顔を上げ身体を捩った。そして、片膝を付いたところで動きを抑える。眼だけが、呼びつけた客の顔から離れない。頬に刺さる視線が、やがて急速に和らぎ、揺らいだ。
 「――こんど… 今度、お会いする時には、私自身の姿尽くして参ります。」
 しばらくの後、ようやく細く絞り出した声に、一つ、肯いてまた庭を見る。
 気配でも感じ取ったか、水面に群れはじめた緋鯉の背を数える。錦の金も太い鰭を現した。
 
 「みぞれに変わったようだ…」
 垣の戸を後ろ手に閉め、丹塗りの小さな橋を渡る。半濁の雪が水を打つのを餌と思うのか、細い魚が激しく動いて輪を崩す。松の枝振りに興を添える雪を落とさないように気遣いながら、御影の敷石をたどる。
 その背で、離れ座敷が形失い、庭の濃い色合いと雪の白が奥から静かに薄れていく。去る姿を慕うように、客に追いつかぬように…
 振り返らずとも成り行きは解っている。自我の螺旋を駆け降りていく、靴音と泣く声を耳の奥に聞く気がまたする。
◇雪ふりつむ◇完

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