風 の 街 ―月の子―


 既に夜半近く、街はあらかたの光をおとした。円屋根もさすがに月までは透かさず、敷石が寒気を照り返すように思える。
 向こうで信号の色が変わる。この眠る街をただ駅までの路にする人群れが、ゆっくりと車線を渡って現れる。疲れを酔いに忍ばせた老輩、女性の華やかな色と香り、楽器を提げた若者達の声が響く。互いを見ず見られる事もなく、そしてつかず離れずに。
 ゆっくりと来た彼らは速い動きで傍らを過ぎ、その先でまた速度を落とす。一人、一群れ、その次も擦り抜けていく。
 ――風のようだ…
  それも途切れると、この眠る街並みも岩の寝床に似てなくもない。竜が目覚め去ったそこから、風が始まるのだといにしえにいう。吐息が結晶したような、ネオンの常夜灯。
 視界の端に、ふわりと月の光が揺らぐ。敷石が照る返す明かりかと思ったが、白い布をいくつもひらめかすようにして、小さな姿が踊っていた。細い指の先に切れ切れに旋律が見える、まとわりつく寒気の中でそれを拾い口ずさむ。
 また近づく人群れが、動きを早めて傍らを通り過ぎていく。彼らには、彼ら自身も踊る子供も見えていないだろう。
 最後の一人が不意に足を止めて残り、笑いかけた。
 「こんなところで会えると思わなかった。」
 それから踊る方を見て、月の子供だねと言う。頷き返して、しばらくは並んでそれを眺めた。
 「…今は、どうしているんだ?」
 尋ねると相手は笑いながら、ローニン、と答えた。よりに選ってまた。リーマンには姿が若いし学生じゃ何か今ひとつだから。何が? これ、が。
 彼は信号の向こうを指差す。色が変わり、また人間が車の路を渡りこちらに来る。ゆっくりと来て風のように側を過ぎ、その先でまた早さから戻る。…これが?
 「うん、これがちょっと気に入っていて。朝の、駅からの方向が、もっと好きなんだけど。諦めてるようで、でも自分なりに気構えているようで。」
 示される先に、空からの光が満ちあふれて見えた。足早の行軍が押し寄せてくる。前だけに向いた顔が、楽しそうでも辛そうでもない。それも、風のようだ。三人を、結界でもあるかのように残して、進んで征く。
 「変わったヤツだな。」
 苦笑する。
 「それで、じゃないけど、キッカケではあったよね。…ああ、快速に遅れちゃう。また、ここに来る?」
 多分、言うと彼は嬉しそうに頷き、それから、まだその時に見えてればいいけどねと小さくつけ足して笑う。あんまし自信がないや。
 その走っていく後ろ姿を見送りながら、明日この話をしたらデーモンやルークがどんな反応をしてくれるだろうかと考えてみる。
 ――それでじゃないけど、キッカケではあった、か…
 何でもないこの人間の街で、月の子が踊るのと、人間になった友人に出会ったなんて不思議を。
◇風の街―月の子―◇完

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