皆   空


  何か爽やかな香りがする。何の葉だろうかと探りながら、客は熱い茶をすすった。
 「何を考えておいでだ?」
 漆で綺羅星を塗り籠めた卓の向こうから、それにも勝る眼を据えて、黒絹の女王が問いかける。
 「そう、見えるか?」
 目を上げて、デーモンは問い返す。その相手構わぬ口調に気損じた様子も見せず、招き主が答える。
 「疑うのなら、私の目を見よう?それを落とすのだから、何か他の事であろうと思うた。」
 それから、自身も視線を手元に引く。贅を凝らした茶器からの香を、目でも味わうかのように。垂れた金細工が細い音を肩先まで連鎖させて、辺りを心地よく充たした。
 「確かに。」
 言葉短く誉めると、女王は軽く笑い声をたて、それから、はにかむような機嫌損ねたような顔になった。子供を扱うごとくに聞こえる声音だったかと、思う。
 改めた声が菓子を勧める。断っても手応えが無く、女王は客の肩越しに庭園を眺めている。
 初めに話を戻す。花が誘うほどには甘くない、幹皮や実には重さが少ない、何の葉の香かと考えていたのだと。
 女王の目が、デーモンの顔に戻った。
 「龍玉の内に咲く花だと申せば?」
「なら、また一つ得た事になる。それだけではないが、その顔では創り噺らしい。」
 笑いながら頷く相手の、細い金の音が波紋を広げる。
 「貴方を迎えるに、それ程を尽くしたかったとは思うが。」
「されても、とりたてては喜べん。」
 きっぱり客が答えれば、また笑う。 
二杯目の茶は少し濃く、香は静かに沈んでいた。舌の先で転がしてみるのも、趣が深い。
 次元に岐れた先々を語り尽くすには、この地での午後の日差しもとうてい足りず、遠来の客はいとまを告げる。
 黒絹の女王は優雅な様で頷き、中庭の外れまで客を送るために立ち上がった。
 葉の茂る下を通る度、違った風が吹いていく。木漏れ日が眩しい梢があれば、雨に垂れる枝も、冬枯れる幹もある。その中に肩を並べながら、女王が言葉を紡ぎ始めた。
 「貴方の事ばかり見てきたが、断じて会いたくないとも思っていた。多くを受け得る者に触れた方が、貴方も私自身も真実に近かろう、実りあろうとも考えた。」
 デーモンは立ち止まり、正面からに近く女王を見たが、相手は目を落としたままで続けた。
 「けれど伝えられ、思い描いていた姿と貴方は少しも変わらない。…怖かったのだろうな、貴方の前に己をさらすのが。その眼に映された姿を見てしまう事が。」
 そう思うのであれば、顔を上げた女王には、宝冠と金細工で飾りながら、それ以外の総てを持たない自身が見えているに違いなかった。
 その姿はやがて装飾を失くし、小さな冠だけをつけた黒布の少女となって、眩しそうに彼の目を見上げていた。
 「…それで?」
 デーモンが穏やかな声で問い返すと、少女は唇を結んだままゆっくりと首を振り、それから手を上げて頭上の小さな冠を確かめて、ちょっと笑ったようだった。
 
◇皆空◇完

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