般  若


 大事だったもので方陣を描くと叶え主が現れる。雑踏で拾った言葉が小さい頃から続いた夢を思い出させた。
 砂糖菓子の部屋、飴の輪に立った不思議な姿。金背並ぶ暗さの中に、ちぎった絵を踏むまばゆい形。近くは晴れ着ふるわす音を分けてさしだされた指の先・・・
 叶え主はいつも望んだものを届けされてくれた。それがうたた寝の空事ではなかったのだと妙に確信して思えて、方陣を描く物を探した。
 気がつくと大事な物が何もない。最後に貰ったのは、いつも遣わされる王子様だったろうか。彼とはすぐに賑わいの中で別れた。その街も華やかな騒々しさも、ねだったものだが今はただ煩わしい。
 思いあぐねて髪を切り、まとったままで銀糸と絹のドレスを裂いた。それだけではいかにも頼りない、指で幾度も床をなぞるうちに情けなさで涙が落ちた。
 陣がそれで繋がったのか、濃い雲わいて叶え主が現れた。
 「何もない処に行きたい。」
 顔を見上げて願い事を伝える。快げではない声が返される。
 「本当に見えなければ、どちらでも同じだ。底に立っても、何もないことすらお前にはわかるまい。」
「それでもいい。ここはいやだ、何もかもあるのに大事なものは一つもない・・・ あなたは叶え主だろう?」
 泣く顔をずいぶんながく見下ろして、答えが返る。
 「そうだ。お前がそう思うのなら。」
 片腕で空をなぞるようにして、異能の人は姿を消した。次に瞬いた時、辺りは一変して荒野の夜になっていた。風が走る。凍えた肌が痛い。
 何もない、叫びだそうにも叶え主もないだろうと胸熱く思ったとき、
                               ――花の香りで目覚めた。 
◇般若◇完

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