灰 色 の 瞳


 「ルークぅ!」
 呼ぶ声に顔を上げれば、森で遊んでいたリオンが駆けてくる。細長い腕もきれいに動かせるようになったと思いながら、話ができる近さまでを待った。
 その手脚でデーモンの胸にしがみついてこの館に来た子供は、さっそくエースにテナガザルよばわりされた。おびえていて、顔を見せるまで数日かかったが、未だに知った誰かを確かめられるところでしか遊ばない。だからルークにしても、昼下がりを庭先のテーブルや寝椅子で過ごすのを習慣にしていた。
 リオンが顔を間近に寄せて報告する。
 「何だかざわざわしてるの。デーモンのお客さんが来るのかな?」
「そう・・・ そんなふうになるなんて変だね。」
 同意を得て大きくうなずいて、子供は深い緑をふり返る。この遠さでは、森の様子まではわからない。森が騒ぐのでなければ敵意をもつものでもないだろうが、用心するにこしたこともない。少し早いが、離れで日常を過ごしているゼノンに担当を渡すことにした。
 「もう、お昼寝の時間にしよう。今日は庭から回っていってもいいよ。」
 他の分も行儀にはうるさいから、たまに甘いことを言われて、子供は嬉しそうな顔で返事をして走り出した。
 館に戻り、居間にデーモンを見つける。古書なぞめくっていかめしい顔をしているが、この部屋からは庭とその先の森が眺められる。それは他の誰かが受け持つ時間に、自分がそこで過ごしたりするからわかることでもあるけれど、今は相手の心配性がおかしい。何しろ、リオンが来た当初には、しがみつかれたまま手近の用を済ませていた御仁だ。片手を子供の背に添えたまま動く姿は、エース評するところの「子煩悩のボスザル」そのものだった。
 「何か面白いことでもあるのか?」
 にやつくのの度が過ぎたのか、デーモンが不快そうに言った。あわてて顔を戻しついでに、客を思い出す。
 「お客が来るらしいよ。リオンが言うには、森の様子が変だったってさ。」
「何だ? で、リオンは?」
「お昼寝担当のとこに行かせた。離れにおいといた方が、安心していられるからね。」
「そうだな・・・ では、お客とやらを出迎えてくるか。」
 言って、デーモンが立ち上がる。わざわざ言いに来たせいでか、外で会うと決めたらしい。
 「様子みて、後でお茶持って行くね。」
 部屋を出て行く背に声をかければ、承諾とも何ともつかない、右手があがった。わからないときは、好きに解釈する。
 ほどなく、森の暗がりから浮き上がるように、客が現れた。かなりの長身に、足先まで隠れる白いローブをまとっている。デーモンが腕を広げて派手な挨拶をし、庭先のテーブルへと案内する。勧められた椅子にかけた客の姿に、ルークはあわてて茶の用意を始めた。
 食器のふれあう音を聞きつけたのか、ちょうど裏からもどって来たのか、ライデンが奥部屋をのぞきに来た。
 「あれ? お客さん?」
 特別の時の白磁のセットを見つけ、いそいそと寄ってくる。客用の菓子が目当てなのは言うまでもない、それも茶目っ気ながら、はねのける手に苛立ちがでて音がするほど力がこもってしまった。あわてて体ごと下がって見開いた目に、我に返る。ライデンもあわてて、ルークの顔をのぞき込む。
 「あ、オレ、悪いんだし。ね、なんかあったの? やな奴でも来てんの?」
 心配されると、少し自分が落ち着くのがわかった。
 「それはまだわかんないけど。そっちから、庭見てくれる? デーモン、どんな感じでいるかな?」
 頼むと、居間にすっ飛んで行ってすぐ戻ってくる。眉を寄せて不審げに首をかしげて。
 「・・・やっぱり見えた?」
 確かめればこくりとうなずいて、壁で遮られた向こうをまた振り返る。
 「ライデンはゼノンのとこに行ってて、リオンが居るから。これ出しながら、様子を見てくる。」
 心配顔に言い切って、銀細工に白磁を掃いた盆を手に、外に向かう。背後でライデンの駆け出すのがわかった。
 庭に出ると、ちゃっかりとエースが談笑に加わっている。細い長身に闇色の服をつけていて、客の立場に対抗するようだ。デーモンは状況かまわずに笑顔でいるが、ルークは、客の影にある翼が視界の端に貼り付いて離れない。
 「おう、すまんな。こっちは我輩の旧い友人だ。」
 紹介されて会釈する、相手の顔がまぶしい。そして天使はいともあっさりと来意を告げる。
 「地上に降りるので、お別れを言いに来たのです。」
「地上に?」
 エースと言葉が重なった。
 「はい。以前から地に墜ちるものが多いので調べていましたら、魔界から地上に住まうものも増えていると知りました。」
「天界の絶対君主と違って、魔界はその点も鷹揚だからな。ま、それにしても近頃はやたらに多くて、いろいろと我輩達の手を煩わせてくれる。」
 デーモンの手でそれぞれの前に並べられたカップから、芳香がたちのぼる。おだやかな香りが、時の過ぎる様を見せる気がする。
 ある日デーモンに抱かれて来たリオンの、異質さを考えていた。細長い手と背の小さな灰色の翼、緑のかかった肌に濃さの定まらない瞳。いつまでもおびえていた、小さな子供。
 エースが、低い声で天界の一片に問う。
 「天界の分裂やら混乱やらは聞いているが、あんたは何のために人間界に降りるんだ?」
 複数の羽の影を淡く地におろした天使は、微笑に強さを加えて答えた。
 「私も人になるために。・・・人間を残さねば、それを慈しみようも、疎みようもありませんから。」
「ずいぶんと立派な大義名分だ。」
「・・・人のままでは、生き延びられないって事か。」
 芝の緑に輝きはじめる光輪の輪郭に、目を落としながらつぶやいた。今度は誰からの答えもなかった。」

 ゼノンが珍しく杯を重ねていた。その膝を枕にして、子供が健やかな寝息を立てる。夕食が終わっても誰も席を立たず、何となく酒をくみ始めたのだ。昼の客が皆の内心に残した物は、ずいぶんと複雑だったらしい。
 やがてデーモンが口を開く。
 「信頼できる迎えが来たら、リオンも地に返さなければならないな。」
 異を唱える声も問いかえす者もない。
 「子供は、明日をつなげるものだから・・・ 」
 それは、だからこそ絶たれる者でもありえたのだと、必死でデーモンにすがっていた姿を連想しながら思う。天にしても魔にしても、地上との接触がなかったわけではない、むしろ関わり合ってこその存在だ。天使のそれは人間臭い神話やら奇跡に形を変え、悪魔のは契約に闇との取引になぞらえながらも、語られ残っていく。それが増えているのなら、当然それぞれの血をひく者も、異質な者同士の出会いも確実にあるはずだった。
 「けっきょくさ、人間界はどうなるってわけ?」
 沈黙にけりをつけたのはライデン、酒に染まった顔が、魔界の高官に向けられている。真顔を返すデーモンより先に、エースが答えた。
 「品種改良、の要有り。」
「つまり、今のままでは続かないって事?」
「でも、だからって天からもこっちからも続々と地上に向かうってのは、何なんだろう?」
 人界に現れる近頃の救世主達は、時には魔界でも話題にはなるがそれ以上の展開もなく消えていく。その出自が正体が何であれ、魔界にすむ者に、誰に先導されるほどの意識の不自由さはないとしても。
 「要あらば早急に施策すべしの、博愛主義か。いよいよ天使殿も目覚めに至ったって事だな。」
 エースが言うと、必要以上に皮肉に聞こえる。デーモンのあの旧い友人が聞いたら、微笑にどんな色が加わるのだろうと思ううちに、次の言葉が放たれる。
 「何しろ、悪魔様にまで芽生えちまったらしいから。」
 デーモンが横目でエースをにらんだが、ライデンはそれで納得したらしい。パンと両手で卓をたたいた。
 「そっか・・・ 気になって考えてると、わかっちまうってあれなんだ。」
「発展的、連鎖反応。」
 エースが言って、ライデンに向かって杯をあげた。
 子供が小さな寝言をつぶやいて寝返りを打ち、ゼノンの指がその灰色の髪を撫でる。皆がしんとなって、雰囲気がかえって和らいだ。デーモンの次に子供がゼノンになついたのは当然ではあったけれど、触ろうともせずにいたエースが「シルバーバック」と吐いたは、それでも悔しかったのだろうと思う。
 「なんだか、いろんな事が始まりそうだねえ・・・ 」
 ゼノンのゆったりした言葉が、酒の香りにのって室内に拡がっていく気がした。

 その二月後に、リオンの死んだ父親の友人だという赤目の天使に付き添って、あの客が再訪した。子供を馴らしがてら数日屋敷に滞在したので、皆であれこれ話と情報をねだった。
 エースに至っては悪酔いを装って「いつ天使に子種やら子宮やらができたのだ?」とからかい、すでに虎になっていた赤目にはり倒された。止めに入る間もなく悪魔達は唖然としたが、品良く笑っていたもう一人も、助け起こすふりをして突如出現させた両翼で自身とエースの顔を包みこむ荒技にでた。その中で何があったのかは他の誰にもわからないし、問うのも命がけになりそうだったが、彼らがすでに展開の呪縛を離脱しているのを充分に証明した。

 人間達の生きた証として大地が海の底に休むのは、そのしばらく後のことになる。成した事々が間に合ったのか意味を得たのか、結果はさらに先の話だが、ルークは楽観している。たとえばデーモンの言葉を借りれば「物事は両面から見ることができる」から。
◇灰色の瞳◇完

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