約 束 の 日               


 廃墟に夜を明かそうと火をたくと、少年が現れた。
 「そこに行っていい?」
 こんなところにまだ人がいたのかと、多少あきれる。逃げるなり世を捨てるなり、訳はあるのかもしれないが、そんな面倒のある歳にも見えない。
 「おまえ、独りでいるのか?」
「うん。前は爺さまがいたけど、死んだ。」
「しばらく歩けば、街もあるだろう?」
 西を指さして答える。
 「三日も歩けば着く。その先にも小さい街がある。」
「行かないのか?」
「行ったことはある。爺さまが死んでからしばらくは、北の方の街にもいたし。けど、こういうとこの方が好きだ。」
 あぶり肉を半分わけてやると、遠慮なく受け取って口に入れた。
 「子供はたいてい大事にされる。でも、それと居たいかは違うからね。」
 笑いながら言う。それだけだと、本当に思っているのかもしれない。
 「ここに住み着いてる人もいるんだ、街から来てみるのとかね。食料には困らないから、物騒なこともないし。時々、話をしに出てきたりするわけ。」
「こんな風に?」
「そう。」
 不意に、微震が直下から来た。
 「なんだ?」
「このごろ多いから、噴火するのかな。」
 こともなげに言って、少年が南の地平を見る。夕暮れの薄明るさには変化がない。
 「火山でもあるのか?」
「うん、ここからだと、南から東にかけてかな。少し前に、二、三度あった。」
 妙だと思ってから、すでに軸の歪んだ今の時間に、共通の区切り方などなかろうと考え直す。
横顔を見せる、この子どもの歳でさえ測りようがない。
 「きれいだったな。あれは、みんな溶けてしまった色なんだってね。」
「…みんな溶けた、色か。確かにそのとおりだな。」
 焚き火の明るさに照らされた地表の、その下に幾層の栄華と終焉が重なっていようと、やがて、総てが熱を連鎖し一つに発光する時が来るのかもしれない。数えようによっては、それも遠い先の事ではないのだ。

 「どこまで行くの?」
 翌朝の日の下、別れ際に少年が尋ねた。
 「次の街が肌に合えば、そこに腰を落ち着けてもいいだろうと思うが。」
「そう思いながら、ずっと来てしまったんじゃないの?」
 答えずに笑えば、相手も笑って話を変えた。
 「急がないのなら、あの山にいる子に会ってほしい。」
 南の山の頂を示しながら、眩しさに目を細める。
 「みっつしか言葉を言わない女の子と、みんな忘れた大人達が住んでる。」
「みっつ?」
「そう、みっつだけ、昔の言葉を知っている。」
「それで、どうしろと言うんだ?」
「あなたなら、最後まで聞けるか、でなければ、全部を忘れさせてやれるかもしれない。本当に噴火が始まったら、あそこだって危ないよ。」
 妙な、話だとは思う。
 「大役だな。」
「力ずくで降ろしてもいいしさ。」
「けしかけるくらいなら、自分でやったらどうだ?手伝うくらいはしてやる。」
 言えば、笑う顔のままで肩をすくめる。勝算は既に尽きているらしい。また、少しばかり面倒を引き受ける事になった。
 「ま、会うのはいいが… 訳ありらしいの相手に、期待されても困るがな。」
「誰にも、できなかったんだよ。」
 だからどうとは続けずに、礼を言うことで彼は別れを告げて去った。

 急勾配を登りきった山頂近くに、そこだけ削られたような地があった。
 捜すまでもなく、対面すべき相手は従者を背に待っていて、せわしなく息をつく客に一つ目の問いを発した。
 「あなたは、どこからこられたか?」
 りんとした声が、凍えた中空を届くのが見える気がする。
 「西からだ。」
 「海を、渡って、来られたか?」
「そうだ。」
 金飾りの冠を戴いた細い身体とそれにまとわりついた布が、風にあおられる。背後で油断なく構えながらけして彼女より前に出ない老若ども。息を整えるのを、時間をかけて待ってから、三つ目の問いが放たれた。
 「それでは、あなたが、わたくしたちの神におわすか?」
 あの少年でなくとも、肩をすくめるしかないだろうと思う。否定するには、その目は一族のものを重ねたように、あまりに疲れて見える。嘘にも安堵させたとして、その先を彼女が知っているとは信じがたい。ここには、終焉しかない。
 「おまえ達の神ではない。だが、おまえはここで待つことを約束したのか?」
「約束の日に、もっとも近いのはここだと伝え聞く。」
 彼女は半ば身構えながらも、正確に答えを返してきた。意外にも、少なくとも迷い考えた事を証す言葉に、何かが内心にわき上がる。
 「ここは天の方により近い。海がどこにあるか、おまえは知らぬのか?」
「西に。」
 真っ直ぐに海の方角を細すぎる指が示し、呆けた者達はその先に顔を向けた。
 「ならば迎えに行け。約定した日を待つだけで、神を得られると思うな。」
 言葉にうなずくと彼女は踵を返し、それも儀式かと思うほど迷いのない足取りで、皆を従わせて岩陰に去った。
 「それも、ただ、時の区切りようだがな…」
 呟きながら西の地平を眺めやる。この高みからは、海に至るまで、点々と続く街並みが見えた。幾星霜も盛衰を繰り返す、その景色は誰の目にも変わるはずがない。
◇約束の日◇完


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