『 ヴ ァ ー ル 』

 
 「リオンは、あの事をどう思っているんだろう?」
 不意に『ヴァール』が尋ねた。アトリューは反射的に、相手の多彩な色彩表示を見上げる。パネルは、視線に反応するように、せわしなく明滅し色を変えた。発してしまった自分の言葉に戸惑っているようにも、見えた。
 「心配することは、ないと思う。」
 アトリューにも、言うだけの自信はない。自分でもそう考え、そう答えてやるしかなかった。『ヴァール』にしても、それは初めから想定していた結果に違いなかっただろう。うなずくように、光が瞬いた。
 その後にしばらく沈黙が続いた。多分そのアトリューの言葉を転がすように考えながら、『ヴァール』は次のゲームの為の『ビゼット』の面を組み立て始めた。テーブルの中央のその映像が、ほんの少し焦点を外して揺れるように見えるのを、アトリューも黙ったまま、頬杖をついて眺めていた。
 「お待たせ!」
 瞬間には開ききれないドアを脅す勢いで、リオンが飛び込んできた。その反動で手から飛んだトレイを、器用に、大股の一歩先で受ける。
 「ちょいと遠出なンかしたら捕まっちゃって、参りましたねェ… まったく、モノみたいにヒトを奪い合わないで欲しいもんですよ。」
 半分すねたような口調で言いながら、たっぷりシェイクされた飲み物をアトリューと自分と、もう一つ『ヴァール』の前に置く。『ビゼット』の映像がふわりと揺らいで、鮮明になった。
 今はこの『ヴァール』の相手に掛かりきりとはいえ、リオンの人気は相変わらずだ。引く手が多いのは、格別の優秀さもある事ながら、彼のこの快活さのせいだろうか。『局』は人材が揃うところなのだし、それに若さを加えるだけなら、アトリューも他の若手も変わらない。
 「一つくらい、付き合ってやればいい。」
 『ヴァール』が、軽い調子で言う。リオンが笑って返す。
 「ダレかさんと違って、器用じゃないからねェ。いっぺんにいろんな事は出来ませんて。
 『彼』が、嬉しそうにパネルを瞬かせる、その正直な反応を見上げて、リオンもアトリューも声を出して笑った。

 『ヴァール』の本体は『開発局』の地下深くに在る。シティ全体の機能を管理する他に、今だに、延長した先の幾つもの『ユニット』で各種の開発がなされている。
 リオンの部屋のユニットでは、『ヴァール』は意識を持ち、感情を表現する。開発に当たったプロジェクトは少し前に解散し、今は『彼』の指名を受けたリオン一人だけが残っている。管理といっても分析などの作業とチェックの他は、決まった仕事はない。
 アトリューも一時その開発プロジェクトに編成されて、そこでリオンと出会った。二人はまるで対局の分野だったけれど、局内では珍しく、歳が近い。リオンは誰に対しても当たりが良いが、よくアトリューにも声を掛けてくれた。『外の外』から来たという、彼の経歴に少しは興味があったのかもしれないが、アトリューの側でも彼に好意を持った。
 だから、プロジェクトから外れ、独立して自身のユニットを扱うようになった今でも、時折は、リオンと『ヴァール』に会いに来ている。その部屋で、他の誰に出くわすことも無くなってはいたが。

 「相談てわけでもないんだけど…」
 彼の『ヴァール』に比べれば愛想のまるでない、アトリューの部屋でのユニットの表示パネルを見上げながら、低い声でリオンは話をきりだした。
 ちょうどアトリューが『会話』をしている時に入って来て、その様子を眺めながら終わるのを待っていた、そのままで。
 音声と操作パネルとで支持を受けたユニットは、分析とシュミレーションにかかっている。地味な動きとは言え、あえて取り付けたパネルの、色彩と明度は刻々と変化を続ける。
 アトリューは黙ったまま次の言葉を待った。
 「ウチのと、本当は合わないんじゃないかって気がするんだよネ… だからどうってンじゃないけど。」
 無意識で傾げたままの顔が笑っていないだけなのに、痛々しくさえ見える。
 「どうして?」
「ウン、」
 一つ頭を振って、アトリューの立っている脇の椅子に横座りに腰を下ろす。堅い背を抱いて腕を回した上に顎をのせて、しばらく考え込むように黙っている。そして、またアトリューの顔を見ないで独り言じみて続ける。
 「ナンっか、どっかぎこちないんだよネェ… アイツには意識、があるわけだ。それで、情報も知識も何も、総て引き出せるし造れるし… 自分でそう出来るようにってやったわけだからねェ、何せ。それが、なんでこう…」
「ぎこちないって?」
 リオンと『ヴァール』の、少しおどけ合う会話を思い出しながら、同時にそれを不安にも感じる。あれが、互いの気遣いだとは考えたくはないが。あの時、『ヴァール』に問われた言葉が、アトリューの頭の中でこだまする。
 「…ここにいる研究者って、みんな同じ声でしゃべるじゃない?顔も似て見えるし、言うことは仕事ばっかりで当たり障りがないし。」
「それは…」
「ウン、それは仕方ないんだろうけど、アイツもそうなるんじゃないかと思う時があンだよね。しゃべってるときは感情みたいのはパネルとか結構動くんだけど、話していく内に、声がだんだんそうなっていく気がする。」
「…気のせいじゃない?」
「かもしんない。けど、それなら、そう自分が思うってのがやっぱし、マズいよね…」
 ここは、様々の経歴から昇りつめた研究者が居る、最上レベルの施設。
 複雑ななりに、初めから力関係がはっきりしている中で、騒ぎは許されない。現況以上の損失がないようにと互いが自重することで、研究やら開発やらが穏便に運営される。それぞれの思惑と感情の、あるいは、何もかも手放した結果としての、穏やかな表情、そして言葉。
 意識を持ったコンピューターが、まず子供の思考を経ることは想定されていた。それが終わらない場合に備えて、制御機能もいくつか設置されてはいる。けれど、『ヴァール』は、初めから大人びたまま成長し、そしてそれ以上の変化を示さなかった。
 その『ヴァール』の話し方を、研究者達に似ていると思ったことはあった。というより、『彼』の静かな口調に引っかかりを感じたことで、アトリューは自分の意識の底に押し込んでいた『自身』に気づかされた。問題は、自身に帰結してしまい、その内で形を変えて今だにこだましているのだが。
 『ヴァール』の側には戻らずに終わったから、リオンに答える、言葉がない。
 「この間…」
「うん、」
 リオンが、その姿勢のままでうなずく。
 「『ヴァール』が、あの事を気にしていた。」
「あの事って?」
「指名した、事… どう思っているだろう、って尋かれた。」
 考えるようにゆっくり、顔を回してリオンはアトリューを見る。
 「…あの時、理由を言わなかった。」
 そして、また直ぐに目を落とす。
 「それにこだわってるつもりはないンだけどね、」
 不意に、ユニットが分析の結果を出力し始めた。パネルがせわしなく明滅して、次のオペレーションを催促する。
 リオンが髪を一かきして、立ち上がった。そして、笑った顔を向ける。
 「そんな、深刻な話でもないんだ。タマぁに、人恋しくなるんだよネ。そんだけだから、後で悩み返したりしないどいてくれる?」
 アトリューも、微笑する。どちらがそうなるのかは、分かっている。いや、どちらもだろうか。
 「これが少し片づいたら、ウチのヴァール子ちゃんにも会いに来てよ。未だ、アンヨが出来なくてねェ。」
「そうだね。」
 リオンの兄貴面ぶりのウインクに、顔が崩れた。

 「アトリュー、いらっしゃい。」
 ドアが開ききる前に、中の『ヴァール』から声がかかった。『彼』の他に、室内には誰もいない。
 「こんにちは。」
 アトリューも言葉を返す。
 「でも、見る前に判る?」
 相手はドアの内側にしか目が届かない。
 「リオンなら、ドアが開く前に入って来る。」
 『ヴァール』の色彩パネルが得意そうに瞬く。アトリューも笑いながら同意し、オペレーション用のパネルに歩み寄る。そこに置かれっぱなしの『ビゼット』テーブルの上に、数字や言葉を書き散らしたメモが散乱している。
 「直ぐ戻るって出ていって、帰らない。きっと、またどこかで捕まっているんだろう。ずいぶん経つから、そろそろ来ると思う。少し、待ってて。」
「リオンでなくてもいいんだよ、ちょっと息抜きだから。」
 嬉しそうに、パネルが輝いた。『ヴァール』は、音声よりもパネルでの反応の方がより早い。馴れれば、その動きが表情のように見えてくる。相手を選んでいるわけではないだろうが、リオンやアトリューに対してはことさらそれが変化する。
 手近の椅子に掛けると、そこから、まっすぐに『ヴァール』が見上げられる。
 「ねえ、アトリュー…」
 『ヴァール』が、ごく親しい感じで話しかけてきた。
 「どう言ったら、リオンに伝えられるだろう?」
 色彩パネルが、色を消し始めた。
 「何を?」
 待った末に、尋ねる。
 「判らない。…僕の持つのはデータだけで、出来るのはそのシュミレーションだけで… それが判っていての結論が、どれだけ正しいのか不安だ。推量の、誤差の範囲の中で、ヒトは言葉だけで理解してくれる?」
 もう、音声以外、『ヴァール』は作動していない。ただ、答えを求めている。
 「…相手には、意識が在るから。どう説明が出来ても伝えられないことも、何も言えなくても判って貰えることも、どちらも多分、有ると思う。」
 言葉を与えながら、それを絶対のものに出来ない人間は否定されないのだろうかと、アトリューは思う。意識も感情も、すべては同じ事だ。
 「そういう事を信じている?」
「多分… 伝わったと思ったことは、何度もあるよ。」
「うん、」
 『ヴァール』は沈黙した。そのまま総てが終わってしまいそうな時間の後で、『彼』はようやくパネルに色を灯した。
 「僕は、あの時、リオンに残って欲しかった。それを今から言っても、判ってもらえるかな…」
 独り言に近かった。
 「でも、本当に言えるかな…」
 子供の時代を懐かしむ気持ちで微笑しながら、アトリューは『彼』を見上げた。
 「それに近いことなら、伝えられるかもしれないね。」
 半分は励ますつもりで、それが自分には過去でも何でもなく、そしてそんな言葉を持ってもいないことを内心ではつぶやきながら、それでも人間の胸には一枚のパネルもなかった
◇『ヴァール』◇完


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