時 ひ ら く 中 庭 |
来客は、遅れているらしい。 友人のために空けた時間を、一人で過ごす。 より前線から遠い、補給基地。ここから若い軍人と新しい兵卒が、一つずつ先の基地へと、順に送り出されていく。 大国はいつの世にも、外襲を憂え、自衛と野望の前進を重ねる。そして、常に内紛を抱え込む。遠からぬ先に散るか崩れるか、判りきった歴史の断片に命を全うする者から与えられ、とりあえず従う、大義名分。 楽園を、せめていにしえの誉れ高き君主を望むには、もう何人も遠ざかりすぎたのだろうか… と・と・と きょん あんぐ ぱくっ …と・と・と 小さな中庭に、例の生き物が現れて、すぐに消えた。 本国のある恒星系を離れたとはいえ、ここはかなり安楽な後方基地。前線から転配される指令階級の軍人には、休養なり左遷なりの意味合いを持つ。ドームに守られた建物は官舎にしては贅沢な造りで、ささやかとはいえ、幾つかずつが一つの庭を囲むように群れて建てられている。 その庭に、しばらく前から小動物が棲みついているらしい。 誰かが持ち込んで放っているのか、そこを逃げ出したのかもしれない。調査もなければ噂も聞かないところをみると、おとなしいのにでも免じて、黙認されているのか。 それが、小さな茂みから出てきて、ぱくりと花を食べて、別の植え込みに去る。それだけの間と動きに気を取られるせいか、白い、小さな、奇妙でも特徴的でもない姿だという以外の、印象がない。 ここを訪れた客の一人は、一角獣の仔と形容した。ある者は仔山羊で、しかも口が肥えていると笑った。猫に似ているとも犬だとも、小人だとすら、評される。一様に、愛らしいとは暗に示すが、誰も同じ名は出さない。未だ知られざる種なのかもしれない。 ただ花を食べるとは言っても、見ていれば、届く範囲のせいか草に、さらには割合と大輪の、開ききったとたんの白に限られる。他も時には食べなくもないが、さして好みではないらしい。 が、気を許す来客にそこまで話すと、彼らは必ず中庭に目を戻し、白に近い様々な花とつぼみの理由を解して、今度は、感情の発現をこらえる。礼儀としての一応の努力の後で、文字通り笑い転げた者もあれば、中世の不遇で地味な研究者になぞらえてからかう者もあった。不満を示し返してやりはするが、友人達の反応にも、その不思議な生き物の訪れることにも、無論、好意を感じてはいる。 平穏。その、象徴。そのひとときに自身が含まれているのは、幸福なことだ。いや、そこに自身の存在を感じられるせいなのかもしれない。 と・と・と きょん あんぐ ぱくっ …と・と・と もう一度、今ほぐれたばかりの白の透明さを呑み込んで、それが、おぼつかないような足取りで去る。見ているのに、四つ足だったかどうかさえ憶えがない。尾がどうだったか、頭は丸かったか長かったか、背にたてがみでもなかったか… 何かの、焦点が合わせられてないのかもしれない。それが、かの小動物の自衛のなせる技だとでもすれば、研究に値する。案外、事は重大なのかもしれない。が、つかの間の平和をねじ伏せる気も毛頭なければ、せっかくの閑職を、高官自ら、のんびりと庭などいじり回して楽しむ方が、まだしも意義があるように思える。 遅く来た友人は、慌ただしく昔と今の話を楽しんで、帰っていった。友が軍人をやっている、程度の戦争に実感がなかったことを、しきりに詫びながら。 一人に戻った淡い宵の蔭で、また新しいつぼみが開く。夜には、あの生き物は姿を見せない。ただ、花が美しい。 静寂。 まだ学生の頃に読んだ、古い掌編を思い出す。 老人が、愛する妻のために、残り少ないのを惜しみながらつぼみを選ぶ。手折ると花開き、時をつかの間遡らせる、白い花… 花が時ならば、あの愛らしい生き物は何だろう。友人達の言う、どれでもあるのかもないのかもしれない。彼は彼で、それを小鬼だと思う。 宵の闇の淡さ。花ひらく、中庭。楽園は、ぐるりを守られた内にあり、時を知らない。望みながら得られないのは、そこに住めないと承知だからだ。判っているから、実はそれを守る気になって、争いに向かっていくのかもしれない。 ささやかな中庭には、だから、見知る何でもなくそして人にも似た生き物が、棲んでいる。己の、分身になりそうなものが。 花は美しく咲いて、落ちる。彼に『時』を創り与えるものは、この平和な中庭にはない。それを、その向こうに眺めている。 遠からず、彼は戦場に戻る。 |
◇時 ひらく 中庭◇完 |
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