天 使 の い な い 空           


 日の落ちる寸前に、燃え落ちた街に着いた。
 食料の調達がてら往来を進み、丘の上の館に腰を据えたときには、夜になっていた。乾いた風もいくらかおさまったらしい。町はずれのせいか発電装置もあって、修繕の末、久しぶりの酒宴に灯りをともすことがかなった。
 ここからは辺りが一望にできる。いまだ空を覆う黒煙をすかして、月は薄赤い。その弱い光にも、街の残骸は蔭を並べる。闇であれはなお濃く、それは見えたに違いない。
 「火を放つこともあるまいに… 」
 つぶやけばルークが低く応じる。
 「惜しかったんだろうさ。ただ捨てて行くのが。」
 「だから灰にする、か。」
 かすれた声で笑い、エースが言葉を続ける。
「どのみち、水が涸れては滅ぶだけだろうに。」
 「水を失ったから、火で浄化しようとしたのかもしれないねぇ。水は恵みで、火は再生の意志でもあるから。」
「おっ! さすがはゼノン、否定しないところがすばらしい。」
 ルークの陽気な声で、会話は方向を変えることになっている。
 「でもさ、やっぱり、その恵みを取り上げたアクマドモに自分達の成果を渡したくなかったって事だよ。」
「要らぬ事をする。奴らはいつもそうだ。」
 言えばエースが唇の端を引き上げてみせる。誰への皮肉なのか、誰にでも向けられたものかもしれない。

 「ねえ、ライデン?」
 ルークに呼びかけられて驚く顔を見るまで、口を開かなかったのに、気づかずにいた。皆もそうなのだろう、一同の目が集まる。
 「どうしたの? 眠いの?」
 自身も酒に頬を染めて、ルークが重ねて問う。
 「え? ああ、ちょっと… 」
 あわてて頭を振るから、立った髪がふわふわ揺れる。
 「空耳かなと思って。」
「何だ?」
「ライデンの耳にだけ、聞こえるわけぇ?」
 体ごと向き直って文句を言うのを目で制するエースの隣で、ゼノンが頓狂な声をあげた。
 「あ、女の人の、声?」
「そっ、それ!」
 勢いでついた両手にテーブルがきしんだが、誰もかまわずに、耳をそば立てている。風の音には、とうに耳が慣れてしまった。だから気づかずにいたのか、意識して待てばその中から遠く近く、高い声が波打つように聞こえてくる。不満そうに見渡していたルークの視線も、やがて遙かな先に向けられた。
 「…歌、みたいだね。なんだろう?人がまだどこかに居るんだろうか?」
 可能性などほぼ無かろうに、懐かしむような静かな口調を責める者もない。
 「違う、この揺れようは電波だな。」
 立ち上がったエースが奥の部屋への扉を押し開ける。さらに奥に進み、戻って来た。解放された空間をその音が流れてくる。
 「あるはずもないことにも、出くわすもんだ。」
 あざけるような笑いを作って、長椅子の背にもたれて足を組む。風に削られるだけの荒野となったこの地に、今更送り手が、まして届く電波のあるはずもなかった。それを受ける者など居るはずもないのだし。それにしてもずいぶんと長く、人らしい声を聞いてなかったと反芻する。
 「天使を讃える言葉だね。そして…隣人の明日を祈る、歌。」
 なぞるように穏やかに、ゼノンは言う。
 「天使、ね。」
 エースがまた唇の端だけで笑うのを実に器用だと眺めながら、自身も同様かと思い、それでも口は彼のその先を受けて吐く。
 「天使なぞ、おらん。」
 正面からルークのまなざし。
 「求めた姿の、天使なぞ、初めからおらん。」
「そうでないのは、オレ達が落としたし。」
 強い目のまま口調だけが軽く応え、エースの細めた視線がその顔をなぞった。
 それでも、歌は波打ちながら続いている。この屋敷には聞く者はなかったが、それは今日に限らず、夜毎送られてきていたのだろう。聴く者を尋ね歩くように、どこかで誰かが歌い続けているのだ。天使と隣人とやらの歌を。
 卓上に組んだ腕に顎を乗せたまま、ライデンがつぶやいた。
 「信じているのかなぁ… 」

 やがて、声は静かに途切れた。
 エースが最後の一杯をグラスに注ぐ。底の澱がひとしずく分落ちて、赤い煙幕を揺らめかした。それは、街を覆い尽くしただろう炎に似て見えなくもない。
 「確かめて、いるのだろう。自分と、信ずるものを、歌うことで形にしようとして。」
 それだけではないとしても、ルークはもう眠そうな目で、曖昧にうなずいた。
それほど、音の途絶えた夜は静かなものだった。
 エースが杯を天空に向けて高くかざし、酒宴の終了を告げる。
 「天使のいない空に、乾杯!」
 再び夜を待つこともなく、闇が明ければ彼らは荒野に歩を進める。次の街までは、ただ風の音だけを聞いて。
◇天使のいない空◇完


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