細 晶 の 森   


 風が、こずえを鳴らした。きらめくものがエイルをおそい、彼はとっさに左腕で顔をかばった。軽い抵抗のあった後で、また静寂が戻る。体から緊張をとくと、細かな結晶らしきものが肩や髪から滑り落ちて、足許にささやかな音律を作った。
 それは、子供の拾う、砂の中の透明な石を思い出させた。美しく結晶できなかった、あの光る砂粒は、例えばこの煌めくものの、凝った末の姿なのかもしれない。それが今、どれだけの厚さでか足許に積もってあり、そして見渡す光景のすべてを満たしている。
 結晶の森。薄明るい空から集めた光をきらめかせて、透明な木々が揺られている。その、音がする。
 ここが何なのか、なぜ自分がそこに立ったのか、エイルにはわからない。
 ――幽霊船だ…
 つい今しがたまで、スタジオの一室にいた。もう深夜を越したくらいの時間だった。仲間たちもそれぞれ勝手に集まってきて、豆をひいてコーヒーを入れた。朝までもうひとがんばりするつもりで、彼は雑談の中で、張りつめていた神経を休ませていたのだ。それが、ここに“来て”いる。
 今頃、彼らは、不意に消え失せた一人を捜しているだろうか。毎度ひっかけられる、真顔の嘘を疑った後にでも。いや、案外、跳んでしまったのは自分一人ではないのかもしれないし、あるいはもう一人、正か負かの自分が部屋を引き上げてしまっているのかも…

 風がもう一度、森の上をかすめて吹いた。
 ゆっくり、改めて周囲を見回してから、エイルは歩き出した。森の、道の茂みの奥へ。ともかくも前進することを、彼は信念のごとく守ってきていたから。
 偏光された光の筋が、木漏れ日のように落ちている。林で葉が散るように、また、細かい晶片がきらめきながら落ちる。それがぶつかり合う音と、共鳴しての残唱の他には、何の気配もない。真の闇より、目のあるものには、見えているものだけの方が恐ろしいかもしれない。
 鳴く砂の上をどこまでも歩いても、森は切れなかった。景色は、一つたりとも変わらない。一度足を止めながら、彼はまた歩き出した。視覚で左右の距離を、用心深く確かめながら。こんな時にでも、案外落ち着いて思える自分を少し笑いたい感情を、胸の内でころがしながら。

 視界の端に、風景に溶けない色を認めて初めて、強い不安を感じた。それまでは、奥底に隠していたのだろうか。安心して、エイルは最短のコースのために向きを変えた。
 仲間が、人待ち顔で、巨大な結晶樹の根に座り込んでいた。
◇細晶の森◇完


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