桜   宴                    


 午後の日差しに花が舞う。これで何度目かの春、旅先の夕刻までの時間を、顔を揃えて歩く。
 「また、花のちる季節か…」
 もうそんな頃合いかと思いながら、言うデーモンの横顔を見ていた。その肩に髪に淡い花びらがまとわりつく。見上げる目元の青をかすめながら、降りてゆく。次を待ったけれど言葉は続かないらしい。
 向こうの端で、ライデンが何か言って走り出した。見事なストロークに感嘆しながら顔を戻すとゼノンが笑っているから、花に付き物の、調達にでも言ったのだろう。さっき車内で決めたばかりの花見の、気分が本当になるようだ。デーモンの横顔は別として。
 ―――それにしても、だ。
 ごく低い、それも当たり前の言葉を、どうして自分は聞き取っていたのだろう。独り事はよく言う。うるさいくらいだから、小言もまとめて頭を通さずに向こう側に出す術も心得ている。なのに、さっきの感触が耳にまだ残っている。
 ―――デーモンの顔を見ていたからか?
 「また、花の、ちる季節か、」
 小さく口にしてみると、デーモンが顔を向けて尋ねる。
 「うん?なんだ?」
「え、何でもないよ、独り言。」
 先のとはまるで違う顔に、照れくさい気がして慌ててごまかす。少し片眉をあげて不審がる表情に、そんな癖があったのかとも思うが、ただ傾げて見上げる感じになっただけかもしれない。
 そこにエースの顔が割り込んで、口の端を持ち上げるように言った。
 「妙にシリアスな横顔に、見惚れてた。」
「なっ… た、ただ、花の散るのが、やけに似合うと思っただけだって。」
 エースに先手を取られては勝ち目はないから、引き下がる。
 「手を組んでからかうな。」
 デーモンが本当に眉をつり上げそうになった時にタイミング良く、缶ビールを抱えてライデンが戻ってきてくれた。とたんに、大騒ぎが始まる。
 「っわーっ、振るなっ!投げるなっ!」
 あふれ出る泡ごと、冷たい液を喉に流し込みながら、エースの言もまんざら嘘でもないと思い返す。見惚れていたのかもしれない。
 ―――花が散るというのの、意味の一つはきっとあんな感じだ。
 だからあの言葉を、確かに聞き取れていたのかもしれない。
 そして、エースもそれを見ていたのだろうか。デーモンの向こう側の横顔と、それを見ていた自分を見ていた、何だかそんな気がした。


 エースは当然として、ライデンまで次の店に行ってしまったらしい。戻ったホテルで独りでいるのも気分ではなく、ゼノンの部屋を訪ねてみた。
 「ちょっと、いぃい?」
「はぁいぃ」
 お互いに楽しい酒がまだ残っているから、ノリもいい。招き入れられて、広がり放題の荷物の間を歩き、そこだけ空いたベッドの足の方に腰を落ち着ける。部屋の主は絨毯に座り込んで、何やらの捜索を続けている。
 「何を捜してるの?」
「それがねぇ、何なのかわかんないんだよね。見れば、判ると思うんだけど。確かにどこかにあるはずなんだけど、無いみたいだねぇ。」
「すごい物探しだね。何に使うの?」
 そこまで困った状況では、酔いを押して手助けしたくもなる。
 「それもねぇ、忘れちゃったらしい。さっき飲んでたときは、ちゃんと覚えてたんだけど。デーモンが使いたいって言ったか、なら有った方がいいなと思ったのか、どっち
かだったんだけれどね…」
「なら、デーモンに聞いた方が早いんじゃない?」
 言えば、相手は少しだけ顔を変えて笑う。
 「そうだよね。でも、なんかね、そういうのとも違う気がするし。」
「違う?違うのかぁ…」
「やっぱり、自分で勝手になんか思いついてたのかな。」
 荷物を全部並べ終えてしまって、今度は改めてその一つを手にとって眺める。首をかしげてみたり鼻を近づけてみたり、確かめている。ここまでくるととても手や頭やを貸せる雰囲気ではない。
 「ビール貰っていい?なんか、飲み足りないような感じだったんだ。」
「あ、それはあるね。さっきはちょっと半端だったみたいな。昼にビール飲んだせいかもしれない。」
「かな?あ、すごい冷えてる。」
 並べられた物と物との間を慎重に歩いて、またベッドに戻る。ゼノンも床に座り込んだままで小休止に入った。
 「昼間っていえば、花がきれいだったね。散るのが、かな。デーモンがシリアスな顔でいたりするから、妙に似合って不思議だったな。」
 見惚れている、とエースに言われたのを思い出しながら、それは言わずに。先の店では、また何か見とがめられそうな気がして、デーモンとは少し離れた席にいた。ゼノンが彼と話していたのは憶えているが、中身までは聞いていない。
 「そう、花がね、良かったって話してたんだよね。浮かれるとか狂うとかも言うけどまた別のものがあるよって。でも今からじゃ、あ、そうだ、何かにするにも今からじゃ間に合いようもないけどって言ってたんだ。」
「何かって?」
「…そうだっ…」
 ゼノンが急に立ち上がって、サイドテーブルから備え付けの便せんを取る。
 「これこれ。」
「便せん?」
「これの紙、手触りがいいんだよ。多分これが合うんじゃないかと思うんだ。」
「その何か、に?」
「そう、デーモンなら、自分の手帳でもちゃんと引っぱり出しちゃうかもしれないけどね。
ちょっと、行って置いてくる。」
「うん。ついでにちょっと手伝ってきたら?」
 ドアの前で振り返って、ゼノンが笑って答える。
 「デーモンを?これで?」
 片腕いっぱいで示された床に、有りったけの物が役に立てずに広がっている。頷いてそうだと返し、肩をすくめて見せて出ていくのを送り出した。
 ―――いいじゃない。それでもちゃんと目的を果たすんだから。
 ビールの残りをあおって、引き上げた膝に顎を寄せる。ゼノンは思い出し、デーモンの何かは、それに記されていずれ形を結ぶだろう。
 ―――オレの見てたものは、何なんだろうな…
 目を閉じて、あの光景を思い描くと、その向こうに真顔のエースがいる。その目が誰の何を見ているのかすら、決められない。部屋の便せんを指で千にちぎって窓からまき散らしたら、少しは思い出せるのかもしれない。


 昼前の街は、人通りも少ない。そんな中を、野郎がぶらつくのも場違いだと判ってはいるけれど、ホテルの退屈にも厭きた。買い物に出るライデンに誘われて、あちこち覗いて歩く。どこの都市も変わらない店と品で溢れているのは不興ながら、その日に
同じ物を何処ででも買えるのも確かだ。
 「それに、たまにはとんでもない物が残ってたりするしさ。」
 掘り出し物を見つけて、ライデンがいかにも機嫌がいい。
 昼食時になる前に、往来を見下ろせるパーラーで一休みすることにした。
 「昨日歩いたとこが見える。」
 言われてみれば、遠景に花盛りの公園があった。今頃は近所の奥さんでも歩いているだろうか。浅煎りのコーヒーに砂糖を落としながら、ライデンが言う。
 「この街には見覚えがないんだけどな…」
「え?」
 驚く顔に、言葉が繰り返される。
 「この街は、来たことがないんだよね。それに、みんなで花見なんかした事もなかったしさ。けど、昨日が初めてじゃないのも本当のことでさ。」
 ほのかな甘さと苦さを舌に残して、それで終わる薄さのコーヒーが喉にしみこんでいく。
 「ビール買って戻って行く時、みんなマジな顔してたじゃない?それで、オレが来て急に騒いだりしてね。それで思い出した。前にも同じ様で、なんかヘンだなって思ったことがあるって。」
「別に、そんなに気にするような事って、何もなかったんだよ。ただ、デーモンがやけにシリアスな顔したりしてて。何か構想でも浮かんだみたいなこと、夜に言ってたらしいし。」
 うん、とうなずきながら、それでもライデンの顔が晴れない。
 「ね、何でもないよ。エースには、オレがデーモンに見惚れてるってからかわれたけど。まーっ、確かにきれいだなとは思ってた。何かのシーンみたいでさ。」
 「エースはさ…」
 言いかけて、カップに口を寄せる。黙って続きを待った。
 「エースはデーモンと一番旧いけど、そういうのとは別に、デーモンが何を考えてるのか、オレ達より分かるんだよね。それで、黙って見てるんだ。見てるんだよね、みんなを。」
「みんなを?」
「前の時に、それを思い出した。何かしに行って戻って来て…それを、思い出したんだ。オレ、前の時に、その前の事を憶えてたんだよね。何だったのか忘れたけど。」
 言葉の後ろの方は窓の外に向けられていた。花の盛りと、その中を歩く姿がそこにあったのかもしれない。
 ーー思い出した?前の、その前を…
 「その、さ。前の時って、オレもいたの?」
「うん、今のメンツだった。」
「昨日みたいに、オレ、デーモンの顔を見てた?」
「たぶん。エースもデーモンの方向いてたし、ゼノンも端にいたと思う。オレだけ、その中には居なかったのよ。」
「離れて見てたじゃない、同じ事だよ。」
 言うと、ライデンがちょっと嬉しそうに瞬いた。
 ーーまた、花の散る季節か…また、また、ね。
 「なら、エースは、その前を忘れずにいたのか、オレ達より早く思い出したんだろうね。でもその方が、エースらしいじゃない。」
「らしい、かぁ…いっつもハタに居るのも、少し情けなくない?」
「それなら、いっつもただ見られてるオレの方が負けてるって。」
 笑いが、苦笑にならないのが嬉しい気がする。ライデンも少し笑う。
 繰り返すのも、きっと悪くはないだろう。思うのは、自由だ。
 「デーモンは、何か憶えているのかな?」
 ライデンが首を傾げて言うから、当たり前の言葉で返す。
 「デーモンがデーモンのままなら、憶えていてもいなくとも、同じだよね?」
 誉めているはずなのに、何だかおかしくて、また笑い合った。


 何を確かめようもなく、何度目かで自分達には今年最後の春が、小さな街を過ぎて行った。久しぶりで何度も春の盛りを味わったおかげで、不思議を思い出したのかもしれない。
 次の地は、今度はもう初夏に色づいていた。
 疲労を考慮して余裕をもった日程は、意外にも気力勝ちを果たしたおかげで、オフの飛び石となった。勢い、晴れようものなら誰が何処に行ったのか、把握できずに混乱するほどになる。多少の遅れはともかく、それでも予定の時間には皆が顔を揃える
のが、当たり前ながら不思議でもある。
 デーモンが、何処からか情報を仕入れてきて、散歩に誘う。
 「野郎が肩並べて、散歩もないよね。」
 言いながら、つい顔ほころばせてついて行くのも仕方がないが。
 何とか言う河川敷に、桜の並木が続く。もう葉桜もとおりこして若葉になっているがそれも爽やかで気持ちがいい。
 「桜は、花が終わっても、桜だと判るもんだな。」
「メジャーな樹だからね。」
「もっと他に言いようがないのか?」
 笑う顔に、木漏れ日がきらめく。歩くのに風が葉陰を吹きすぎて、それが揺らめいて見える。
 「デーモン、この間、花見の時に何を考えていたの?」
 思う以上にかるく言葉が口を離れたのに少し驚きながら、相手の顔を見ている。ゆっくりと瞬いて、その目が見返す。
 「花が散るのを見ていた。」
「それは、みんな見てたよ。それで、シリアスな顔で独り言を言った。」
「…それで誰かが滅入ってると、我輩は忠告されてきたんだが。」
「誰に?ま、誰でもいいや。そこまで言う奴もそう何人も知らないけどさ。」
 その誰かが、例の口の端を上げて笑ってみせる様が、目に浮かぶようだ。ライデン曰くの、わかっていて黙って見ている顔。
 「また、花の散る季節かって、あの時言ったんだよ。」
「そうか?」
 風が葉を鳴らす。
 「…今年は、何度も花を見れたな。散るのにもずいぶん合って、色々とまとめて見たし。きつい分、集中し続けてきたおかげだろう。」
「ふうん?で、答えはまだ?」
 追求すると、ふっと目が逃げた。捕まえるとまた脇に逸れる。
 「つまり、もう、憶えてないのね?」
 呆れて決めつければ、瞬間反論しそうな顔になって、また戻る。
 「その、だな…その時は何か考えていたんだが、その夜の内にまとめて書き付けてしまったら、それで収まってしまった。忘れてはもったいないと思ったんだから、その時はずいぶんのめり込んでたんだろうがな…」
「ああそう。それ見たら、思い出すんじゃないの?」
「無くしては困るから、家に送った。」
「手回しのいいこと。そこまでやれば、忘れるのも当然だねえ。」
 きれいさっばり忘れたと言われてしまえば、あの言葉にこだわる意味も、なくなった。
空を漂う、ただ特別なだけのもの。
 「しかしだな、ルーク、桜でも花が散れば葉が芽吹く。散るのが最後でもあるまい。それに、春は何度でも巡って来るものだしな。」
 先に立つのを追うように、デーモンが言いつのる。反論だと言うよりも慌てているように聞こえておかしくて、振り返って意地悪い顔で言ってやる。
 「それ、夕べ必死で考えたんだろうねぇ?」
 さすがに、エースに言われて気にして、とまでは加えなかった。
 「忘れてもいいよ。憶えていてもいなくても、それで結果がどうなる訳じゃないんだし。デーモンには、どっちでも悪くはならないものね。」
「なんか、ひっかかりのある言葉だな。」
「いい、意味でだよ。」
「誰にいい意味やら、わからんが。」
「…ふふふふふふふふっ」
 思わせぶりに声をあげて笑って見せる。反応をうかがう様子があからさまだったのか、デーモンも笑い顔で応酬してきた。この顔にはちょっと敵わない。
 「初夏ってのもいいねぇ、なんか爽やかそうでさ。」
 ーーエースも同じか。知っていてもいなくとも、黙って見ている。
 「我輩は、もっと強烈に暑い方が張り合いがあるが。」
「はりあい、ですか。アンタの季節感ってのは、そういう基準なのね?ほーんと、いろんな顔をお持ちで。」
「個悪魔的に、だ。」
「じゃ、公悪魔的に、あん時は見惚れるほどステキだったわけね。」
 そうして喧嘩口をたたいている方が、現実には違いない。その今を、風が吹きすぎていく。


 花が散っていた。
 辺りは明るいが、光ではない。どうやら風もないらしい。ただ、静かに花が舞いおりる、それを黙って見ていた。黙して眺める皆を見、見ている自分を見られていた。
 デーモンが何かを言い、それを聞く。何かを思って、その顔に続きを教えてくれて、少しだけほっとすると、笑ってくれる。どんな言葉だったのかは判らない。ライデンが駆けてくる。風が起こり、背に光が見えた。

 夢だ。それが、前の時だとは限らない。
◇桜宴◇完


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