踊 る 姉 弟   

  丸く車体を包む風防の向こうに、どこまでも同じ風景が見える。荒野と、その果てを切れ切れに渡っていく、この地に生き残った小動物の群れ。それにかぶさる、刻々と色を変える空。西の地の末に、白みを帯びた太陽が姿を見せている。
 眠っていたのかもしれない。
 彼が意識するかどうかなどお構いなしに、万物はゆっくりと前進を続ける。この惑星は、彼を少しも必要とはしていず、彼自身も、今はそれを大切なことと思っている。
 複雑きわまりないこの恒星系の“暦”を頭の中で繰って、大きく腕を伸ばした。この地での“午後”いっぱい、自分を忘れていたらしいことを口の端で笑いながら、コンソールの窓に手をかざして車を目覚めさせる。音もなく、あたりで唯一の人造物は、彼の小さな住居へと向かって飛行を始めた。

 「できればお会いしたい、と。ご友人と名乗っておいですでが、その、何分にも不審な民間機でありましたし、身分を証す物も所持しておらず…」
 恒星系のパトロール隊長が、口ごもりながら、わび口調で状況を説明する。
 「ご友人?何と…いや、どんな奴だ?」
 このひたすらに真面目な男に、ごくごく普通の質問などしてからかうのが、彼の小さな楽しみである。またも不得手を突かれた年輩者は、はぁ?と小さく口に出して目を見開いた。しばらくの後に、ようやくの一言。
 「――“賢者”のような…」
 デューザ・メイルは、思わずにやりとした。この男の、形式通りの中の誠意のようなものが、また見えた気がする。彼は、そのご友人にも、相手にも、大いに満足した。
 「見事な例えだ。“隠者”から出迎えに行こう。そう伝えて、待たせてくれ。」
「はっ」
 言葉と同時に、美しいまでの敬礼をして、パトロール隊長は画面から消えた。
 この辺境の、軍事的にも何にも価値を与えられていない小さな恒星系に、休養に近い任を帯びてきた軍閥貴族を、彼は本来の目的である恒星系一つと同等に衛ることに、何も疑問を持たないらしい。忠実な、軍人なのだ。

 双子の恒星には、一つきりの惑星と、中小七つの衛星があり、それぞれが複雑に影響を絡めて、曲芸のような軌道を描いている。七つ目の衛星が、その移動空域と距離の量をかわれて、パトロールの基地になっている。とは言っても、ただ、領域の端に旗を掲げているのに等しい。かすめて通る定期航路も、補給してやる戦域もない。
 そこに民間機で、身分証明も持たずに訪れ、“できれば”などと言ってしまう友人は他にない。だいたい、得体の知れない知己は多いが、誰の住む分野にも名と見てくれは大事なのだから、表向きは適当見事に取り繕っているものだ。
 純白の高速艇で基地に乗り付け、案内もさせずに奥へ進む。形はどうあれ、頭数のない隊員を出迎えで煩わせる愚に関しては、妥協はしない。
 客室に、旧い友人がのんびりと座って、待たされていた。
 “賢者”はゆっくり立ち上がる。デューザ・メイルも歩み寄って、その手をつかまえて握る。相手の、柔らかな掌と笑顔が、とても懐かしい気がした。
 「近くまで来たから、会いたいなと思って…なんだか、迷惑かけてしまったねぇ。」
「全く、相変わらず尺度のない奴だな。何百光年先に用があっての、ついでだ?だいたい、ここまでよくも一人で飛びきったもんだな?」
「双子の太陽ってのも、観たい気がしたし。」
 からかわれても、向こうは意にも介さない。どうせ、どうしようか考えているうちに着いてしまったのに違いない、すべてを超越するのは、彼の昔からの得意技ではある。
 「それなら、さっそく一回り、案内がてら行こう。向こうでゆっくり腰を落ち着けた方がいいだろう?」
「窓から見えた、きれいな船だね。」
「だが、あいにくと操縦者に恵まれてなくてな。」
 パトロールの労をねぎらって、基地を離れる。まれびとを彼らに貸し出してやるのは、後からで良いだろう。
  衛星を巡り、互いに公転し合う小型の太陽を観光するには、あまり時間はいらなかった。恒星系とは言っても、いくつかの衛星までを含めてが、引き合いをするほどの規模だ。一つきりの惑星にしても、適応できたものだけが残る程度の大気しか保持していない。小さな、家族だ。平穏の裏には、常に険しさが隠されている。
 「言い習わしによれば、赤いのが姉で、青いのが弟だそうだ。公転やらの関係で、時々揺らぐから、ダンスを踊るように見える。――だとすれば、死の舞踏だが。」
「踊ってるのの残像かもしれない…」
 窓から目を離さずに、相手はつぶやいている。
 「恒星も衛星も、大きさがそう変わらないから、軌道が複雑でな、引力圏の加減の度に、くらくらして妙な気分が味わえる。」
 最後の一言は、自分でも笑いながらの付け加えだ。言った後で、それで気が紛れるのだと、胸の奥底で吐く。いや、自分をそれで認識するのだ、この地に居るのだと。
 「お、いかん、“引の食”に入るな。」
 太陽を二つと衛星を直列させる“引の食”は、タビタビあるとはいえ、それでも素人が扱うリゾート艇には危険が大きい。
 強引に衛星を一つかすめて逃れようとしたが、タイミングが遅れたらしく、船が大きく揺れて、次に重い力がかかった。それもほんの一瞬だったが、同乗者を置いておきながら他に気をとられていたことを、強く恥じる。
 が、乗客は和やかな顔のままで、のんびりと感想を述べた。
 「本当だ、これは面白いねぇ。」

 「そうもたないとは思ったが、案の定、本当にすぐに飽きてな、でもそれも、じきに慣れた。どのみちこの星は“暦”が複雑すぎて、時間を計る意味がない。だから、日がな一日、調査と称してリゾートしているわけだ。これも仕事なんだから、もう前線には帰れんかもしれんな。」
 保存食料と、赴任時に運んだ少しばかりの酒に、とっておきの包みを開けて、珍客をもてなしながら、デューザ・メイルは久しぶりに舌をふるった。何しろ、パトロールたちしか手近には居ないし、この辺境に来れるほど、この戦下に暇をもてあます友人は居ない。
 それにこの旧友は、昔からいい聞き役の一人だった。呼びつけて相談をしているつもりで、話しているうちに自分で結論を出すのが毎度のことで、それでも彼は常に穏やかな顔で聞いていてくれる。ぽろりと、独り言のようにアドバイスをくれもした。その一言の何よりの“力”に、幾度も驚かされもした。
 「マイナスばかりにはならないよ。」
 少し目をゆるませて、友人は優しい声で言う。
 「するわけがない。」
 きっぱりと答える。激務に激務を重ねて、それでも休暇を、彼は拒絶し続けた。断るだけの理由は常にあった。自分一人で生きているわけではないが、自分なしで他が存在しているわけでもない。休んでいる暇はなかった。
 それでも、代案での今回の任務の命には応じた。期限の短さもあったが、休めないと念じながら、早い機会に自身を見直す必要も感じていたから。
 「プラスに、自分が作っていくものだ。」
 まるで己に言い聞かせるように。言葉として、口に出して。
  卓上の杯が揺れて、小さな響きをたてはじめる。
 「――あれ、れ?少し、酔ったかな?」
「いや。今夜の“食”は、ずいぶんと強引だな。」
 相手が肘を張って、テーブルで体を支えようとしているのに気づいて、笑う。この“賢者”殿でも、他に頼ることもあるらしい。
 「これは、でかい発見だ…」
 めまいに続いて、強烈な地震が襲った。壁のコンソールが警戒音を発した。よろめきながら近づいててのぞくと、計器類が危険値を軽々とオーバーして狂舞を続けている。パトロールの呼びかけが、とぎれながら届く。
 「至急、至急脱出願います。小型艇を出しました。至急脱出願います…」
「原因は何だ?」
「調査中です…近空域を、おそらくは巨大な引力源が…」
「わかった。すぐに離れる。」
 意識が、いや眠っていた頭脳が、一瞬のうちに冴え渡っていた。どの方角からの飛来にせよ、この、辺境とはいえ危ういバランスの恒星系を無視するだけの、何かが起きたのだ。戦闘があるにしても、今の時代にはそれを守るほどの余裕を持った、いわば儀礼のある争いのはずだった。
 それを、恐らくは、巨大戦隊でのワープ。
 「ここを出る。」
 民間人さえ優に超越しているはずの友人は、応えて、予想外の素早さで彼のそばに立ち、ほぼ同時に部屋を出た。会話もないまま、二人は優美な船で惑星を飛び立った。大気は彼らをあっさりと逃し、その先に小型のパトロール艇の灯が見えた。
 答礼を返しながら、傍らの窓から見やると、変わらずに小さく美しい惑星がある。
 「もう、ここの奴らもダメだな…」
 複雑だという事は、不安定だという事だ。外からの強い力でバランスが崩れた今、星たちは別れか死かどちらにも哀れに、軌道をずらしながら進むしかない。
 いつも遠目に見送った、細々とした命の群れも、今以上の環境に耐えられはしまい。
 怒りを、渾身の力で抑える。自分は、これから別の地で同じ事をするために、向かわねばならない。己の従っている、大儀のために。怒りで我を忘れている余裕なぞ、ないのだ。手を下すことの結路を見据えていなければ、何に自分の生きて、戦う意味があるものか。
 「――せっかく来てくれたのに、ゆっくりする暇もなかったな。」
 旧友は、彼の言葉にようやく窓から目を外し、そしてにっこり笑って、顔が見られたからと言ってくれた。それが自分のどの顔なのかは、問い返さない。どれもが、今は今のが、自分の姿だ。全てをプラスにするのだと、豪語してみせよう、いつでも。
 第七衛星の近くで、すでに重装備の大型艇が待機していた。収容され、コントロールルームで全乗員を確認する。友人を安全な背後に座らせて、艦長席から命令を発する。船は、もうパトロール用ではない、最も近い基地もしくは戦隊へ向け、発進した。
 今度はふり返るまでもなく、天井の局面全体に、いずれ壊滅するだろう小さな恒星系の、姿が映し出された。何も知らぬげに、そして確実に、双子の姉と弟は、死へのあるいはその先の残像であろうステップを踏み続けていた。
 「――それでも、きれいだ…」
 穏やかな独り言を、誰もが息を潜めて受け止める。彼らには、この姉弟を守る義務があった。彼らなりに愛、尽くしただろう恒星は、やがて早められた終末を迎える。
 デューザ・メイルは、まっすぐに、自分の選んだ道を見据えたまま、その言葉を聞いた。
◇踊る姉弟◇完


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