風 匂う 荒野   


 「懸かりそうか?」
「もう暫くお待ち下さい。…申し訳ありません。」
「いや、何…」
 急かすつもりではなかったから、反射とはいえ詫びられて、少し戸惑った。その照れ隠しに、荒野の先に連なる山並みを見やる。
 「少し、歩いてみようか。」
 車内に声をかけると、中に行儀良く収まった子供は、うつむいたままで頷いた。この子も、まだ、反射のごとくに従う意を示す。細い肩にこもって抜けない力が見える。
 「直ったら、拾いに来てくれ。」
「しかし…」
「危険ではないだろう、見通しも良すぎるくらいだしな。」
「それでは、少し戻ったところに川がありましたから…」
 その方向に行くと答え、ドアを大きく開けて手を差し入れる。エアカーは元々は軍事用の物だったから、無骨にできていて、不都合が少なくない。子供がおずおずとそれに触れ、一応は支えにして降りる。
 「さて、散歩だ。」
 陽気に言って歩き始めると、子供はおとなしく従った。半歩離れて、半身下がって。
 歩幅を小さくするのは、連れの子への配慮ばかりではない、何か懐かしい気がする。
 軍務についてからは、消耗船団のエンジンと砲撃音の響く合成金属の床か、その後は、グラスを落としても埋もれそうな、指揮艦艇や王宮や邸宅の、豪奢な絨毯の上を歩いてばかり来た。
 大地は、そのどれにも似ず、堅く温かい。
 が、それもただの感傷に過ぎない。彼は、衛星都市に生まれ育ち、軍に採用されるまで街を出たことがなかったのだから、本物の地面など歩いたことはない。もっとも、そんなことは、今の時代には少しも変わったことではないが。
 辺りは見渡す限りの荒野で、オレンジに近い、乾いた色の肌が単調に続いている。日差しはきつくはないが、まばらに散る岩の元にしか影が見あたらない。おそらくは長時間、この状態が続いたままなのだろう。見える川があったということは、上流にはまた違った風景があるのだろうが。
 やがて身体がほてる頃に、傍らの子供に上着を取るようにいい、自身の物と一緒に丸めて持った。白いシャツになって、互いに少し肩が軽くなった気がして、もっと早く思いつくべきだったとも考えた。どうやら、自分も緊張していて、配慮が足りない。
 失脚した旧友が、軍を離れ、この惑星で暮らしていた事は知っていた。政治と利権が絡めば、それも日常茶飯事ではあるし、彼も不本意ではあるがその中央に生息している。
 言ってしまえば、だから、いちいち構ってはいられなかった。下手に動いて足下をすくわれては、彼個人はそれで落ちぶれるなり死ぬなりですむが、一族郎党に従わせることはできない。成り上がりの小さいなりに、彼は『長』である。
 それでも、その友人が子供一人を残して死んだと聞いた時には、引き取ることを決意した。最期だけとはいえ、今度こそは、すべきことが自分にできる。今ならこの程度では揺るがない地位と富権を得ているし、これを逃して、宝玉で飾り立てた勲章がまた一つ増えればもうできないだろう事でもある。
 自負でも気負いでもあり、強いれば逃げかもしれない自分の行動を、余り考えたくはなかった。許される程度でのわがままな感情とでも収めておきたい。が、問題なのはこの先だ。誰かに預けるとしても、それに巻き込む子供の感情を放っておくわけにもいかない。
 景色が色を変えてから、我に返って、あわてて現実にいる子供を目で捜す。振り返れば、ぴったり半歩半歩の距離を置いて、ついて来ていた。途中、足早にならなかったか思い出そうと努めたが、記憶がない。
 不意に、子供が走り出した。
 一瞬驚き、次に追いかける。
 その先に、目的である川があった。地表で見ると大きな、少し赤っぽい流れだ。
 子供は、砂の瀬に膝をついて、手のひらを水に浸している。傍らに寄ってまねると、染み渡る冷たさが快い。汗ばんだ気がしていたが、風で乾いてもいたようだ。
 「最高だな、これは…」
細かな砂にも構わずに、そのまま腰を下ろして、大きく息を吐き、空に向かって伸びをする。見ると、子供は、まだ手を水に浸けたままでいる。
 「靴を脱いで、入ったらどうだ?何なら、泳いでもいいぞ。ここらは、危なくはないんだろう?」
「ほんと?」
 振り返りざま、初めて明るい声を出して、それからあわてた表情を見せた。
 「ほんとだ。もっとも、溺れても助けてはやれないぞ。こっちは泳げないからな。」
「本当ですか?」
 まだ、緊張は解け去ってはくれないようだ。
 「残念ながら、こういう自然の中では育たなかった。」 
 相手に、言葉の意味が伝わったかは判らない。この惑星で生まれのだろう子に、他の環境など測り知れるはずはない。それでも、うらやんでいる彼の気持ちは、多分少しは感じてくれているだろうか。
 裸足になって裾を膝の上までまくり上げ、子供は瀬の辺りを歩き始めた。荒野を流れる川だから、太いとはいえ、なだらかな浅瀬は広くはなさそうだ。子供なりに、用心しながらのふしがある。
 それを目で追いながら、彼もまねて靴を脱いだ。少し追いかけながら、流れが肌を伝って去る感触を楽しむ。幼い頃、街の人口のせせらぎで同じ事をして、小言を食らったのを思い出した。感傷に浸りそうな自分に照れくさくなり、水を離れる。
 見回してみると、川辺に案外色々な物が流れ着いている。何処か上流にはまだ木立があり、豪雨も少なからずあるらしい。荒廃を続けていく大地に、束の間遊ぶ人間達。
 まだしなりそうな枝を拾って、昔は得意だった細工を始める。貴族様には成り上がっても、何しろ現役の軍人であるつもりだから、道具は常に携えている。
 エアカーが到着したときには、二人は数匹の魚と、甲殻類を一抱え収穫し終え、火をおこして調理まで始めていた。
 運転手兼任の部下は、友人の子を引き取って帰るだけの旅のはずが、すっかり親子然ではしゃいでいる有様に、しばし呆然とした後で、料理番の役を二人から取り上げた。
 既に焼き上がったぶつ切りの長い魚の黒こげ皮を歯ではがしながら、一息に暗くなる川面に点滅する虫の光と、早い星を堪能してから、彼は言い放った。
 「よし、今夜はここで野宿だ。」
 翌朝、むき出しの荒野の肌寒さが抜ける頃に、実生活経験に長けた部下が、焼き魚の残りで香ばしいスープを仕立て、携帯食料の味気なさを十分に補ってくれた。
 サバイバル気分をたっぷり味わってから、のんびり出発する。もう、先の先の空港発の定期便に間に合わないのは判りきっている、慌てる旅ではなくなった。

 のんびりついでに観光までした、経過地点の空港で、ばったり懐かしい顔に出会った。休暇中だという相手と、引き返して宿を取り直す。
 部下は羽を伸ばしに行かせて、すっかり馴染んだらしい子供が一人遊びする脇で、昔話に花を咲かせる。共通の友人や互いの既知の消息を交換し、話題になった女の子達の噂を探る。
 学生だった頃に戻った気分で、夜も子供を寝かせた後に、今度は酒を酌み交わして話を続けていた。
 話が尽きたときに、相手はその件を持ち出した。
 「迎えに来たんだ。」
「やはりな。そんなところだろうと思っていた。」
「実のところは、会って驚いた。」
「よりによって、こいつが先に来ていたとは思わなかっただろう? 今更、のこのこと。」
「ご正解。…まあ、のこのこと迄は、遠慮しておくけどね。」
「御厚意、有り難く頂こうか。」
 先回って言うことを、否定はされない。この友人がそういう点でシビアな奴だとは、十分に承知している。痛くはあるが、指摘してくれるだけ、自分が彼に評価されているのだろう。
 「随分、懐かれてるようだね。」
「何しろ、一緒に釣りをして食った仲間だ。こっちもそれで、緊張していたのが解けたわけだが。」
「で、このまま引き取って、養子にでもするつもり?」
「それは無理だろうとは考えてはいたが…」
 目の前に引きずり出された難問は、少しも解決してはいない。今ならば、少なくとも自分としてはそれが可能となった。地位もある程度は固まったし、子供も予想以上に馴染んではいる。だが、初めからの考え通り、名門の貴族ならともかく、叩き上げの軍人の子としての環境は、押しつけ難い。
 かといって、誰か適当な人材に預けると一言ですましても、それを選びかねているのが正直なところだ。迎えるにも、送り出すにも、一人の人格と将来なのだから。
 答えを決めあぐねて、指の中で揺れる液体を眺めていると、相手は冷ややかに言い放つ。
 「無理、だね。考えるまでもなく。」
 判定されて、顔を上げる。相手の、少しも酔いのない顔を正面から見ることに恐怖はないが、言われた言葉の衝撃は大きかった。しばし、言葉がでない。
 「休暇が終われば、軍人に戻る。それをあの子にフォローしてやれる家族を、すぐには作れない。子供の方にしても、状況を活用できるほど成長していない。」
 主文の次は、その理由が続いた。抵抗すべくも無い、客観性に満ちた現実。
 「そうだな。しかし、ここに来たことを無駄にしたくはないな、あの子にとっても。」
 それは、自分でも、本当にただの抵抗に思える言いぐさだ。
 「まあ、人のことはいえない。こっちにしても、迎えには来たものの、どうするつもりでもなかったしね。」
 少し、友人は笑った。
 どちらも、曖昧なままで、ともかくも気持ちだけで迎えに来ていたのだ。子供のことを考えれば、最良の方法はすぐには見つからない。
 内心で、昼間から数えあげていた友人の名を繰り返し始める。自分でなければ、誰が一番にふさわしく、そして応えられるか、を。
 友人も、静かに杯を干しては、満たし続けていた。

 遅い朝食がぎこちなく始まり、子供は苦そうに時間をかけてジュースを飲んだ。大人にも、食後のコーヒーの香までが重い。
 席を庭先に移し、外を眺めながら飾り物の果実を手でもてあそぶ。やがて、ようやくに、足下に座ったまま視線をはずす子供に尋ねる。
 「昨夜も色々考えたが、私はまた戦場に戻るし、これからもこうしてゆっくり過ごすことはできない。」
 子供が顔を上げて、彼を見る。
 「それに君を、今から軍人の子供にしてしまうのは、多分よくないことだろうと思う。だから、君がなってみたいような人の処で、少し一緒に暮らしてみた後で、もう一度、私の処に来るかやめるか、それとも違う処に行ってみるか、決めてくれないか?」
「それって、一緒に行っちゃダメって事?」
 小さいが、はっきりした声が問い返す。
 「違う。一緒に帰って、いやになってから捜してもいい。けれど、そうするよりは、ずっと、君のためにいいと思う。」
「本当に?」
「うん。」
「それなら、そうする。おじさんが一番初めに来てくれたんだから、おじさんの決めた人のところに行く。」
 即答だった。
 本当にあっけないほどの子供の回答に、一気に力が抜けていくのが判った。これでは、やはり自分では第一に役不足だと思い知ったところに、気の置けない友人の、学生時代そのままに、励ましの蹴りが入った。                                     

                                                                   ◇風 匂う 荒野◇完



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