鍵 を つ る し た 木 の 噺
 


 盗み見るのは本意ではなかったが、伝説のような噺そのままに、鍵を下げて立つ木を見てしまうと、誰かが来るのを待ってみたくなった。
 近くの木陰に入り、体を休めがてら、訪れる者を待つ。そうはいってもこれも空事のような姿態の森の中なのだから、時が確かに過ぎているかどうか、判ったものではない。待つのが永遠でなければ良いがとは思った。

 人の来る気配がし、やがてその長身が見えた。髪も衣服も垂らすように細く長い。その姿と中空との境も怪しい辺り、伝説の次元にでも、入り込んでいるのかもしれない。垣間見える顔立ちも、印象が強いだけで、はっきり眉が見えるのでもなかった。
 ともかくもかの人は、鍵を吊した木の傍らに寄った。
 服の長いひだのどこからともなく、鍵を取り出す。銀に輝く、不思議なほど細い鍵は、そのまま銃にも見えた。小さな銀の玉を詰め、銀の十字架を掛けて飾られた、前世紀の魔除け。それをしばらく眺めてから、彼は自身の髪を指に絡めて引き抜いて、鍵の穴に通した。
 葉のない細枝が、下げられた鍵の重さにしなる。傍らの金色のと触れて、高く音を立てた。一つ揺れると波紋が広がって、枝先毎に違う音が共鳴を重ねる。風が運べばその響きは、地平の先まで届きそうに美しかったが、彼方では振れの違いで別の旋律になっていそうでもある。
 その音降る中をゆったりと回って、一つの鍵に手を伸ばす。蔓草の飾りでもありそうな、いぶした色の。細い指で枝から外し、自身の衣のどこかに収めた。
 そして、静かに、去っていく。下げた鍵を惜しむ気配なぞ、その背には少しもない。かといって、選んだ鍵に心躍らせるような足取りでもなかった。
 残された木も、今は音も絶えて、ただそこに在る。

 二人目を待つまでもないと判じて、森を先の道とは逆に抜けた。
 伝説のごとくに伝え聞いた噺の、その様を見て、自身がそれをどう感じたかもよくはわからない。言葉での形容はいくらでも美しい、想じる絵はどうにでも飾れる。それに怒っているのか、実在を確かめたのが不快であるのか、どうと言えるものではないだろう。
 快くはない。かといって、見たことは総て自身には現実で、誰かにはそれが真実なのだ。木は、数えきれない鍵を下げていた。吊しに来る者は、まだ多いだろう。知れば望む者は更に、そして、鍵になぞらえ得るものは誰にでもある。至って、それに何より気塞ぐのだと合点する。

 『鍵は』―――『鍵は一度使うとその者には形を変えて、二度とは合いません。
    ですから、その、約束された木を捜さねばなりません。下げれば鍵を手放し、
    別の鍵を手にすることもでき、閉じた扉を再び開くこともかなうのです。
    貴方の鍵が、他の、同様に哀れな誰かの胸に合うことも、ありましょう。』
 言葉は、今日もどこかで、まことしやかに語り継がれている。
◇鍵をつるした木の噺◇完


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