方   陣


 カチリと音を立てて、赤のユニコーンが一つ進む。
 格子を切った、黒い基盤の底で、遠い恒星系が大きく揺らいだ。勝ちを一つ収めた満足げな笑いが頬に浮かぶ。
 赤のユニコーンが傍らから順に、青駒の色を消していく。囲われた野馬の黒い背が、白く変わって従属の意を示す。盤上の半ばまで、が一気に陣を広げていた。
 手持ちの銀河の先半分が、青の聖者の支配を離れた。
 「三角(トライアングル)とは、理不尽な。」
「陣(スクエア)を四角(スクエア)に取れとは規則(ルール)には無い。何より、基盤は認めているではないか? それとも、例によって、貴様が勝手に定めた規範(ルール)か?」
 青の聖者は顔をしかめた。が、意地悪く笑う敵将に言い返す言葉はない。

 「そこ、もらったぁ!」
 声と同時に走る閃光。少し遅れて、爆音が届く。
 「へっへぇい! …あら、左七十度、旋回頼むねぇ…」
 砲手をたしなめる暇もなく、ぎりぎりで、敵の攻撃をかわす。
 「のんびり言わないで欲しいねぇ、こういう指示は。」
「いーじゃないすか、そんで間に合うんだからさ。ほい、お次、背中から来てるよ。」
「ったく!」
 信頼にもほどがある、と内心吐きながら、口に出している余裕まではない。言葉で伝えられるよりノロい光線波を、最小限の動きだけでやり過ごす。多少種族が違うくらいで、少なくとも視覚に、これほどの差があるのだとは思いたくはないから、砲撃手の何か特殊な能力と、彼と組んでいることの幸運さに、とりあえず感謝しておく。神にではなく、自身の進む先にでも。
 ご当人は知らぬ事で、ほんの小休止の中で、隊の動向に興味を向けた。
 「右、来てる?」
 ちらり、その方角に目をやりながらも、牽制の手は休んでいない。
 主隊は、計器の観測域の下端に点滅している。更に向こうの右翼は、拡大域図にのみ確認できた。作戦の二次段階へは、もう進めそうにない。
 「少し遅れているようだ。後ろに回ったくらいの方が、やり易いんだろう。」
「だろうねぇ… そんじゃ、も少し先に行きますか。」
 ひらり、と何か白銀の柔らかいものが閃いて見えた気がした。計画の変更は後位にある参謀たちに任せて、活用しがいのある先陣地の確保に専念する事にする。
 「気持ち半分、右に寄る。」
「オーライ… とおっ!」
 正面にわいて出た小型機が、至近弾一つで叩き落とされて、敵の小隊に進路を譲った。

 「遅れたようだね。」
「大丈夫だいじょうぶ。」
 笑って答えながら、スクリーンに投影された戦況を見上げる。
 猛攻タイプの左翼が走るのはいいとして、この大型艦を守るもう一方の翼先が追いついてこない。極彩の点が、その周囲での激戦を示している。新しい将の腕馴らしには、今回の戦闘は少し荷が重すぎたらしい。それでも、彼らはまだ、わずかながらも前進を続けている。
 「…予定を少し変更しよう。」
 応援に隊をさく指示を出し、船首の転回を伝達させる。そして、二つ並んだコンソールの片側で、そのもっとも確実で利の多い地点が計算されるのを待つ。
 「ここかなぁ…」
 スクリーンに、強い赤が光を放った。曖昧そうでいて、相手の様子をうかがうことのない、彼なりの絶対の位地。
 そこから均等の距離を置いて円陣を描き、更にいくらかの可能性と期待と自負を重ねて、弧を切り分けていく。今はシュミレーションにかけるだけの時間がない。
 「…やっぱり、右二つ目のが、いいかもしれないね。まだ先鋒も臨界は超えてないようだし。」
 彼も、左翼の機能を高くかっているらしい。
 検討を求めたい時には確実に応えてくれる僚友に、内心で感謝しながら、実際には揺るがないだろう決定を下す。
 命令は速やかに伝わり、目的地とその先の行動に向けて、艇は速力を増した。

 盤上では、赤の指し手が確実に相手方の領域を落とし、野を埋めた黒を手に納めていながら、盤下に続く異次元での戦闘の結果がそれらをまた奪い去っていく。赤は、すでに体勢を崩しているように見えた。一度は得た空域への侵略を許し、守護されるべき中枢隊は撤退に移りつつある。じきに、先行した左翼はちぎれ、補給を絶たれるに違いない。
 青の聖者は、敵将の自信に満ちた薄い笑いが消えるのを、苛立ちながら待ち続けていた。何か思惑があるのなら、それらしい心配げな芝居くらいするだろうに、相手は平穏を装い続ける気でいるらしい。
 ついに、勝利を確信して、彼は声を発した。
 「さて。」
「腹でも減ったか?何しろ神にあっては、飽食の最中であらせられたようだからな。」
 傍らにのけられた、色彩と香料とで飾り立てた食間の楽しみを目で指しながら、赤の王がからかう。言葉で言われては、その豪奢な誘惑も不快に響く。睨み上げると相手が、期待にかなった反応に満足げな顔を見せる。
 「さすがに吾輩も誘惑を感じるな。何しろ、はるばる遠征して来たのだから、小腹が空いてきた。そろそろ切り上げて、帰り支度にかかるとしようか。」
「何を、捨て台詞を。負けなど、そろそろもなく言えるわ。」
 それに応えて、はっきりと、赤の王が笑った顔を作った。
 一瞬、気を取られた間に、視界の裾で、盤の青が切り取られるように失せた。
 赤の陣とは離れたで、今まで勝利を信じていた青のユニコーンは敵陣に落ちていた。そこから赤の死守していたわずかなまで、盤上のあらかたが囲われて、色を転じ始めた。
 「ば、馬鹿な… こんなはずが… こんな事があって良いはずがない!」
「それでは、神もただの権力も同じになってしまうぞ?もう少し御利益のありそうな言葉を考えるまで、待ってやるくらいの余裕は吾輩にはあるぞ。」
 その嬉しそうなお節介に、永らく椅子を暖めていた聖者は逆上した。
 盤上のを掻き回し、南国の果実と北方の乳で飾った、大きな菓子をつかんで投げつける。そのどれをも破顔しながら軽く避けた赤の王は、ゆっくりと席を立って敗者に迫っていった。

 僚隊の歓喜の声に迎えられて、初めて勝利が確実に感じられる。声や指令が伝わるとはいえ、どんな船でもその内は密室には違いなく、正直なところ、自分の身体を振動させるものほどの真実味は他の何にもない。
 それぞれが自分の感情で勝利を味わいながら歩を進め、そして散開する。
 左翼、右翼、そして主峰。それぞれの将が残って、互いの歩調に合わせながら声をかわす。その先に、赤の頭領が立つ。
 「ほれ、戦利品だ。」
 宝飾と金の細工で飾り立てた王冠が、重く弧を描いた。
 「どうせ吾輩にはかぶれん。」
 受け止めた一人が頭に戴き指をさして笑われ、相手の胸元に放る。
 「これ、直接その髪に絡んだら?」
「同じ金では、面白くもないな。鋳潰して、細工物でも作るか?」
「で、誰を射落とすわけ?」
「それより、金に換えてさ、派手に打ち上げちまわない?」
 「…結局は、腹に納めちまうのね?」
 右翼の若い将たちが、その笑いに戸惑いながら中に入る非礼も犯せず、困惑顔で立って、騒ぎの終わるのを待っていた。
◇方陣◇完

このページの初めにもどる     『懸軍万里』の扉へもどる
TOP
「「伽眺風月」へもどる」