昼 逢 魔                  


 ずいぶんと半端な時刻だ、と思う。
 駅を少し離れた広場の、花を抱える彫像の前にも、座り込んだ若い男の他には誰もない。もう一度時計をのぞき込み、もう一つ用をこなすには足りないと諦める。石の台座にもたれて待つ間に、それぞれにここで落ち合っただろう連中の、次の店にむかって流れるのを、なんとなしに眺めていた。
 ―――で、その心は…? まあ、どっちにも平和で、正直なもんだけどさ。
 植え込まれたばかりの苗のつぼみが、甘さを漂わす。刻まれる『時』の歯車の、その音など気がつかぬ、平穏の景色。
 ―――何だか、オレも忘れちまいそーだ…
 春も遠からぬ、とある一日。冬着ではもう汗ばむほど、昼の日差しが強い。
 気がつくと、先ほど独りで通り過ぎた黒いコートの女が、また過ぎて行く。その背が、引き込むように強い。くせのある黒い髪の香気に、辺りの空気が色を変えるような、その後ろ姿に日が陰って見えるような。
 ―――何だ、こいつは… こいつ… っ、しまった!
 視線に気付いて振り返った女の、目に捉えられた。
 硬直して抵抗する身体から引き剥がされた意識が、背後から彫像の影にわしづかみにされるのを、息をつめてこらえる。耳の奥で、ずれた歯車がぎりギリときしむ。
 「ねえ、」
 不意にかけられた声で、我に還った。
 先から傍らに座り込んでいた男が顔を上げている。どことなく際だつ、幼くも長けても見える貌が、ひそむように笑っている。
 「あんた、フツウのヒトじゃないだろ?」
「――― …えっ?フツウのヒトって?」
 慌ててしまってから、言葉以上の意味のあるはずがないと思い直し、その目を見てやり返す。
 「そーだ。でも、オマエも随分フツーじゃないぞ。」
「そりゃー、さ。ふふっ…」
 笑い、そのまま往来に向き直ってしまった。
 ―――なんか、こいつも妙な奴だ… たく、遅いなぁ、あいつ。こういう時に限って      早く来ちまうし…
 「ほら、また来た。」
「え?」
 言われて見ればあの女が、また同じ方角に現れたところだった。その姿に傘さすように日が陰り、風がよどんで巻きあがる。
 ここにいたっては逃げ出すわけにも行かないと腹を決めて、とりあえずより危険の少なそうな奴に倣って、しゃがみ込む事にした。意を構えて待てば、女の気配は今度は頭の上の空をかき回しただけで過ぎて行った。思わず、それを見上げる。
 「こりゃー、あいつ、また来るな… けど、オマエ、ほんとに何なんだ?ここで何してるんだ?」
「ここでこうしてると、見えないモノが見えるんだ。それだけでさ、オレがどうこうしてるわけじゃないよ。」
 薄笑いする、目が光って見えるのは、日差しのせいかもしれない。言うとおり、ここがただ『磁場』に当たるのかもしれないが、冷たい恐怖と、温かな不安と…
 「…あ、」
 向こうから、こちらを見つけて、花壇を回って走って来る姿。ようやく、待ち合わせの相手がご登場だ。
 「おー、悪りぃ… 飛び込みが入っちゃって… あら、あんたの友達?」
「今、話し始めたとこ。…じゃね。」
 立ち上がって尻を払うと、一番新しい知り合いが、相変わらず座り込んだままで、愛想よろしく手を振って笑った。またなと答えて、振り返す。
 停めていた車に乗り込んで、ようやく息をつく。
 「ため息なんか吐いて。」
 興味あるぞと顔中に書いて、相手が笑う。
 「あそこ、どうも『磁場』らしいや。立ってから見れば、なんだ、世仮の、ヨシノブ君じゃない。」
「先は何に見えてたんだ?」
「まさしく、デーモン小暮…猊下、だっけ?」
「だっけ、は要らん。」
「それに、魔女が居た。何度も同じ方向から来て、通り過ぎるんだ。目が合って引っ張られそうになったけど、しゃがんだらスカーッと抜けてった。」
「あんたにナンパして欲しかったんじゃないの?昔から、こっちの世界は、よく逢い引きに使われてるがな。」
「今じゃトレンドって?やめてよね。…それにしてもアイツ、」
 確かめようと振り返り、見た状況に唖然としていると、連れも不審げに向き直る。
 そこには、さっきまでのとっても変さはまるで無く、フツーでないだけのオトコのコと制服姿の女の子の姿があった。どう見ても、遅れた方が優勢だけれど。
 「どうも、小悪魔も出没するらしいな。」
「あーあ…、気がぬけたらハラ減っちゃった。」
 キスの反撃に鞄できっちり殴られたところまで確かめて、車は走り出した。
◇昼逢魔◇完

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