H E L D E N |
ヨーロッパセンターのマークが、確かに何処にいてもよく見えた。 デーモンは静寂の壁の上に立って、塔の高さとその威光の届く距離とを目測していた。壁に沿って東に続く非干渉地帯の先からも、反映の象徴は遠望できるだろう。もっとも、ネオンの放列に彩られた夜空だけでも充分に、栄華とそして退廃は知れるのに違いない。 視線を転じた先の自由の通りで、針のようにやせた娘が車に駆け寄っては離れて、金をくれる客を捜している。 「何してるのさ、こんなトコに立って。」 背から声をかける者が居る。わざわざ後ろに姿を現すのはルークだ、声を作っても主が判る。 「天使を捜しに来たが、景色に気をとられていた。」 「天使ぃ? …すぐにこれだから。デーモンて結構ミーハーなんだよなぁ、謹厳な宗徒どもが嘆く声が聞こえてきそうだ。」 「権化殿に断言されては救いようがない。」 ルークは、爪先立ち両腕を広げてバランスをとって歩き始めていて、返された言葉には関心を示さなかった。何も飾っていない肩が後ろからは妙に薄く思えて、デーモンは今度はそれを眺めた。 視線に気づいてか、ルークがくるりと顔を回して言う。 「それなら、ポツダムの広場か天使像の肩にでも行ってみた方がいいんじゃない?」 口調ではからかっているが、向けられた目が笑っていない。ルークは責めているらしい、そう思う理由が己にあったかと自問して、デーモンは僅かにうろたえた。しかし目を逸らしてはあからさますぎる、顔を作って応酬する。 「随分と詳しく憶えているものだ。」 「…ああ、あの天使は人間になったんだっけ?なら、あの塔の上とか、妙にセクシーなロックのステージとか。」 ルークが、今度は目を新月に細めて笑い、更に責め立てた。 「図書館にもいたっけ? あの天使たちのひたむきさって、どこかの誰かを連想させて、辛いものがあるねぇ?」 僅かに意地悪く口の端をつり上げてルークが言う。恐らくはエースの言だ、低くかすれた声がそれをなぞる様が浮かぶ。それにゼノンかライデン辺りが神妙に頷けば、ルークはきっぱり信じ込むに違いない。その光景がありありと想像できて、蔭になった側の顔でデーモンはこっそりと笑った。相手にさらした側は、変わらず不快げに固めておいて。そして、話題を転じる。 「別に、居なくても構いはしないが。」 「居たら面白いだろうけどさ。…よぉ、兄弟!」 おどけた振りをつけて、ルークは空に声をかける。無論、闇は何も答えず、言葉だけが遠くまで過ぎていった。 「しかし、居たら一度くらい話をしたいものだな。ここに繋ぐ天使と。…まあ、実のところ、ちょっと確かめてみたかっただけだ。」 「おっさんの天使を?」 バランスを崩しつつ、ルークは平均台よろしく優雅に後退する。それを危なっかしいという顔で見守りながら、デーモンも従って歩き出した。 「いや、『もう繁栄しなくていい』と、書いてきた奴がいてな。曰く、ここが西側の表看板の街だから、壁の向こうから見えるように栄華を極めなければならない。それが、これでやっと終わるんだそうだ。」 「うへーっ、いかにもアンタの信奉者らしいや。自分で観たこともないくせに、よくもそこまで言っちゃえるもんだ。」 口調は常の彼らしく軽いもので、不快はない。第一、今度は目が笑ったままだ。 デーモンも静かに話をする。 「そう言うな。自分でも浅いなり、必死で考えているんだろう?そこを認めてやりたい、吾輩としてはな。」 「可愛いもんじゃないかって?」 「…いかにもエースの言いそうなセリフだ。」 デーモンは笑いながら指摘し、ルークも高く声を上げた。それからくるりと体を回して、スキップでしばらく進み、もう一度振り返る。 「…で、教祖様がその目で確かめてのご感想は?」 ルークのまだ笑みを残した表情に横顔を見せて、デーモンは西の方角を眺めた。壁は人の背の倍ほどもなく、至近から先まで建物が並んで、視界はひどく遮られていた。上空は、薄明るい曇天でしかない。 視線をルークに戻す。その背で、壁が少し途切れていた。暫く前に、それの崩される映像が世界に流された。東からは厳正な灰色が公共の力で、西からは文字とアートに埋められたものが老若の市民の手によって、壊されていた。 問いにどう答えたものか考えていたのだが、言葉が見つからなかった。それを自分に対し断定した子と、この変貌を続ける街と己の目に映るものとを、公正に繋げて考えるにはまだ何か足りないことがあるように思った。 「…静かな、ものだな。」 言葉に少し首を傾げて考えてから、ルークは先の壁に軽々と移って振り返り、名を呼んだ。デーモンも飛んで彼に続いた。 重なって去り往く二つの影を、地に繋がる天使が見上げていたかは、無論、誰にもわからない。 |
◇HELDEN◇完 |
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