晴 れ た 日 に は 羽 を ひ ろ げ て |
「これも、楽だし気持ちはいいんだけどなぁ…」 独り言が多くなる。今も、上着を脱ぐついでに口をついて出てしまった。連れがいれば何か答えてくれるだろう、だからこれも、自分が望んでいる事の証左かもしれない。 汗ばんだ頭を一つ二つ振って、なるべくつぼみの少なそうな辺りに腰をおろす。何しろ見渡す限りの見事な花盛りの高原で、避けるわけにもいかない。 「なるべく、なるべく、だよなぁ。」 見上げる好天、空が何処までもうす青い。乾いた風が、歩き続けてにじみ出た汗を蒸散させて渡っていく。起伏のない草原がはるかに続き、その先には、濃い緑が眺められる。けれどまだしばらくの間は、花の園を進むしかなさそうだ。ぜいたくは承知で、それが何か辛い気持ちになってしまう。 「ま、それも仕方ないよなぁ…」 その花の間に仰向けて、全身で伸びをした。息を吐き出して、筋肉を弛緩させる。草にしてみればようやくの仕事、心痛まぬわけではないが、心地よいのは正直なところだ。このまま昼寝なぞに入ったら、さぞ至福なことだろう。 不意に、傍らから、くすくす笑う声がした。 半身を起こして見ると、すぐ先に先客があった。 「あ―、悪い。まるで気がつかなかった。寝ていたのを起こしてしまったのかな?」 さすがに少し恥ずかしい、頭を掻く。相手も起きあがって、こっちに笑いかけた。 「いえ。それより、笑ったりしてすみません。…だって、どう見ても一人しかいないのにあんまり声が大きいし、あんなにしっかり花を見て避けておいて、このでかい身体にはちっとも気付かないし。それに…」 そこまで続けて言って、笑った後で、さすがに息が切れたらしい。しばらく先が出てこなかったから、若い男の姿を眺めた。たっぷり焼けている。短く刈った黒い髪、よく動く真緑の目。優しげな顔立ちにアンバランスな色の濃さだ。それを強調するように、細くて弾力のありそうな手足。耳先の細さが、何よりも彼の出自を物語る。 けれど、なんとおかしそうに笑うのだろう。これでは誰でもつられて口元がゆるむに違いない。 「それに、なに?」 「…え? ああ、笑ってる内に忘れてた。」 「おいおい、こっちはそれを待ってたんだよぉ〜」 また笑って、それから大げさに息を吸い込んで喋りだした。 「変な人だなって思ったけど、さっき自分もまるで同じ事を大声で言ってたのに気付いちゃって。それで、我慢できなくなった。」 「同じ? まるでって、まるで?」 顔いっぱいで笑いながら、思い切り頷いてくれる。ここまで楽しめるのなら、何も独り言なぞ要らないような気もするが、それはそれ、この若い男が演じるその光景を思い浮かべてみて、笑い出してしまった。 「ね?」 「うんうん、おかしい。」 二人でしばらく笑い転げた後で、食事をとろうと話がまとまり、男は戻って水を汲んでくると歩いていった。見れば、忘れて転げ回った、辺りの花とつぼみが押し潰されてしまっている。せっかく避けたのも無駄になったが、互いが選んだ場所が、花の少ないところでまだしも良かったとも言える、そう考えることにした。 干し肉の塊をナイフで薄く削りながら、どこかで小鳥がさえずる声を聴く。 「相手ができるなら、もう少し楽しい食料も捜して来るんだったな。」 口にしてまた、もう一人も同じ事を声に出すのかもしれないと、笑ってみる。 相棒は、赤い実の汁をにじませた布に、芯芽や辛い木の皮も集めてきてくれた。おかげで豊かな昼食になった。 彼は、母親に会いに行くのだと話した。小さな農場を、今も続けている。自分は街に出て、そこで出会った娘と暮らしていて、もうじき赤ん坊が生まれるのだ、と。 「母さんが良ければ、子供をそこで育てたいと思うんだ。力仕事も手伝えるし。」 夢を語る、いや実現しかけているのを誇らしく語る目だ。 「子供かぁ… なんだか君は、どんどん歩いていく感じだね。」 「どんどん? うん、そうだね、そんな感じかな…」 首を傾げてみて、また笑う顔になる。 「それに、よく笑う。」 「それはオクサンにもよく言われる。こんなに楽しそうに笑う人は他にいなかった、が今じゃあ、何がそんなに嬉しいんだって、怒るんだ。」 「ほんとだ。ふつうは、角のあるヤツを相手には、あんなに笑わないもんだよ。」 「あはは… またオクサンに呆れられてしまうかな。でも、その角は怖くないもの。」 「おい、それで済まさないでくれよ。」 さすがに言えば、ずっと笑った顔の男があっさりとかわす。 「ボクの父さんには羽があったよ。真緑の、ゴム布みたいな感じの。それに飛ぶのが好きだったみたい。太い糸を付けて凧揚げの真似をして、飛んで見せてくれた。」 「…」 「だからボクも、大きくなったら同じように飛べるんだと思ったりしてた。」 「…そうは、いかないよな…」 それでも、相手はまだ明るい顔のままで話を続ける。 「羽が無かったんだよね、ボクには。今でもちょっと惜しかったと思うけど。」 あまりに太平楽なもの言いに、この辺りでは魔物が多いのだろうかという気にもなったが、まさかそんなはずもない。ならぱ、この明るさは不思議だ。 「街の中では、この目と耳は少しやっかいだけどね。」 「この辺は、多い方なの?」 「沢山はいないよ。そんなに居たら、誰も隠したり疑ったりしないし。」 風が吹き抜けて、花が揺れた。 「でも、好きになった人がそうだったら、仕方ないよね? ボクの母さんは何でもそんな風に言って笑ってたから、他の人がそうは思わないってのは、ずいぶん長い間分からなかったけどね。」 「魔物は魔物だからね。魔物にとっても、人間は人間だけど。」 「しょうがないじゃない、ボクなんか生まれた時にもうハーフなんだし。それで辛い思いして、あれもこれも憎んで育ったってわけじゃ、ぜんぜんないんだものね。」 「いいご両親だったわけだ。」 それで笑顔で居られるのなら、はばかりなく居ればいい、それだけだ、と生粋のままの魔物は思う。人の世に短く生きるのなら、こう笑える者が多ければ。捨てることも逃れることもできない現実なのだから、せめてこんなふうに。 「…そろそろ腰を上げないと、行く途中で夜になってしまう。…あなたは、どこまで行くの?」 尋ねられて、海沿いに出てから南下する予定を告げる。仲間達もそれぞれに、そこに向かっているはずだ、自分一人が花敷く道を踏んで安楽の旅をしている、とも。 「ああ、それであの独り言にかるわけか。」 納得したと、また笑う。別れるのが寂しくなるような、明るい顔で。 「それじゃあ、もしボクのオクサンに会うことがあったら、よく笑う男がいたって話をしてやってよ。泣いて逃げられるより、いいから。海沿いの街の、ずっと山よりのところに家があるんだ。」 「会って、いきなりそんな事は言えないなぁ。」 「すぐ判るよ。すごい赤毛で、目もちょっとピンクっぽいから。隠してるから、耳はきっと見えないけど。」 首を傾げて見ると、笑いながら軽く続ける。 「だから、ボクがいつも笑っているって、文句を言う。それに、産まれてくる赤ん坊の心配ばかりする。そりゃ、片目が真っ赤でもう片っぽが真緑だったりするのは、ちょっと困るけど。」 つむった片目の上に指を丸めて置いて言う。そう言ってはまた叱られているのだろう。 「それは、ずいぶんと困ると思うな。」 「そんなでもないよ。彼女みたいに、そのうち何とかなるかもしれないし、第一、それもしょうがないじゃない? …じゃ、気をつけてね。」 「ああ、君も。お母さんに、よろしく。」 しばらく歩いても、別れた男の顔が頭から離れない。本当に、いつまでも楽しそうに笑っていそうだと思うと、腹を立てながらやがて諦めてしまうだろう赤毛の奥さんの顔まで浮かぶようだった。 それから、やっと自分の常にない言葉に気がついて、呆れる。 「お母さんによろしく、か。きっと、生まれて初めて言ったんだろうな。」 こちらの世界に魔物の姿で居ては、二度と使えそうもない言葉でもあろうから、もう一度言ってみる。 「人間の、お母さんに、よろしく。」 意識して独りごとを言って笑ってみるのも、再びはないかもしれない。 |
◇晴れた日には羽をひろげて◇完 |
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