え ん じ ゅ   

 春はつかの間に、うららかな昼下がり。
 この最良の一日をもてあます贅沢をかこちつつデーモンの館に来てみれば、昨日の旅先と変わらない先客が照れ笑う。情けないヤツばかりだと言いながら、主がいそいそ茶菓をそろえて迎えてくれた。

 やわらかな風が白い花のひらを本に挟み、それを区切りに退屈を閉じてのびをする。
 静かだから眠っているとばかり思っていたライデンが、今は出窓に片膝をたてて外を眺めている。布張りの長椅子の背越しに振り返って、そのまっすぐな視線の先を見た。
 中庭には先の持ち主の好みなのだろう、散策の間をおいて背の高い木が散っている。明るい緑の間に花の房が見える、小さな白いひらがはらはら風に舞い上がって美しい。その様と木漏れ日の、眺める主に見分けがつくのかとルークはぼんやり考えてみた。どちらでもいい、春の風が香りを含んで心地よい。
 「ライデン、何を見てるの?」
 問われても、立てた膝にあごを載せて眺める先から、相手は視線を動かさなかった。返らなくとも構わない言葉を暫く待って目を室内に戻す頃に、ようやくライデンが口を開いた。
 「デーモンに、お客が来てる。」
「ふうん?」
 珍しいことではない。館の主は外渉の役を任じているのだし、それでなくとも交友が広い。見かけによらず嬉しげに気を配ってくれるから、多忙を極める合間に居座ると客の多さにおののくこともある。
 ライデンの声が続く。
 「…影がない。」
 もう一度退屈にかまけようとして、ようやく言葉が脳梁で騒ぎ始めた。
 膝の本を払い落とし、ライデンの占める細い出窓に肩を割り入れる。まばらな幹の向こうに、午後のお茶のための華奢なテーブルセットが置かれている。その影だけが、地に薄く見えていた。怯えない相手にわざわざ影など落として見せはしないから、デーモンの影は無論ないけれど。
 春のうららに、客の服の白に近い色が揺らぐ。その向こうのデーモンの姿が妙に淡く、際立つはずの顔の色が日差しの明るい中に揺らいで見える。陽炎のようにやがて消えるかと思えて、ルークは鳥肌を立てた。
 「行かなきゃ!」
 大きくターンをきって、ルークはドアに向かった。
 跨がんばかりの勢いで回ったソファに、画集を拡ルークは元の長椅子に戻り、今度は荒々しく腰を下ろした。げたままゼノンが見上げている。
 「デーモンの、お客なんじゃないのかなぁ?」
 あっけにとられて一瞬絶句し、それから絶叫に近いと自身でも意識するほどの言葉を返す。
 「けど、オレ達は、悪魔なんだぜ?」
 まだ続くはずだった言葉は、相手の鳶色の目に吸われて終わった。ゼノンに返して納得できる言葉はない。けれど、心は更に苛立っている。膝を抱きかかえた腕に歪めた顔を埋め、次には横倒しに寝ころぶ。伸びた髪が表情を隠してくれた。
 半分は絶対に泣きたいのだと、思う。それでもここで馬鹿を演じるわけにはいかなかった。デーモンは外に客を迎え出た。それをライデンは観ているゼノンは待っている、自分だけが会話に飛び込んでいくことはできない。何をどう装うに困らなくとも。
 もう泣いているのかもしれないと思った時、また花のひらが風に運ばれて室内に舞い込んだ。逃げ場を失って渦を巻くのにもまれた白い色が、ひらめいては落ちかけまた舞い上がる。一人戯れる、蝶のように見えた。

 「ルーク、眠いんじゃないのか?」
 戻ってきたデーモンが、遊び飽きた子供にかける口調で言う。常に真っ先に疲れを出してしまう自分を気遣ってくれているのだと解っても、不安がルークの機嫌を損ねさせていた。
 「ここで寝るっ!」
 意地になって言い張る。デーモンは何やら口の中でぶつぶつ小言らしいのを呟きながら、奥の部屋から毛布を抱えて戻ってきて、これは面毛布だから熱くないぞなんて余計なお節介を焼いてくれる。だからもっと子供は腹を立てて、眠くて答えない芝居に徹した。
 「やれやれ…」
 そしてわざわざ頭の方に腰を下ろす。そう言う奴だ。
 「陽気がいいと言って、こんな処で寝て当たり前に風邪を引いても、吾輩の責任ではないぞ。」
 一名で、まだ空に向かって言い募って聞かせる。どのみちルークは鼻風邪をひいて、デーモンの部屋の心地よさのせいにするに決まっているのに。
 「デーさん、さっきのお客、天使じゃなかったぁ?」
 ライデンは装うのが無邪気なのか本心そうなのか、直接をそのままに尋ねる。寝たふりを決め込む友人のために。
 「らしいな。」
 デーモンはそれを一言で返し、例によって続ける。
 「だとすれば、あれは二枚羽ではないな。」
「じゃあ、六枚か…」
 ライデンはライデンで平然としたものだ。元から、彼はこの中で唯一、魔でもないが。
 「そこまで多くもなさそうだったが。…あるいは、天使を装って見せるものかもしれん。」
「…地獄辺りからって、ことかな?」
 ゼノンまで、のんびりと分析に参加する。
 「どちらにも、」
 どうでもいいのだと、デーモンが締めくくりにかかった。
 「吾輩を試しにか、様子をみにでも来たのだろう。陽気がいいとはいえ、わざわざこの地まで遠来とはご苦労なことだ。」
 例えば皇太子ダミアンならば、デーモンを欺くほど巧みに姿を変え得るだろう。あるいは誰かが噂の真偽でも確かめに来たか、本当に天麗が人界に留まる悪魔と会話したいと尋ねたのかもしれない。どれもさして不思議ではなく思えた。
 ――だけど、どうせその次は決まっているんだ。
 ルークは内に呟く。『吾輩は常に信ずることしかしておらん。どう、それが見えようともな。』、少しだけ片眉を上げて。
 尽きるところは己と相手しかないというのだ。誰にでも、だからデーモンは言葉も姿勢も換えはしない。時に、息を整えながら心中それを念じているような左の横顔を観ているから、だからルークはまた悔しい気持ちがする。

 新しい風を吹き込ませて、さっそくミーティングのようだね、とエースが入ってきた。
 昨日までの旅で周到に整えた酒のつまみを抱えて、こんな時間まで何処で無理矢理に暇をつぶした末だとからかってやりたかったが、それには寝たふりを決め込んだ間が少しばかり長すぎた。 
◇えんじゅ◇完


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