青 い 空 ・ 壁


 「このパーツは替えたほうがいいねぇ。」
「そんなにひどい? できるならこのまま使いたいな…」
 思わずのぞき込もうとした時に、イージュが肩越しに振り返った。目が、正面からルシアンの顔をとらえる。
 「何か、こだわる理由があるわけ?」
 ルシアンはとりあえず笑ってみて、それから慎重に答える。
 「別に… ただ、ずっとこれで来たからね。」
 自分でもあいまいな言葉を、相手がどう受けたかはわからない。よくやる仕草で少し唇をとがらせてから、イージュは手元に顔を戻した。調整パネルの奥の、かなり旧いタイプの回路が引き出されている、その一片をもう一度手に取る。
 「できないことはないけど。ただ、ロスはけっこう大きいよ。」
 そしてまた、彼が譲ってくれなかったことも、ない。今回も、十分に使えるように直してくれるはずだ。ルシアンは、頼もしい友人の背に、最高の笑顔で感謝する。
 「サンキュ」
 仕事に没頭している相手に声が届いているかは怪しいが、そんなことは馴れてもいるし、気にするほどのことではない。彼の手元をもっと明るく照らすように、コンソールから指示を送って、戻ってまた魔術師の手際を眺める。
 いつもそうしているのに、こと旧タイプに対する技術に関しては、よく分からない。そういう物を得意とするイージュも心得たもので、手品だからタネを見つけてみろとか言う。マジックなんて、そんなはずはないと真剣に見ている内に作業は終わり、テストも無事に終了するのが常だ。仕上げに『何かご質問は?』とからかわれて、ルシアンは今日も降参する。
 「じゃあ、お礼に、リクエストに応えてもらおうか。」
「はいはい、毎度まことに、お安いご用で。」
 数少ないご希望には、つい格別にお応えしたくもなる。友人達ですら、おおよそ天候なぞには感心が無いらしいのだから。
 「今夜は、星ふる宵と願いたいねぇ。」
「また、デートなわけだ?」
「そ。誰かさんと違って、夜はプライベートに過ごすのがモットーでね。」
 白い歯を見せてニッと笑って、ウィンクを一つ。
 そして、友人は自分の持ち場に帰っていった。

 「別に、モットーで夜勤なわけじゃないんだけど…」
 調整してもらいたてのパーツも今夜はお礼に励みたいらしく、プログラム通りに、満天の星。
 たっぷり時間をかけていれた紅茶の、黄金の輪の一辺をすすりながら、我ながら上出来の夜を眺める。
 いにしえの物語がゆっくりと天空を横切っていくのを、眠りにつこうとする街の何処かでイージュも誰かと見上げていることだろう。
 「自分で作るのは、また格別の趣がありまして。」
 ドーム都市に、本来なら夜などいらない。日常を区切るのに固執するとしても、雨や星を降らせるまでの必要はない。けれど、今あの調整パネルを修繕できる者がほとんどないようなほど昔から、この仕事が伝えられてきたのも事実だ。おそらくは都市がドームで覆われたときから、ずっと、自分まで。
 二杯目の紅茶は忘れたままで冷めてしまい、一息にそれを飲み干してから、明日の昼のプログラムを作り始める。
 昼の天候には、夜ほどの自由はない。眩しすぎず暗すぎず、規範になる周期も定めに近いような慣習があって、それと自分に任された夜とを、無理のないようにつなぎが合わせていく。空の色合い、風の向きや強さ、雲の流れ… どれもわずかずつの変化を、丹念に手をかけて丁寧に重ねて。
 それもまた、難しいと同時に楽しい仕事ではある。
 調整を完全にオートに切り替えて、ルシアンは新しい葉でお茶をいれ直した。
 今度は熱いうちに味わってから、眠れなくなることに思い当たったが、既に遅かった。

 「あ、」
「なに?」
「ちょっと悪い… また、例のロスが出たみたい。」
 別に、趣味で詰めているわけではない、早めに調整塔に入ることが多いだけだ。オフに一人で居ても持て余すだけだし、今日の土産付きのイージュに限らず、友人達も分かったもので、暇を潰しに仕事場を訪ねてくる。
 プログラムとオート操作との微差を告げるランプの数と位置を頼りに、マニュアルで修正を重ねていく。傍らで、これからの経緯に無理が出ないように変更をいれる作業も忘れてはいない。多少狂ったところで、常に大差ない昼は微妙にしか変化しないのだが、そこは仕事師の自負の領分で、放置してはおけない。
 「こんなの、しょっちゅうやってんじゃない?」
 いつの間にかそばに来ていたイージュが、手元をのぞき込みながら言う。
 「そうでもないよ。」
 否定はするが、調子が悪いと引き継ぐことも少なくはないと思い出す。その交代者にしても、パーツまで取り替えようとまではしないし、言いもしないのだが。
 「少し、夜勤につきあわせ過ぎてるかな…」
「分かってんなら、自重したら?」
 軽く声を立てて笑いながら、イージュが離れる。
 「だいたい近頃、変幻漠測たる夜が多すぎる。半分はジェライが受け持ってるんだから、そしたら残りは雨と雷ばかりの夜じゃない?」
「星も、この間降らせたでしょ?貴重なリクエストにお応えして。」
「その節はどぉも。」
 思いっきり色っぽい言葉につなげて、よいしょ、と、ソファーに戻って座りながら、また低めのトーンに戻った声が届く。
 「快晴ってのも、異例の内ですがねぇ…」
 言葉の後ろの方は、その節か何かの成果だろうクッキーをかみ砕くのに消えた。
 修正を終えて、目の端で少し様子を気にしながらルシアンも戻り、次に口に放り込む形を捜しているイージュに尋ねる。
 「ご不満でもありまして?」
 赤いチェリーの小さな輪を飾った花型を、伸びた指の先から横にさらって、口に放り込む。穏やかな甘さが舌の上で崩れる。
 「あら、アタクシの方こそ、何かおありなんじゃないかと、足を運んでみましたのよ。」
 仕方なく三日月を選んで、相手も反撃してよこす。口はすましてはいるが、目がまっすぐにルシアンに向いている。
 「あらあらそんな、」
 ふざけに紛らわして、それを見返す。
 「こんな平穏に暮らせて、不平なんて申しては、バチが当たりますわ。」
 言ってから少しも否定してないのに気づいて、しまったと思ったが、そう考えたことも相手にしっかり見透かされただろうとも、分かった。仕方がないから、白状する。
 「どんなにほれぼれする出来でも、結局は仕事なんだよね。それを、思い出しちゃった。」
「仕事だから?」
「昼には手を着けられない。うん、違うな。自分が手を着けないって、はっきり分かってるって事、かな。」
「何故、着けないわけ?」
 答える前に、ルシアンは少し苦く笑う。
 「これ、誘導尋問じゃない。」
「そうだよ。」
 すまし顔のイージュはさすがに更に上手で、今度は導引術を始めていたらしい。見ていて分からない手の内を自分に向けられてしまっては、お手上げしかないに決まっている。
 管理装置の働く音が、ほんのかすかに聞こえる。
 「一度、本当に青い空を作ってみたいな。この間、パネルを直してもらった晩に、思いついてね。」
「ああ、あの星降る今宵、の日ね。」
「うん。あの晩は自分でも凄く満足して、それで少し興奮しすぎてお茶を飲み過ぎちゃって、明けぐちに。…あ、長くなっちゃうな。」
「いいよ。」
 ぽん、とイージュが受けてくれた。
 それに感謝して、ちょっと言葉を落ち着ける。
 「…でね、弱いじゃない?眠れなくなってさ。何で飲んじゃったりしたんだろうなんて、寝床でいらいら考えてる内に、それ、思いついちゃって。…分かってるんだよね。昼に手を着けたら首は飛ぶだろうし、第一、街中が混乱しちゃう。…それをずっと考えていったらなにがひっかかってたのか、気が付いてしまったわけですよ。」
「喉の奥は、何の骨だった?」
「これ、全然、脈絡ないよね?」
「分かるよ、とりあえず。」
 全く、いつだってこの友人は当然とばかりに応えてくれる。
 「あの時、すごいあいまいな言い方したんだよね。」
「どの時?ポイントだけは明確に伝えようね。」
 コツン、とイージュの爪先がテーブルをたたく。視界の裾のカップの中で、小さな波がすっと内に寄った。
 「パーツにこだわるのが何故かって聞かれた時。自分でもその時に分からなかったけど、なんかひっかかって、それですごい、自分では考えて答えた。」
「パーツね…ああ、あれね、換えた方がいいって言ったんだっけ?」
「そう、それで、また寝床に話が戻るんだけど、後はずっとパーツのことを考えてた。朝までね、次の。すごい集中力だなとか思いながら、他のこと考えられなくて。…それで、空、青い空と、取り替えたくないパーツとの関連なわけ。」
「で?そのココロは?」
 今度は慎重に、最大の注意深さで、既に形のある一言を意識の中から送り出す。この言葉だけは、十分に、自分で支えようとして。
 「壁。」
「…か、べ、?」
 目を大きく開いて、イージュがゆっくり聞き返す。

 壁――行くなとは誰も禁じない、それでも子供には許されなく思えた、町並みの外周に沿う木立の奥。その、緑深い昼の闇の向こうに、それが在った。
 右にも左にも、はるかに天空までそびえて果てしない、ドームの内壁。つややかでもざらついてもなく、触れても、冷たくも温かくもなかった。
 同じ『壁』という言葉では、それを形容しないかもしれない。それでも、自分よりもずっと早く、イージュはそれを見ているはずだとルシアンは思っている。
 大人達に、そして、身近に育ち歳で数えればいくつも違わないこの友人に、自分が追いつけなかった理由を、ルシアンはそれを見たときに認識した。
 総て赤いだけの荒野とを一文字に画して、青い空が、その透明な厚さの向こうに見えた。向こうには何も無かったが、ドームの内にも本当は何も無かったのだと思った。
 それが、子供時代の最後の日になった。闇を見据えた一夜が明けてからは、二度と森を越えることはなかったし、外への憧れも色褪せた。

 「ドームって、壁じゃない?しっかり守られていて、それで出られもしない。それで、その内側で、この街は広がりもせずに、ただ続こうとしてる。生きてるのは、本当は街の方じゃないのか な。中身だけを、必要があるだけ入れ替えて。」
「それで、パーツを取り替えたくない、わけだ?」
「うん。」
「それで?」
「それで、って…それで、ご朋友がご足労下さる状況なわけです。すみませんね、自分で解決がついてなくて。」
 ふくれて謝ると、意地悪い笑いを薄く演じて、イージュがこれまたわざとらしく、冷めた紅茶で口に残る甘さを流す。
 「なら、とりあえず、その青い空とやらを作ってみるとか、夜にでかい隕石でも落としてみたら?」
 声は真面目だけれど、彼の目が笑っている。
 「そうやって仕掛けておいて、自分は高い所ですまして見てるんだ?誰かさんはご立派な大人だから…」
 もう少しましな算段を考えつくまで、おとなしくしていろと、多分彼は言っているのだろう。スペアがいくらでもきくだろう身ながら、ルシアンにはまだまだ長い時間があるはずだから、別な解決の法も見つけられるに違いない。解決、そう、何までを解決できるかは自分次第で。
 「勿論です。」
 案の定、イージュはきっぱり断言して、その後でこらえきれずに白い歯を見せてしまうから、ルシアンもつられて声を立てて笑った。
◇青い空・壁◇完

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