タ ニ ア の 話
II/ 光の雫 ◇ 黒のタニアの話


 金属のぶつかりあう高い音が響く。
 窓辺にもたれるように、ルークが中庭を眺め下ろしていた。
 「来ていたのか。」
 声をかけるエースに顔を向け、また目を戻す。隣に立てば眼下に、二つの影が剣を合わせていた。
 中庭をゆるく巻きあげる風に、タニアの長い黒髪がなびく。首の金の飾り輪を鳴らし浮かせて、小柄な身体が大剣をふるい、デーモンの鋭い突きを敏捷にかわす。
 「なかなか、いい動きだ。」
 評してみるが、答えはない。笑いのない横顔を見せたまま、ルークはその動きを視野におさめ続けている。
 やがてひときわかん高い音とともに、タニアの手から剣がはじけた。勝負がついたと思えたが、彼女は異様に低く構えた身体を、次の瞬間には、相手の胸元に跳び込ませていた。とっさにデーモンが剣を立てたまでは見とれたが、青い火花が散るのに思わず細めた目を開いた時には、地に押し倒されたデーモンの甲冑の上から、ぽんとタニアが降りた。
 「あのデーモンの不意をつくとはな。」
 エースの言に、ようやくルークの顔に表情が現れる。
 「それでも、あれでは勝てない。飾り輪が顔を守っているのを忘れて、喉に噛みつく気でいる。」
「負けはどうかな。顔くらい削れても、あの娘ならひるむまい。肉を輪に食い込ませておいて、それにびびってる間に、こっちの喉が噛み切られるって寸法だ。」
 思い切り嫌な顔をしてから、ルークがせせら笑う。
 「何でだか、あんたはよっぽどタニアが怖いらしい。」
 それに答える代わりに、泣く子も黙ると枕詞のつけられる男は、肩をすくめて見せて、話題を移した。
 「あの娘のことは調べようがない。あの町そのものが育ての親だ、探ろうとすれば口を閉ざす。曰く、何ものなのか知らないが、おとなしく棲もうと言うんだ、そっとしといてやりな、だ。まあ確かに、魔物も天人も人間も、ごったに紛れるのがあの町の由来だから、仕方はないが。」
「情報局の長官たるものが、そんなおよび腰とはね。」
 ルークがかるい笑い声をたてるのを合図にしたように、飲み物と菓子の類が銀盆で運び込まれた。デーモンの屋敷の優雅な室内にはおよそ釣り合わない、栓をしたままの今時の飲料や厚手の石杯が、冷たい汗をかき始めている。
 エースが、らしからぬ憎まれ口をたたく。
 「なるほど、軍事総司令閣下と全権参謀殿は、腰を低くして当たっておいでのようだ。」

 今度は重い足音の気配に振り返ると、大事そうに木箱を抱えて、ゼノンが入って来るところだった。
 「やあ、エースもこっちに来ていたんだ。」
 言いながら、卓の空けられた角に荷を置き、一つ息を吐く。
 「胸飾りができたのか?」
「うん。さすがに、これは運ぶのにも緊張するよ。」
 「…タニアもデーモンも何をやってるんだか、遅いねぇ。」
 杯を並べ終えて瓶の銘札を見ながら、ルークがじれた言い方をする。一つを注いで渡せば、嬉しそうな顔で一息に飲み干してしまってから、ゼノンがそれに説明をつけた。
 「タニアが口の中を切ったと言って、手当していた。デーモンも顎の当たりが赤くなっていたけど、稽古であそこまでするものなのかなぁ…」
「現に、してるんだから、そうなんだろう?」
 水の瓶を見つけて直接口をつけながら、すこぶる不機嫌な声でエースが言う。笑いをこらえながら友人に耳打ちするルークを見つけて、凍りつく視線をぶつけるが、今度はゼノンにまでほくそ笑まれるはめになった。
 「それじゃあ、よけいな事をしたかなぁ。ますます勇ましくなってしまいそうだ。」
 言いながら、ゼノンは主の登場を待たずに箱を開け始めた。が、数枚の絹が解かれた頃には、駆けてきたタニアが、特等席に飛び込んで彼の手元をのぞき込んでいる。
 「すごい…」
 タニアはただ驚きに声をのんだが、彼らは複雑な思いで、その美しい武器を見ていた。
 細工の施された金の胸飾りの中央に、魔王が外し与えた指輪の、紺碧の石が据えられている。それは表向き、大天使を落としたこの勇者が、友軍として迎えられた証である。だが彼女の言によれば、望み出た事への許可の印なのだ。つまり、誰の子種でも好きなだけ持ち帰って良いという。
 「あと、腕飾りを詰めてね、手甲にしてみたんだけど。」
 次には皇太子が愛用した品を取り出し、早速出されたタニアの左手に、着け始める。細身に仕立て直されたそれには、深紅の石が、手首の反りにそって肘の側に滑るようにはめ込まれている。これも同じく証のようで、実は彼からの紹介の印なのだそうだ。まずはデーモンを、名指しての。
 「両手剣を使うなら、盾が持てないからね。」
 胸飾りも着け、何度も手を返してみて、タニアはすっかりご機嫌になっているし、ゼノンもいかにも満足げだ。
 そこにようやく館の主が戻る。さすがのデーモンもそれを見て顔をこわばらせたがそれもほんの一瞬だけで、すぐに優しい笑顔を向けた。
 「よく似合う。」
 ほめられて、タニアが本当に嬉しそうな顔をする。ふわりと髪がひろがり、首の飾り輪が揺れて、その裏に隠された彼女自身の証が双つ、胸元に淡い光を放った。
 「合わせて、剣も一振り作ってくれないか。今のでは、少し重すぎるようだ。」
「はじくたびに喉を狙われては、身がもたないからな。」
 すかさず茶化せば、すぐ獣と化す娘はばつの悪そうな顔をし、デーモンが声の主を睨みつけるが、エースは平然と見返しながら、その顎に残る痣を数えていた。


 早い夕食が終わり、居間に座を移して酒を酌む頃には、タニアはゼノンにもたれて寝入ってしまった。剣を振るうときは猟獣のような気迫を見せるが、今はただの赤児の顔だ。
 「ようやく、眠ってくれたか。」
 既に養い親然としたデーモンが、その脇に腰を据えて寝顔を眺める。横顔が少しやつれて見えた。面倒を見るのがよほど大変らしい、剣の稽古一つであれでは、他も測れようと言うものだ。
 先日、留守中に屋敷に置けば年寄りが要らぬ事をふきこむと、預けた先が参謀本部だった。早速ルークは軍事本部に所用を作り、やかましそうなのを会議場に束ねておいて、タニアを放したから、大騒ぎになった。何しろ、六翼の大天使を一撃に落として魔界に招かれた勇者が、二重に監督者のない中を駆け回ったのだ、規律が追いつくはずがない。行く先々に人垣ができ、矢継ぎ早に興味を満たしてタニアが去れば、後ろにまた話の輪が繋がる。昼過ぎにルークが所在を問うた時には、下級兵の食堂で、女性部隊と食後の果物をぱくついていたらしい。
 タニアは半日で百の味方を作ったが、戻ったデーモンがどれだけ苦情と噂に辟易したかは、放すぞ、の一言が殺し文句になったことで想像できる。もっとも、その小娘に振り回されるたびに発散しているらしく、ルークがそれを使って彼の無謀な言動を封じる機会は、今はほとんどなかった。
 やがて、ルークが口火を切る。
 「で、お忙しい長官殿は、様子を見にいらしたわけ?」
「そうだ、忘れていた。確か、超のつく多忙だとか言って、めったにしない我輩の頼み事を断ったのは昨日のはずだ。」
 あからさまに不快な顔で吐く、頼み事の内容を察して、ゼノンと目を合わせたルークがくすくす笑い出す。魔の一族である大公爵家の、典雅な作法を心得るのは仲間内で彼しか無く、タニアが正式に魔界に紹介される舞踏会は、そう先の話ではないのだ。
 彼らを無視して、エースが問う。
 「その娘から、何か訊きだしたか?」
「何を?」
 デーモンがすかさず返す。もう、その顔から笑いが消えている。
 「何を、じゃない。そいつは、訊かれた以上のことは一つも喋っちゃいない。それも解らないだの、忘れただのと。あれから何日経つ?その間、振り回される他に、お前は何かしていたか?」
「つまり、何も調べ上げられないと言うことだな?」
 容赦なく断定し返されることに、エースは意外にも抵抗しなかった。
 「それで、エース殿は何を知りたい?」
 突然にタニアの声が割って入って、デーモンも顔色を変えたが、エースに到ってはその言葉通りに目をむいた。が、すぐに立て直して答える。常であれば、鼻先であしらうこともない小娘相手に、顎をあげて。
 「お前の知っている事を、だ。」
 挑発されてタニアも、しばし相手の目を見据えた後に、わかった、と姿勢を正した。ゼノンがその背にそっと腕を回す。
 「…ずっと小さい頃は、羊の群の中にいた。時々、老人とか小屋の中の白い人とか、見た憶えはあるけれど、話をしたことはない。育った山を降りてからは、ほとんどあの町で暮らしていた。養い親は多すぎて、いくらも憶えていない。魔物も人間も何とも判らない者もいて、親のない子に食べさせたり寝床を与える、あそこはそれが当たり前の町だから。
 ずいぶん長い間、子供のままでいた。それでも、誰も何も言わずに置いてくれた。成長して、養い子をもっても、変わらなかった。だから、あの町が好きだった。できれば町も養い子も、自分の手で守りたいと思って、流れてくる剣士や兵に、剣を習ったりしていた。
 飾り輪の石のことは、天使が来た時に思い出した。山に迎えに来た女の人がくれたのを、後から別の養い親が、大事なものだからと輪に作ってくれた物だ。いつかそれが役に立つだろうと言っていたから、あの時、あんな事ができたのは、この石の力なのかもしれない。」
 「一つ、訊きたいことがある。」
 ルークがその話をさえぎり、顔を上げたタニアが、彼の目の先にエースを見つけて少し不審そうな顔をする。
 「なぜ、殺した?」
「夢中だった。あんな事ができるとは思わなかったし、考えている余裕もなかった。だから勢いで、あんな高くまで登ってしまって、石を見られた。顔の羽を開いてまで見るのは、確かめに来たんだから、帰すわけにはいかないと思った。」
 「つまり、六翼の顔を見て、それから考えることをしたわけだな。」
 デーモンの言葉が、問いにならずに流れた。
 「ずっと昔、小屋の中で、白い衣の人に髪をすいてもらった記憶がある。顔は憶えていないけれど、輪郭みたいのは残っていて、多分あれが天人か神族という者なのだろうと思っていた。それが本当だと判っただけだから。」
 「判っていることに驚く必要はない、か。」
 そうだよ、と穏やかに、エースの言に答える。
 「でも、この間の映像で判ったけど、飾り輪が顔の前にあったんだ。見ていたのは石じゃなかったのかもしれない。天使は、私の顔を確かめに来たような気がする。」
 エースが酒を引き寄せて注ぎ、杯をあおって、咳払いを一つする。
 「話の礼に、昔語りをしてやろう。」
 それが本題かといぶかしむ顔で、デーモンが見ている。
 「…その昔、天界を見限った者達がいた。
 今の神族との戦いの末に、彼らはこの世界に降り、闇に棲む魔物のおおよそを平らげた。魔界を創り上げると、手を貸した者達はそれぞれの世界に去った。共に戦った者どもは、己の力を《闇の雫》に封じて魔の一族となった。大公爵におさまり、面倒は魔王に押しつけて、高みの見物を決め込んだわけだ。
 その時に、戦いはもう要らないらしいと、この地を去った女がいる。それが、闇色の髪と目の《黒のタニア》だ。」
「タニア?」
「魔界の創世についての記録はない。当事者どもが未だ永らえて、口をつぐんでいるからな。ただ、タニアの名だけが、今も、奴らの言葉の端に出る。」
 「どうりで都合良く話が進むわけだ。それが私の祖だからと、魔王殿も太子殿も、望みをきいてくれたのか。」
 さして、驚いたようには見えない。通い詰めている王宮で、それなりに見当のつく事でもあったのかもしれない。
 「…それにしても。知らなかったんなら、なんで同じタニアって名前を名乗ってるわけ?」
 ルークの問いに、タニアはあっさりと答える。
 「初めて養い親に呼ばれた、名前だから。」
 「…ほう… それはそれは。」
 突然にエースが席を立ち、ゼノンの背に回って角をつかみ、覆いかぶさるように彼の顔をのぞき込んだ。
「つまり養い親殿は何もかもご承知で、手まで貸しておいて、今の今まで知らぬ顔でいたわけか。道理でいつになく都合良く現れて、あっさり懐かれているはずだ。結界といい封印の石といい、よくもこの俺を欺いてくれたな。」
 彼の場合は笑う方がよほど怖い、そう言う顔で、エースが茫洋とした目で見上げるゼノンを責めたてる。
 「それを言うなら、今の今まで気がつかなかった、自分に呆れた方がいいんじゃないの?」
 ルークがからかえば、デーモンは別の忠告をする。
 「その前に、それ以上やるなら、気をつけた方がいい。下で、喉を狙っているぞ。」
 見れば確かに、タニアが身を低くして敵を見定めている。首の飾り輪を片手で寄せていて、これはこれで相当に恐ろしい。その肩に軽く手をのせて宥めながら、ゼノンが穏やかな声で問い上げた。
 「養い親なら、子の不利益を望むわけがないよねぇ?」
 返答に詰まったのを正直に顔に出してから噴き出し、身を屈めるようにして、エースがしばらく笑い続ける。涼しい顔のゼノンはともかく、ルークはどう反応したものか決めあぐねて、彼の次の動きを待った。
 やがて笑いを収めて、エースが席に戻り、息をつく。腕を伸ばす先の酒を取ろうとするとすかさず、デーモンが杯を満たしてやった。
 「どうやらこの先にも、俺の勝ち目はなさそうだ。」
 言ってタニアに向けて掲げ、喉に流し込む。空いた器に間をおかずに次を注ぎこむデーモンが、まだ瓶を離さないのを、ルークは黙って見ていた。


 帰って剣を打つというゼノンを見送り、話がしたいと言うタニアと、そのまま階上の寝室に向かう。
 棟の中ほどに、廊下を挟んで客用の居間が二つあり、ルークはいつもの、町側を選んだ。広窓の先に、遙かな山際を背に濃い闇が王宮の姿をして浮かびあがる。その色が、けして近くも明るくもない魔界の住人の町並みを、手近の温かな灯に思わせるのが、気に入っていた。今日もしばし足を停めて、その景色を楽しむ。タニアも並んでその方角を捜していたが、じきに諦めて夜食の用意された卓に向かい、まだたたずむ連れに声をかけてよこす。
 「ルークのいれたお茶が飲みたい。」
「何だか、デーモンに似てきたね。」
 言えばタニアが笑って答える。
 「若君の頃に似ていると、執事が昔の話をしてくれる。」
「それは、誰かが、さぞや嫌がるだろうな。」
 笑って、要望に応え始めれば、タニアは卓に乗せた両腕に顎を置き、ルークの手先の動きに見入っている。微笑とも言えそうなその穏やかな顔が何に似ているのかルークには決められない。
 「どちらか入れるか?」 
 試しに砂糖煮の小さな瓶を二つ並べれば、本気で迷い困った顔をするから、つい嬉しくて、こちらを後にした方がいい、なんて知恵をつけて喜ばす。
 「それで、話って言うのは?」
 湯気を挟んで尋ねれば、タニアは少し考えるように首を傾げた。
 「うん。急ぐ話でもなかったけど、せっかくエースが屋敷まで来たから、二人にしてあげようかと思って。」
「何を考えているんだか。」
 返された言葉に呆れれば、相手は臆面もない。
 「例えば、皆が同じ物を見ているのに、どうしてこんな面倒にかけひきし合っているんだろう、とかね。」
「言ってくれる。」
「それくらい判るよ。それより、あなたが、なぜ参謀になったのかが判らない。気を抜くと顔に出るのに。」
「顔に出るって、何か見たのか?」
「例えばこの間、私が、誰の子種でもいいと言った時、皆は驚いていたけど、独りだけ、しまったという顔をしていた。」
 言われてとっさに記憶を手繰り、誰にも顔を向けていなかったと思い当たる。
 「勝手に話を作っちゃだめだよ。」
「見られない所に、いつも立つものね。でも、他と違うなというのはあるんだ。後から別の話やなんかでやっと、それが何だったのか判るくらいだけど。」
「その、話の相手ってのは、想像できそうだ。」
「もちろん、はめられかけてる、誰かや誰か。」
 悔しまぎれにさえ、切り返してよこされる。彼女を相手に策を弄しても、仕方がなさそうに思えた。それが、言われたのと別の意味で参謀の役にあるまじき事だとしても、それをさせる何かがタニアにはある。ルークは潔く、白旗を選び取った。
 「わかった。降参する。」
 その方がよほど効いたらしい、タニアが目を丸くした。
 「遅れて、来たからね。デーモンと共に戦いたいと思った時に、席はいくつも残ってなかった。その中で参謀の役が、何とかなりそうだった。それだけと言えば、それだけかな。まあ、やるからには、誰よりも極めるつもりで来たけど。」
「共に戦うって、神界と?」
「まさか。誰が、こんな社交辞令の儀礼戦で、」
 吐き捨ててから、相手を思い出しても遅い。言わせておいて、タニアがルークのを真似た薄い笑い方で見ている。
 「確かに、デーモンが嫌がるのも、エースの機嫌が悪くなるのも、わかるな。」
 自分でも不快で感想を告げれば、小娘になって笑い転げ、うんざりした頃にやっと魔物の顔に戻る。
 「あなたの顔は神族のものだ。作った顔でも嫌うのは、本当に笑う時を知っていて見たくないからだよ。そうじゃない?」
 相手の真意を見定めようと、ルークは目を細めた。答えて見返すタニアの瞳の、強い光がその濃さを増して、少女の面影を覆っていく。黒い髪がうごめき、首の飾り輪がゆっくりと浮き始めた。その頭上まで高く、闇の色が見えた気がした。動く唇にすら、陰が強い。
 「戦うのが社交辞令だと言うなら、魔族は不死なのだから、永劫、この魔界は平穏に続くだろう。それでは、神の統べる天界と同じだ。そうなるのを許さず魔界を去った《黒のタニア》の戦いの続きに、再び力を貸した者もいたのだと思う。」
 声の色が違いすぎる。恐怖が、背を這い上がった。
 「…どういう事だ?」
 かすれたとはいえ声が出て、自分でも不思議に思う。タニアを引き留めておくために問いかけながら、頭では別の、前にもあった同じような事の記憶を探る。
 六翼落としの映像に、タニアがこの力を見せた、あの時。エースは動けず、代わってパネルを操作した。常に冷静な彼らしからぬ驚きように気を取られて、ルークは自分が醒めた目でそれを見ていたのを忘れていた。
 「神と魔の血を濃く受けて、育つ者はない。それは、あの町でも人界でも言われる事だ。それでも、魔界に居るあなたの背負う翼が、この目には白く見える。」
 「何を言いたいのか知らないが、俺が、脅しの効く相手だと思うな。」
 間合いを計って強く出る、激したデーモンを封じる手の一つを思い切って使えば、舞い上がったタニアの髪がふわりと下りて、間の飾り輪が重なる音が細く響いた。ルークに向けらた目が、静かに陰っていく。
 やがて一つ息をついて、タニアは笑顔で茶のお代わりをねだった。あれだけ力を揮いかけていながら、やっとこで抑えきれれば、けろりとしている。
 「それで、ルークのめざすものは?」
 その上に、知らぬふりで話を戻す。
 「聞いてどうする?第一、どの話だ?」
 問い返しても、タニアは真顔のまま待っている。降参を告げた以上、腹を括って手の内のいくらかは明かさねばならないだろう。
 「こんな、争いにもならない防戦で、終わらせるわけにはいかない。奴に、もっと別の戦いをさせられなければ、俺の在る意味はないと思っているさ。そのためにも、デーモンには早く子を作らせたい。魔王をせっつけば、ダミアンが巻き込むとふんだはいいけど、誰かのおかげで、こういう展開になるとまでは、予想しなかったけどね。」
「どうして?」
「お妃候補なら、それなりの血筋だ。流れてもエースまでで、こっちには来ないよ。何しろ、俺は素性がしれないから。」
「いや、そうじゃなくて。デーモンの子供をどうするつもり?」
 それを問われれば、苦笑するしかない。デーモン相手だとしたら、例の作り笑いでごまかしながら別の言葉で語るに違いない。
 「いつか、俺達では、役に立てない時もあるから、その時のために。ずっと先の、しかも束になってもできないようなことでも、デーモンの血を引く者になら望めるって事だよ。期待される、その当人には、気の毒だけどね。」
「それなら、エースとか、ルークの子の方が、よほど使いでがありそうだけどな。いっそのこと、子供達を結びつけて孫の代から先に期待すれば?」
 そこまで言われて、さすがにルークも疲れを憶えた。この娘にかかっては、理由なぞ要らない、不可能の先にも、絶対の可能が書き込まれそうだ。それも、思い切りの大文字で。
 「だからさ、人界へいこう。《黒のタニア》は、人界に先への手だてを見つけていると思うんだ。多分、彼女の血が広がっている。私は魔界に来たけれど、きっと天界にも先にタニアがいて、同じ事を考えている。でなければ、神界がエースより先に、私を確かめに来るわけがない。」
 何かがタニアの言葉に見え、それはルークの意識へと潜り込んでいった。
 「やれやれ… だとすれば、決戦が近いのかもしれないが、まずは舞踏会が終わってからだな。招待客を巻き込んでは損だし、向こうでも、何とかのタニアのお披露目が先だろう。」
「…向こうでも、なのか。」
 不満そうに言って、ことさらの大口に夜食を放り込むタニアを、ルークは笑って眺めることにした。
タニアの話◇II/光の雫◇黒のタニアの話◇完

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