タ ニ ア の 話
II-III/ 青の章 ◇ エースとタニアの話


 何やら階下が騒がしい、思ったところに受付からの声が届いた。
 「今、タニア様がお越しになって、至急お会いしたいと。その、直ぐおいで下さい。」
 一瞬、言われたことが理解できず、判ってからは腹が立った。客が来たから降りてきて会えと長官を呼びつける。そんな発想の出るような所に、情報局を作った覚えはない。

 いつになく苛立って、声を荒げそうになってようやく、タニアが一人らしいことに気がついた。しかも、局員が慌てふためく様子では、遊びに来たわけではないらしい。
 部屋に寄越せ、と答えようとしたが、騒々しい音が響き始めて、エースは諦めて指示を出す。
 「出かける支度をしておけ。」
 例えばデーモンがいくら短気を起こそうとも、長官室専用のエレベーターを待てなかったことはない。急報を携えて、ライデンが屋上に直接降りて一騒ぎした時もあるが、非常用の階段をかけ登った者は、今までにない。あの娘のことだから、ただ、螺旋をまたいで飛び跳ねてくるのだろうが。
 壊されかねないと思いついてドアを開けて間もなく、タニアが転がり込んできて、まくしたてる。
 「王宮に付いて来て!デーモンもルークも出かけてて、居ないんだ。」
「王宮?今更、何を言っているんだ。さんざん入り浸っているだろうが。」
「独りで出かけようとしたら、急に怖くなった。魔王殿と約束があるから行かなきゃならない。」
「怖い、だと?何が怖いと言うんだ?」
「王宮が怖い。」
 きっぱりと答えられて面食らい、すがりつく目につかまる。こんなせっぱ詰まった顔をするとは、考えたこともなかった。
 「支度をするから、下に行って待っていろ。」
 何を構えていたのか一瞬の間を空けてから、ほっとした顔になって、ありがとうと礼を言う。
 しかし、直ぐに常の勢いをみなぎらせてしまった。放っておいたら、螺旋階段のど真ん中を飛び降りかねない、エレベーターを使えときつく念を押して追い出すと、間合い良くそのドアが開く音がした。局員が、本来の姿に戻ったらしい。飲み物でも与えておけと階下に指示を入れてから、先の日付の書類を少しばかり引き出す。私室から、自身のと、口実作りにでも忘れたのだろうデーモンの、肩先までのマントを取って部屋を出た。


人界との狭間の治外の町で、大天使を落としたタニアが、《六翼落としの勇者》と讃えられ、友軍として魔界に招かれたのは、少しばかり前のことだ。
 かつて魔界の創生に力を尽くした魔族の一人でありながら去った、《黒のタニア》の姿と力を写すらしい娘に、魔王はその印を授け望みを許した。すなわち、誰の物でも好きなだけ、子種を持ち帰って良いと。皇太子も愛用の腕飾りを与えることで、身代わりにデーモンを紹介したらしい。
 かくして、神と魔の血統を示す石を身につけた小娘は、世話役を仰せつかった軍事総司令のデーモンのみならず、その周囲を振り回すことになった。
 全権参謀のルークなぞは、留守の間と預けられ、さっそく軍事総本部に彼女を放ち、好き勝手に走らせてデーモンを閉口させた。用心はしたものの、情報局にしても絶妙に隙をつかれて同様の目に遭い、長官のエースが面目を潰したのはごく最近の話だ。無論そんなことはお構いなしに、タニアが、それぞれ半日足らずで百の友人と千の味方を得たのは、一つの才分に違いない。
 ライデンとはやたらと気が合うし、ゼノンに至っては数多いらしい彼女の養い親の中でも別格の節がある。エース自身も、早くに、皆の前で勝ち目がないのを認めてしまった。
 当のタニアときたら、魔王の石の胸飾りと皇太子の手甲を、他の装飾と同じ扱いで軽装に着けて歩く。許されたこととはいえ、それに剣まで下げて王宮に出入りし、魔王と皇太子にも敬意以上を払わずに相手する。帯剣と不敬なら、エースとルークも公然と行使する特権ではあるが、彼らをさえおののかせる小娘に、怖いものがあるとは信じがたい事だった。
 階下の簡素な一室で不安げに待っていたタニアが、エースの姿を見て席を立つ。半分ほど残った茶が、まだ、心地よい花の香りを漂わす。
 「デーモンより厚遇されたようだな。飲んでしまえ。」
 言うと、おとなしく座った。碗に伸ばした手が小さく揺れている。六翼落としの勇者が飛び込んできてこれでは、お仲間気分の局員達が慌てふためき気を使っても、仕方ないだろう。
 デーモンの白いマントを見せると、要らないと断る。
 「俺に供をさせるなら、恥をかかせるな。」
 立ち上がらせて強引に着けようとすると諦めて、首の金の輪と胸飾りを持ち上げた。間近にすると小柄で細い身体の、娘であるのを実感する、その耳に囁く。
 「震えるのを、隠せる。」
 ぴくりと肩が動く。見上げられて、泣かれてはまずいと思ったが、意図を察してか、笑う顔を作った。そのまま、局員に礼を言って馬車に乗り込むまで、デーモンを見習ったらしい悠然とした動作を保って見せた。それを気丈だと思い、いつの間にか自分が、弱みを見てやる側に回ってしまっていることに気付く。
 「落ち着かないのなら、話でもするか?」
 世話役の言いそうなことを口にするのも、並ぶ以上にぴたりと寄せられた肩に、今はない震えを感じるせいかもしれない。
 しかし、エースの着けた漆黒のマントをめくって覗き見る辺りから危うくはあったが案の定、タニアは別への興味の力を借りて立ち直ってしまった。
 「ルークが、エースのも私服だと言っていたけど、黒いのは、何かを隠すためか?」
「馬鹿を言うな。これは趣味と実用の、極限の形だ。」
「このマントも?」
「当たり前だ。これ一つ着ければ、大礼服に劣らない。」
「ふうん?青っぽいのが気になるのかと思った。でも、大礼服って、なに?」
 説明して、着たいなどと言われまいかと不安がよぎったが、話をしてやると言った以上、逃げは打てない。
 「舞踏会が近いから、今頃デーモンが作らせていないか?赤と金糸あたりの、派手な奴だ。」
 ああ、と納得してから、やはりタニアが不満を言う。
 「どうせなら、ああいうのがいいのに、女神みたいのを誂えてくれた。おまけに、毎晩引きずるような服で踊りの稽古をしている。」
「どうせその飾りを一揃い着けるのだから、充分に、大魔女に仕上がる。それに、今回はお前のお披露目のようなものだから、デーモンとしても、お前に恥をかかせる訳にはいかない。」
 お披露目と言ったのが気に入らないらしく、タニアは知らぬ顔をする。あげくの果てに、またエースのマントを広げだし、くるまってみて、気持ちがいいなぞとはしゃぐ。不敵な方が、怯えているよりいくらも扱い易かろうが、ここまで和まれるのも迷惑な話だ。
 慣れない状況に顔を背けて、内心では頭を抱えかけた頃、肩先に温かな重みを感じた。恐るおそる見れば、漆黒のマントの端に無理矢理くるまって、タニアが穏やかな寝息を立てている。驚愕のあまり、あげた悲鳴が自分だけ聞こえていないのではないか、とさえエースは思った。
 しばらくの後、罵倒されてタニアは目を覚まし、不思議そうな顔をした。王宮に着いたと判るとあっさり礼を言って、馬車から飛び降りる。そのまま駆け出そうとする背を捕まえて、エースが念を入れる。
 「俺に供をさせたのだから、帰りも従くからな。」
 わかったとだけ答えて、タニアが走り出し、その先々で近衛の兵が道を開くのが見えた。どのみち、彼らの目は次にはエースに向けられる。帳の蔭では、奥向きやら文官が、とうとう今日は長官をお供に従えたと、さざめいていることだろう。うっとおしい話し声を振り払うように、平静を装って歩き出す。


 少しばかりの仕事にことさら時間をかけてから、エースは皇太子の住まう東の宮に向かった。
 案の定、ダミアンは上機嫌で招き入れた。タニアの供をした件も耳に入っている筈だが、それよりも、足を向けることの少ない彼の到来を喜んでいるのだろう。だが、エースは勧められた椅子に一瞥をくれただけで、口を開いた。
 「タニアに、何をした?」
 一喝され、わずかに首を傾げたものの、答えない。
 「あの娘が、王宮が怖いと言うんだ。お前の他に、誰がそんな事をする?」
 優雅に頬杖をついて、少しの間、旧友の顔を眺める皇太子の、腕が白くはかなげに見えるのは、長らく愛用した腕飾りを外したためだろうか。
 「…以前、私の《闇》を見せたことはある。協力は惜しまぬと約定した故に、望みに応えたまでだが、どのみち、呼応する《闇》を持たねば見えぬものだ。」
「そんな言葉が口実になるか。」
 不快もあからさまに吐き捨てて、踵を返しながらもう一度、顔をねめつけて言う。
 「精々、デーモンの信頼に違わぬよう、気をつけることだ。」
「これは随分と、酷な言葉を…」
 わずかに苦笑らしいものを含ませて、闇の太子の声が低く漂う。しかし、聞く耳を持たずに、エースは部屋を離れた。
 豪勢な作りを闇に閉じこめた長廊下で、深い息とともに感情を吐き出す。中の宮に届く頃、足早に来るルークの白い姿を見つけた。息を弾ませているのは、行き先から急遽呼び戻されたせいに違いない。何しろ、情報局ですら騒ぎになったのだ、デーモンやルークの配下達がどれだけ慌てふためいて彼らを引き戻したのか、想像がつく。
 「デーモンはどうした?」
「屋敷に回って、放り込んできた。ここでぶち切れられては、格好がつかない。」
「上出来だ。さっさとタニアを連れて帰ろう。」
「早いとこ届けてよ、執事達が気の毒だ。こっちはダミアンに一言、言ってから帰るから。」
「一言で、足りるのか?」
 問えば、誰かの後だからそれで充分だと、笑って済まされた。


 日が、陰り始めていた。
 馬車は街を迂回して、森沿いに進む。遠乗りにも使う道だ。左手に黒々とした山並
が続き、右には街を中程に、なだらかな緑地が遠い海まで続く。
 この当たり前の景色も、魔族が降りてからのものだと言われる。彼らは、闇に魔物がうごめいていただけのこの地に、天に似るとはいえ、新しい形と時をもたらしたのだ。まず、明けることから始め、黎明という言葉をなぞるように進めて。
 車窓の向こうを眺めていたタニアが、突然、振り返る。
 「太子殿にデーモンを引き合わせたのが、エースだというのは、本当?」
 今更、脈絡無くどんな問いをぶつけられても、驚いてはいられないが、浸りかけていた想いを見透かされた気がする。
 「そうだ。皇太子の披露の舞踏会に、デーモン族の長に従いて来ていた。会ったのは、それが初めてだ。いわば敵方の祝い事に招かれて、当然と言わんばかりに堂々たるもので、これは面白い奴だと思ったものだ。…奴はあの時、お前より少し上くらいだったろうな。」
「あなたのことだから、初めから、来るように仕向けたんだろうね。確かめるためと、会わせてみるために。」
 寒くなるような笑いを唇の端に浮かせて、タニアが言う。その口元から顎にかけて漂う冷笑に、ふと思い当たった。かつてのダミアンに似ている。同じく血の濃い魔族だから当然とも言えるが、そう思うと、タニアに感じる恐怖に、妙に現実感がある。  「勝手に納得していろ。デーモンを見込んで、けしかけたのは確かだが、奴を落としたのは、ダミアン本人だ。」
「けしかけたって、何て言って?」
「…逸材だから今の内に手に入れておけ、とでも言ったか。」
「あの太子殿が、それくらいで動くものか。」 
 タニアが笑い、エースもそれを笑い返す。
 「そう思っていたから、城を抜け出した時には驚いた。行き先はデーモン族の荒野に決まっている、無謀どころの話じゃない。侵略者の御曹司でなくとも、人影に道を尋ねれば、不死だろうが命なんぞ寸分も残さないような獣の地だ。血相変えて連れ戻しに行けば、当人は、夜歩き途中のデーモンに出会って、話がついたと揚々たるもんだ。…あの時ばかりは、闇の皇太子の名もだてではないと思ったが、あのダミアンも若かったという事だな。」
 揺れる背もたれに頭を預けて、タニアは中空を見上げている。首の金の飾り輪が重なり合い、胸飾りにも当たって高い音を響かせる。
 「少しは太子殿からも聞いている。そして、見込んだ通りのデーモンが、魔界の軍事を任された時に、闇の皇子殿は、唯一の友を手放す事になったわけだ。」
 何処まで知っているのか、探る気でいるのか。タニアの言葉を、エースは目を細めて見た。情報と知識を集めている、その彼女の行動は理解できた。今は整理されていない事々が、いつか何かをきっかけに、結びつき発展する時も来るだろうが、あったにしても、それは先の話だ。
 エース自身が辿った道でもある。彼の場合は、退屈しのぎが、興味を満たすものとなり、やがては魔界での仕事として成果を収めた。膨大な知識と情報の集積を以て神界との戦いに力を貸し、重用される身になったのだ。皇太子として世に出る以前のダミアンと親しく交わったのも、魔王の厚い信頼あってのことと言える。
 「ダミアンが何か言ったのなら、皇子の言葉だ、その通りだと思えばいい。」
 言えば、タニアもあっさりと応酬してきた。
 「エースは答えなかった。以来、目を合わすこともしない。」
 同じ顔に口真似までされて、ついにエースは切れた。しかし、空を切って、手首と肘が喉を押さえに回り込んだ時、タニアの手甲が皇太子の石を滑らせて、その攻撃を遮った。
 「私にはそんなことが出来るのに。太子殿にしたって、直接エースに言えばいいんだ。まったく、大人ってのは面倒で、気の毒なくらいだ。」
 タニアに返す、言葉はなかった。
 遠い昔に、ダミアンに真顔で問われて、絶句したことがある。しばしの間をおいて闇を継ぐ皇太子は微笑し、その意味することが判ったから、彼の目を見ることができなかった。それがエースにとっての、短くも親しんだ友人との別れだった。
 漆黒のマントで両肩まで姿を覆って、エースは呟く。
 「貴様にまで同情されるほど、落ちぶれたとは哀れだ。」
 タニアは、今度はその格好がおかしいと言って、笑った。


 屋敷に戻ると、執事が安堵もあからさまに、愛想よく出迎えてくれた。書斎に案内されながら、エースがコーヒーを注文して、彼を驚かす。
 デーモンは長椅子の背に両腕を乗せて待っていた。言いたいことが山とあるのをこらえていると判るほど、押さえた背が窪んでいる。それを、騒ぎを起こしてすまないとタニアが先がけて詫びてしまうので、彼も頷くことで承諾するしかなくなった。仕方なく、世話を焼かせてすまなかったと、巻き込まれたエースをねぎらう。
 さっそく運ばれてきたコーヒーに、デーモンも怪訝そうな顔をする。つまむほどの小さな碗に注ぎ分けられた、濃い香りがあたりを包みこんだ。
 「今日は、酒を飲む気になれないだけだ。」
 タニアに習い、問われる前に宣言して、相手を封じてしまう。
 「何が気に触った?約束なしで行って、無理につき合わせたのに、寝てしまった事か?帰りの、太子殿の話か?」
 当人は謝るつもりだろうが、タニアが平然と並べる事ごとに、今度はデーモンが目をむいた。何も言わず碗を口に当てながらも、あれこれと考えを巡らすのが、その動く目によく見える。他への興味に怒りを静めてしまう辺りは、タニアと変わらない。
 「寝た、のか?」
 それが、結局はデーモンの口に出た。
 「言っておくが、俺の肩にもたれて寝た怖いもの知らずは、これまでで二人しかいないぞ。」
「なら、デーモンと、その前がダミアンだ。」
 驚きもせず、あっさりと言い当てて、デーモンに判定を仰ぐが、彼はエースを見ながら妙に納得した顔で頷いていた。
 「まったく、嫌な奴だな。」
 どちらが、とも決めず、エースが舌打ちをする。タニアは気にかける風もなく、今度はデーモンに矛先を向けた。
 「太子殿に引き合わされたとき、どうだった?」
「また、何かと思えば、昔の話を。」
 エースには呆れた表情を向けて呟きながらも、話の流れには不満はないらしい。中空を見上げて少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
 「魔王に圧倒されたすぐ後だから、皇太子の印象は、正直言って薄かった。ただ、我輩を知っていて、わざわざ呼び止めて改めて紹介する、この情報通の友人というのが、不思議だった。だが、日をおかずに、殿下が会いに来られた。…状況というものがあるから、その時の話を今の言葉にしても意味はないが、我輩には、いたく響いたのだ。その時に、応えねばならぬ相手だと思ったわけだか、今もそれは変わらない。」
「若き日のダミアンの気負いに誘われて、血迷ったという話だ。それも、未だ盲従を自認するから、始末が悪い。」
  エースの毒舌に鷹揚にデーモンは笑って見せ、譲らないぞとその目が念を押す。こればかりには敵わない。
 聞いておきながら、タニアは次の何を考えているのか、二人の駆け引きにはさして興味を示さなかった。


 ルークが到着し、遅い夕食が始まった。理由を尋ねられ、町を回って来たのだと答える。
 「局と本部と、自分の処。せっかくだから、中宮勤めから情報を入れて、おすそ分けしてきた。タニアを先にやって、エースが虚勢張って歩く辺りなんかは、特に局の連中がウケまくってたよね。」
 局員達は、それを今夜の肴にしながらも、明日は冷徹な顔の上司におののきつつ仕えるのだろう。エースが最高に不愉快な顔をするが、一同はそれすらも面白がって笑った。
 「それにしても、次にエースだとは思わなかった。ゼノンもいるじゃない?」
 途端に、エースが手のナイフの先を突きつけたが、またもタニアは手甲で防ぎ、金属のぶつかり合う音が響いた。デーモンが顔色を変えて叱りつけたが、エースの怒りは収まらない。
 「図りやがったな?」
「工房から、煙が出ていたもの。」
 答えはするが、それが口実なのは、不敵な笑いで知れた。
 「言われるまで、気付いてなかったろ?とっくに勝ちを許した相手に今更うろたえているようじゃ、直に席が無くなるよ。例の鉄面皮も、何処に落として来たのやら、顔中の筋肉が自由を取り戻して動きっぱなしだ。」
「貴様こそ、わざとらしい馬鹿笑いばかりして、その能面の上の薄皮がはげかかっているから、気をつけろ。」
 笑いながら、棘だらけの言葉をルークがたたきつければ、エースが応戦に回るのをタニアが頬張り過ぎた肉を噛みながら、無表情に眺めている。
 「いい加減にしないか。」
 さすがに、デーモンが言葉を挟んだ。
 「度が過ぎる。二人とも、以前は、軽口は叩いても、こうではなかっただろうが?」
「それは、先にアンタがいちいちぶち切れてくれるから、抑えるのに忙しくて、それどころじゃなかったってだけだよ。」
「ヒスりまくってる時にタニアが来て、かき回してくれたんで、落ち着いたのは確かだな。」
 すかさずの言に頷いて、エースも負けずに言う、それをまた、ルークがつつく。
 「誰かにしたって、仕事に振り回されて退屈しすぎるから、芝居を忘れるのさ。」
「それを言うなら、聖母に戻りかけて、イラついていたのは何処のどいつだ?」
 主の爆発を遮るように、執事が次の皿を手に現れて、口論はうち切られた。気を取り直した顔で、デーモンが話題を変えにかかる。
 「そういえば、ライデンも国元に戻ったままだな。居てくれれば、もう少し和やかに話もできるだろうに。」
「居ても、タニアは局を目指したろうけどね。」
 含むように、ルークに声をかけられても、タニアは鳥の骨を上品に外すのに没頭していて、気がついた気配もない。
 作法を教え始めたのはいいが、なぜこんな面倒を作るのだと怒りだして参ると、デーモンが頭を抱えていたのは、そう前の話ではない。それが、淑女講座におとなしく励んでいる。言いくるめられる娘ではないから、その目的が何なのか、あるいは何になるのか、先を見るのが楽しみな気がする。
 しかし、話の流れを把握する術は心得ていたらしく、美しく骨を寄せて口元を拭ってから、タニアが話題に参入した。
 「ライデンは、婚約の儀が整ったらしい。お相手は遠縁の、白菊姫という愛らしい姫君だそうだ。今度の舞踏会に招待すると言うから、会うのが楽しみだ。」
 「それはめでたい話だが、エースより情報が早いのか。」
 デーモンが妙な関心の仕方をする。無論、ルークはあからさまに、エースの唖然とした顔を笑っている。
 「それは、奥向きでは、女同士の気安さが一番強いもの。」
「つまり、ライデンはさっそく手を打ったわけだ。これで子種の提供者リストの順位を繰り下げた。」
 ルークが言って、デーモンのそれは複雑な顔を見れば、タニアがそれを更に笑う。
 「違うよ。ライデンは外にいるから、見えてることの本当の意味が分かるんだと思うよ。」
 笑うからには、自分達が盲いているのだと言うのだろう。
 もう表情を落として、エースはデーモンの顔を見ていた。                               
タニアの話◇II-III/青の章◇エースとタニアの話◇完

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