タ ニ ア の 話
I / 闇の雫 ◇ 勇者タニアの話
        

 
 『人界との狭間に天人が降りた』 
 報せに椅子を蹴り、デーモンは大股にドアに向かった。わしづかみにしたマントがふわりと翻る。
 「待て。」
 その背に鋭く声がかかる。憮然と顎をあげて振り返るのを、ルークの冷たい視線が待ち受けていた。
「話はまだ終わっていない。席に戻れ。」
 胸元からほぐれた細い手の甲が、黒曜の卓をたたき示す。激しい怒りをたたえる目なぞ意に介する気配もない相手に、デーモンも不快をあからさまに席に着いた。
 しばしの沈黙の後に大きく息を吐いて戸口を振り返り、急報をもたらした士官に指示を言い渡す。その口調はもう穏やかになっていたが、この事態に遭遇してしまった不運な部下は、すっかり凍りついていた。
 その鼻先をめがけてルークが放った、茶請けの菓子が眼前に迫ってようやく気がつき、あわてて両手で受け止める。復唱しようとして再び硬直しかけるのに、デーモンがもう一度繰り返し、小さく詫びの言葉を付け足した。とたんに士官は頬を紅潮させ、細心の注意を払いながら指令を確認する。うなずく顔に、ルークも上等の笑みを添えて、彼を送り出してやった。
 「お茶をいれなおそう。」
 冷めた碗が下げられ、やがて、湯の沸く音に続いて、品のいい香りが部屋を満たす。一つ取った菓子の、銀箔に包まれた小さな丸みを手の中で転がしながら、作法事かしきたりのような所作を流れるように進めていく白い指先を、デーモンはぼんやりと眺めていた。

 天界との小競り合いは変わらず続いている。いくらかの戦果と、惜しんでもの損失を繰り返しながら、それ以上の展開にはならない。時には六翼の大天使も姿を見せるが、大軍で迎え撃つほどの戦闘にも至らずにいる。その度に出向こうとする総司令を、彼の参謀が公に私に戒めることが増えていた。
 今も、収拾のつかない会議の険悪な気分を参謀の部屋に移して、にらみ合い同様になっていた。戦いのとは別の緊張が続くのはいいことではない、それはどちらにも判ってはいるのだが。
 「いれるか?」
 不意に声をかけられてつい顔を見上げ、目の合わないことに安堵する。いつの間にか、奥の私室に確保してあるとっておきの酒が、その手に収まっている。鶴首のガラスの青が、光を透かして美しい。
 「たっぷりと。」
「強くもないくせに。」
 ようやくルークの口許がゆるみ、一気に室内の雰囲気が和らいだ。注文通り盛大に酒の香りを立ちのぼらせて、古式ゆかしい碗があてがわれる。
 「総指令閣下は、そうやって本陣にゆったり構えているものだよ。いちいち前線に出向いては、総領の意味がない。何しろ、あれもこれも互角でけりがつかない、そこを優位に進めるためにこの参謀がいて、あんたはその俺の、最高の切り札なんだからね。」
「参謀殿にかかっては、我輩もカードの一枚か。」
 苦笑まぎれにすすれば酒の甘さは口中に広がり、苦みが舌の先に残る。魔軍の札の使い手は、碗を両の掌におさめて、漂う色に目を落としたまま答えた。
 「手は惜しまないさ。あんたも皇太子も、魔王だろうが至上じゃない。ただ、綺麗で強いカードだ。目的のためには惜しまずに使う、必要ならばいつでも捨てる、それが出来なければ、俺がやる意味がない。参謀の席を選んだからには、全霊を賭けてその役を全うしよう。」
 頼もしい、と茶化すにも讃えるにも不遜すぎる物言いと、彼の指先に支えられた碗に、デーモンは黙ったまま、まだ熱い茶を飲み干した。
 何か言えばきっと、ルークは顔を上げて、目を細めたあの笑い方をしただろう。穏やかとも言える、知らなければ見惚れそうな、美しい微笑。ようやく心落ちつけて座を温められそうな時に、それは見たい顔ではなかった。


 情報局の愛想のない壁をスクリーン代わりに、夕暮れに沈もうとする小さな町並が映し出された。
 そこに閃光が走り、煙が上がった。港寄りにいくつか背の高い建物がある、その上空に白い輝きが現れて静かに降り、やがて内に天使らしい姿が見えた。
 閃光、間をおいて、また。人々の叫ぶ声と轟音が、切れ切れの闇に響き、光にかき消される。
 不意に視点が変わり、燃え上がる家の一つから現れた人影が、小屋の屋根から次の高みへと敏捷に駆け上がり、じきに一番の潮見のやぐらの先にたどり着いた。風に巻きあがる濃い色の長い髪の、見上げるその姿を、地の炎と頭上からの光が照らし出す。
 若い、女らしい。力としなやかさを思わせる体つきの、細い顎の辺りから膨らむ胸元にかけて、何本かの光る輪が浮いて見える。
 間をおかず彼女は獣のように身をかがめ、空へと跳躍した。伸ばした片手の先に届いた衣の裾をつかむと、今度は力ずくで自身の体を引き上げ、高貴に輝く姿の上を、駆け上った。背に腕を回し引き抜いた剣を両手でかかげ、天人の頭上で、全身を大きくしならせる。
 「たたっ切った、か。まるで話そのままだな。」
 呟きながら、ルークは乗り出していた体を背もたれ付きの椅子に戻した。眩しさをこらえていた目が少し痛む。壁にはまだ、急速に光を失っていく六翼の大天使と、その羽の一つを片手に下げて降りていく姿とが、映し出されている。
 
 魔界と人界の狭間はどちらの領域でもなく、不干渉地帯と言うよりは、何も無かった処にどちらでもない者達が棲み着いて出来上がった場だ。小さいながらも港を開き、町として機能している。支配が及ばない分不穏でもあるが、強引に排するのも難しい存在として、黙殺という承認を取り付けて久しい。
 当然、神界でも魔界を探るのに不可欠な場所として温存して行くものと思われていたし、実際、攻撃されるような事もなかった。
 そこで、ほんの数日前に起きた件だった。いくどか光が降りているのが気にかかると、エースが自ら出向いていたのだ。目撃には間に合わなかったが、合成するに足る視覚映像は集めたらしい。それにしても、魔界の域とも言える町を押さえていなかったのは、情報局長官たる彼にはよほど不覚だったに違いない。
 「魔の一族の血が濃そうだね。鍛えて出来る事じゃない。それに、これは降りているよね。」 
「受け止める気で、彼女の養い子達が真下に構えていたのが、港近くに降りたというのだから、自力だろう。」
 言いながら、エースは手元のパネルを操作して、姿を大写しにして見入る。拡大されてぼやけた映像がわずかずつ進み、女は天使の上段まで引き上げた体に、若いしなりをためて、飾りのない大剣を両腕で振り下ろす。
 次には角度をずらして、映像は繰り返された。輝きの粒子をいくら荒くしても払う事は無理だろうに、と思いながらルークもそれを眺める。
 「先のは下見で、今回は誘い出すために力をふるった、というところだろうな。何のためかは知らんが、気の毒に。」
「知らんがって、それで済ますわけ?」
「情報は提供した。後は、軍務として参謀殿にお任せしよう。ここまで映像にしたんだ、感謝してもらいたいね。」
 きっぱりと返されては、ルークも諦めるしかない。
 「確かに、妙だけどさ。それをデーモン抜きで見せられるのが、一番の不思議だよね。」
「ああ、それは、」
 ようやくスクリーンから目を離して、エースが愛想良く答える。
 「奴が王宮に出向いているからだ。今頃は、かの勇者殿のお世話役をいいつかっている事だろう。」
 それだけでかと不審に眉を寄せれば、情報局長官は更に嬉しげに言葉を加える。 「時期からして、舞踏会へも招くだろう。恒例の皇太子の花嫁選びが、候補を増やしてむし返される。」
 ただでさえ何かと煙たい大公爵が一同に会するだけでも面倒なのに、その娘やら損得がらみを連れてくる。一部の天界や、近隣の種族も招待するから、未だ妃を定める気のないらしい皇太子もさぞや鬱陶しかろうが、準備に始まり、それなりの余波を食らう彼らにしても、閉口する祭礼だ。
 「それで?」
「当然、あのダミアンが言われるままになっているはずがないから、押しつけるべくデーモンを巻き添えにする。」
「とばっちりがこっちまで来るのも、いつもじゃない。」
「火の粉なぞ、適当に払え。それよりも、奴の困惑顔を見るのほど楽しい事はないだろう?ましてや、魔王殿好みのイキのいい小娘だ。これはさぞや手強かろう。」   彼の言葉通りであれば、魔王に忠誠を尽くし、ダミアンを信奉するデーモンは、生真面目に悩む事になるだろう。魔界の軍事を任されるほどの地位を得ながら、デーモン族の長でもある彼には、いろいろと面倒が多いのも確かだが、何より、その方面は不得手らしい。
 「まあ、魔王に限った事じゃない。ダミアンも所詮は彼のジュニアなら、あれこれ張り合って騒がせてくれるだろうさ。」
 壁では、くだんの勇者が剣を振り下ろす映像が、際限なく繰り返されていた。

 声がしてドアが開く、思わずデーモンの顔に目が行った。ただ不機嫌そうに見えるのは、怒りまで至らないだけなのか、それを通り越したのか。もしくは、応えねばならぬ相手に難題を突きつけられて、考え込む風情か。
  ふわりと広がるマントを手で押さえて、背後の客に道を空ける。席を立って待てば、長身とは言えない彼の、胸の辺りまでだろうか、小柄な娘が現れた。
 左手の優雅な細工の腕飾りに、世話役の顔の訳がはっきりした。皇太子を象徴する、真紅の石がはめ込んである。知らぬ者はない、ダミアンの愛用の品だ。
 焼けた肌に、漆黒の長い髪。細いがしっかりした首に数本の金の輪が重なり、幅広い一つには穏やかな色の石が飾られている。仕立て直したのが判る、簡素な革の武具を衣服の上にかけ、大剣は左手に携えていた。闘う映像よりかなり幼い感じがするが、見上げる黒い瞳には強い光がある。
 背に手を回されてエースとルークに歩み寄ると、かなり顔を上げる形になった。二人の長身に、少し驚いたような表情を見せても、たじろぐ気配なぞまるでない。
 「陛下のお勧めで、ダミアン殿下が、友軍として迎えられた。…先ほど話した、黒服がエース情報局長官、そっちの白いひらひらしたのが全権参謀のルークだ。」
 友軍とは、少なくとも形式の上では一国として待遇するという事だし、御印を与えるのは、最大の信任を他に示すためだろう。デーモンが地位の象徴である魔王の胸飾りと、軍務に着任した際に皇太子の武具の一つの額飾りを賜った以外に、例がない。
 エースが最上に近い、つまりは軍の最高位である皇太子へのものに次ぐ礼をとった。それを見てルークは、あえて丁寧な握手だけで済ますべく、手を差し出す。
 「タニア、といいます。よろしく頼みます。」
 その格差なぞ気にするふうもなく、りんとした声で、彼女が応える。たった一人でも友軍を名乗るのに不足はないのだと気負っているようにも、ただ性格にもとれた。どちらにも、底知れぬ強さを思わせる。
 けれど二人とも、迎える勇者とは別に、背後で成り行きを眺めている世話役に毒づくことを、忘れてはいなかった。
 「さて、何を話したのやら。」
「今の言い方じゃ、絶対にろくな説明じゃないよ。でも、この先の逆襲は、閣下も覚悟しておいでだろうし、ね。」
 しかし、凄みがまだ足りないらしく、デーモンは悠然と歩いて壁に近い長椅子に向かい、招かれたタニアが敏捷な動きでその隣におさまった。
 「エース、映像を見せてくれ。」
「あるのか?」
 タニアが、目を丸くして振り返り、エースが説明する。
 「魔物の中には、見たものの記憶を伝える能力を持つ者がいる。それを集めて、映像を作らせてもらった。」
「夢中で、自分では憶えていない、ぜひ見たい。」
 勢いづくと、まるで子供の顔になる。
 パネルのそばに戻ったエースが、始める、と低い声で言い、ルークもそしらぬ顔で彼の脇に立った。そこからは壁も観客も見ることが出来る。映し出される町並みが、室内の意識を引き寄せ、すぐに二人は映像に集中し始めた。
 エースが肘でつつくのに顔を向けると、彼の顎先がタニアの頭を示した。
 髪が揺れ始めていた。画面からの輝きを照り返すなめらかな艶が、ゆっくりと巻き上がろうとしている。その動きの隙間から、飾り石の輪が浮き上がっているのがわかる。さすがにデーモンが気づいたらしく、体をずらして彼女を見た。その目にも、落ちる天使の消えゆく光が写っている。
 不意にタニアが振り返り、ルークは肝をつぶした。それでも、デーモンが意識を落としたのが、目の光がかすれたので判った。
 飾り輪の裏側の白と黒、二つの石が、顎先の高さで鈍く輝いている。映像はほぼ闇に戻り、ましてそれに背を向けているのに強烈な光を放つ眼のままで、しかし彼女はまるで気がついてないらしい。もう一度、と再映をねだり、反応がないことに首を傾げてから、お願いします、と付け加えた。
 とっさに手を伸ばして、パネルを操作する。タニアの顔が笑みを見せて、前に戻った。少しの間を空けて、闇にあの閃光が走る。
 振り向いてはっきり眉を寄せたデーモンの視線に示されて、エースの蒼白な顔に行き当たる。その目が、石のあった中空に貼りついている。ルークは、先刻エースの手で際限なく繰り返された、映像の意味に、ようやく思い当たる。気がつけば、六翼を包む眩しい光の中で、彼女の姿は妙にはっきりと見えていた。もし、輝くほどの闇があるとしたら、それをタニアが放つように。
 エースの腕をつかもうとして、恐怖が走る。魔王にも皇太子にもひるまない彼の、体が小刻みに震えているように見えたのだ。

 「ちーっすっ…」
 ドアが開くよりもよほど早い声に、エースの意識が反応するのに気づいて、のばした手をあわてて戻す。振り返ると、ライデンの明るい顔があった。
 「あ、さすがにやってるねぇ。」
旅に出ているはずのゼノンまで、一緒にいる。
 「お、お、勇者殿がいた。」
 さっそく主役を見つけたライデンが、場の空気などお構いなしに入り込んで、どっかと長椅子に座り、デーモンの頭越しに話を始める。彼に引き戻されてか、タニアの様子が戻っていた。ゼノンは立つ二人の方に寄って来て言う。
 「港を回ってきたんだけど、この話でもちきりだったよ。悪いけど、初めから見せてくれる?」
 頷いてエースがパネルの操作を始めた。しかし、タニアの興味はもう失せたらしく大天使が落ちても髪も飾り輪も動かなかった。
 「こうして見ると、少したくましいだけの、女の子なんだけどねぇ。」
「そうだね。ちょっと強くて腹が据わってて、かなり魔の血が濃いだろうだけのね。」
「今は、な。」
 思い切りとどめをさすエースに、ゼノンが笑う。
「よほど、怖い思いでもしたみたいな言い方をするね。」
 当然、睨み返されても、知らぬ顔を向けるのに感心しながら、先の場に彼がいたらどう反応しただろうかと、ルークは思った。
 「いつかは、と思っていた事を、本当に見るとはな。」
 映像に視線を向けたまま、エースが独り吐いた。


 一同が顔を揃えた事で、場はデーモンの屋敷に移った。彼には、タニアの世話役を言いつかった事情もある、皆を集めて巻き込んでおく腹づもりでいるらしい。
 上等の菓子に酒と条件をつけて、ルークが茶をいれる。気に合った事は極めるという信条の成果は、友人達も認めるところだ。
 元は離宮なだけに、優雅な造作の舘にきょろきょろしていたタニアも、じきにゼノンの傍らにおさまった。それに、デーモンがかいがいしく菓子やら果物やらを取って勧める。
 穏やかな時間が、つかの間過ぎていく。
 「その、飾り輪の石を見せてくれないか。」
 あまりにも自然な口調でエースが言い出したので、先の彼を思い出すのに時間がかかった。
 タニアは別に嫌がりもせず、首の後ろに手を回して輪を外す。受け取り、裏を返して黒と白の石をさらすエースにも緊張は見えない。ただ、デーモンの視線が鋭く走るのが判った。
 「これは、誰かから受け継いだ物なのか?」
「石は、初めて山を下りる時に、迎えに来た女の人から貰った。後から、別の養い親が、飾り輪に作ってくれたんだ。」
「特別のいわれは知らないんだな?」
 念を押されても彼女は動じない。ただ当たり前の顔をしている。
 「魔王殿にも太子殿にも聞かれたけど、石のことは判らない。」
 デーモンが深く息を吐いて、言う。
 「黒い方は《闇の雫》とよばれる物だ。魔の一族だけが持つと聞いている。だからこそ、陛下も一介の勇者として扱わず、御印を下賜されたのだろう。」
「陛下?御印だと?」
 鳥肌の立つほど低く重いエースの声に、空気が震えた。耳奥が共鳴するようなその波紋の上を、小石が跳ねていくように、タニアが自分とデーモンの会話を進める。
 「でも、私はこの国の者でも、魔王の家来でもない。」
 彼女にはそれが理だろう、わかった、とデーモンが折れた。相当に複雑な顔のままで、携えていた厚絹の包みを解いて、長らく魔王の手を飾った紺碧の石の指輪を見せた。胸飾りに仕立てよとの仰せだと、ゼノンに託す。彼もさすがに席を立って受け取り、更に慎重に包み戻した。
 「そう思うなら、その辺の痩せ犬の首に着けて放してみろ。明日には王宮の右隣に舘を持って、魔王の左に椅子を並べてふんぞり返っているだろうさ。権威だ象徴だってのは、そういうものだ。せいぜい活用することだな。それだけの道具立てが揃えば、たとえお前でなくとも、この魔界で叶わない望みなんてまずなかろう。」
 恐ろしく冷たい顔でエースに言い放たれて、さすがの勇者もゼノンの体にしがみついた。回した腕で肩を撫でてやりながら、まるで養い親のゼノンが、穏やかに言う。
 「怖がる事はないよ。必要なものは、自分の中にあるんだからね。」
「自分の、中、ね。」
 皮肉たっぷりに言葉尻をつかまえたところで、デーモンとゼノンがきつく睨み付け、ライデンは向こうからみごとな蹴りをいれる。それでも言葉を続けようとする、その耳元に唇を寄せて、ルークがとどめを刺しにかかった。
 「たとえ、魔界の《闇》に呼応するものが、神界の《光》だろうとしても、ね。」
 ぶるりと身震いをしてからでは、怖い物の例えの彼の目も、ルークの薄笑いの前に力を失う。
 そこに、おびえていたはずのタニアがたたみかけてきた。
 「本当に、望みが叶う?そうか、だから、太子殿もこれをくれのか。」
 太子という言葉にデーモンが慌てて制するものだから、状況は急変した。今や秘密を知りたがる側に回った者達を味方につけおおせて、エースが恐ろしくにこやかに尋ねる。
 「親愛なるダミアン皇太子殿下に、何をお願いしたんだ?」
「子供がほしいと言った。でも断られて、代わりにデーモン殿を紹介された。」
 あまりに予想外な答えを理解するまでに、一同はしばらく沈黙する。そんな情報を拾い損ねていたのは知らぬ顔で、エースは殊更に楽しげに、タニアの腕の飾りとデーモンを見比べる。ルークも他の皆も、じきに同じ事を始めたが、爆弾は実は一つではなかった。
 「魔王殿にお願いした時は、誰の物でも、好きなだけ持ち帰って良いと言われた。そうか、そのための印なのか。」
 一同が、今度は顎を外したのは言うまでもない。
 呆然としながら、ルークは、この娘がただの勇者でも魔の一族の末裔なだけでもないと思いつく。それ以上の、何かとんでもない存在。それを承知して、魔王と皇太子が自分たちの元に送り込んでよこした。
 「その、また、何のためにそんな望みを持つんだ?」
 少しばかり他より早く余裕を取り戻したデーモンが続きを誘えば、タニアはごくまじめな顔で答えた。
「守りたいと思う時に、戦う力があるのはいい。私の子供が私のどの血を継ぐのか判らないが、出来るだけの力を持たせてやりたい。だから、一番強い男の子供が欲しい。面倒なことは言わない、子種だけでいいんだ。」
 彼女の言葉には、権威を象徴する石など要らなそうな、強い響きがある。今度はさすがのデーモンも絶句したまま、タニアの黒い瞳に捕えられていた。                         
タニアの話◇I/闇の雫◇勇者タニアの話◇完

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