石 蕾 の 酒   


 東洋風の杯を両手で温めていると、ゆっくりと香りが立ちのぼってきた。
 総ての壁を布で覆い、柔らかな光を満たす、まるで穏やかな午後を模した部屋で二人は向かい合い、手元に見入る。白濁した六錐の石が、濃い酒の中で色づく。巻いた蕾の花びらが一枚ずつほぐれるように揺らぎ、朧な姿がその奥に現れた。やがてそれは色合いを濃くし、なびいては崩れ色を変える。揺れるたびに何かの形に見えるのを、息を潜めて次を待つうちに、ルークの杯に光がはじけた。
 あおって置いた杯の底で、溶け残りの塊が光を散らす。
 ルークが席を立つのに気を取られた隙に、包み込んだ手の中で、小さな横顔が崩れ落ちた。香りが褪めていく。デーモンもようやく顔を上げた、その視線の先で、ルークが壁の飾り房の一つを引き、街に向いた窓をさらす。
 「また、不思議なものを見つけたな。」
 声をかければ、この地に住む友人は振り返る。その目に一瞬強い光を感じたのは背後に空間をそこだけ切り抜いて闇を映す、ガラスの反射を集めたのかもしれない。外の漆黒の奥で、地は紅く摩天楼は崩れ重なり、屍があふれ凍えているはずだった。
 その夜色に横顔を映しながら、ルークが軽い調子で答える。
 「ここには、何もない時間だけは、いくらでもあるからね。せっかく来たんだから、ゆっくりしていけばいい。どうせ向こうじゃ、我が物顔であれこれ突っついて、走り回ってるだけなんだろう?」
「誰が、我が物顔で、突っつき回すって?」
「あんたの他に、誰かいた?」
 笑う顔のまま窓を離れて傍らに寄り、デーモンの手の中の小さな杯を覗き込む。明るい色の長い髪が、ふわりと視界に広がった。
 「何が見えた?」
「…色々、だ。最後は誰かの横顔のようだったな。」
「ふうん?」
 言いながら、そのまま杯を取り上げて酒をあおった。
 「ヒトの残しておいた楽しみを、お前ってやつは… で、酒としては旨いのか?」
 抵抗しても無駄と承知して問うと、ルークは冷たい目で微笑する。
 「幸福の広場の噴水の、女神と天使が吹き上げていた水に琥珀と金を浸けて造った酒にね、」
「暇つぶしにしても趣味の悪い。」
 望むだろう言葉で答えれば、座したままの両肩に、背から覆うように腕を回し見上げる視線をからめ取った上で、律儀にとどめを刺しにくる。
 「石は、街の一番高い塔の先の光の宝玉を溶かして、あれこれエッセンスを巻きながら、何度も結晶させて創るのさ。いにしえの王を惑わした錬金術師の、あやかしの薔薇のごとくにね。」
 酔いが、その眼に色を帯びさせる。身動きできずにいる体を引き寄せるように腕が絞られ、冷たい頬がふれる。重なるほどに寄るルークの瞳に、くだんの石の影が揺らめいては、形を変えるのが見える。
 魅せられながら、デーモンも、覆いかぶさる細い肩に背に腕を伸ばす。柔らかな髪のウエーブを懐かしむように弄び、うなじから顎へと指を滑らせる。
 「そんなに寂しかったか? おー よしよし。」
 言えば、ルークはデーモンの厚い胸に突っ伏して膝を折り、ひきつけるように高い声を上げて、笑いまくった。勝利をもぎ取った者の礼儀としての時間を何とか過ごすと、デーモンは次の攻撃に備えて、敗者を突き放す。予期していたらしく、あっさり離れて卓に両腕と細い顎をのせ、ルークが抗議する。
 「…んもぉー、せっかくいいとこまで行ってたのに。絶妙のタイミングのトコでヒトの台詞を盗るなんてさぁー。」
「お前とゼノン抜きで、エースとライデンが組んだの相手にやり合うんだ。間合いなんて、いくらでも上達する。」
 「あんたは、どうにでも面倒を背負い込んで、それを逆手に返すんだ。頼もしい限りだね。…街に出てみる?」
 乱れた髪をかき上げながら、返事も待たずにルークが先に立って部屋を出て行く。


 街を封じ込めた氷に降り立つと、のしかかるように、闇が重い。風もない。
 「この辺が、公園。『平和と祝福の像』だとか『女神と天使達の噴水』がある。で、あっちの方に、石の元の、それはデコラティブな信仰の殿堂があるわけね。下に降りてみる?」
「いや… それにはおよばんが、さぞや屍も寒かろうな…」
 見ようとさえ思えば、厚い氷と瓦礫の底に累々と横たわる体が視える。聴こうとすれば、永く閉ざされたあらゆる音が聞こえる。しばらくの間、デーモンはそれを試してみる。
 かつて、不幸に見舞われた内の一つである、ここを通った。後にいくつかの地を管理もしくは監視することになった時に、小事でしかないその任をルークは断言し、その気になった彼を押さえられる者はなかった。
 その時と同じ言葉を、重ねてデーモンが口にする。
 「街の一つ一つに情けを掛けるな。直に再生が始まる、その時にこそ我々は力を使わねばならない。」
 先に立ち、ない風に髪をなびかせる風情で、答えが返される。
 「判ってるって。どのみち再生の時には破壊するんだから、放っておけ、とね。
 気貴い方々は、あれこれ巧いこと言って誘わせておいて、いざ奴らの争いの始まりの時も終わってからも、天上から地界から、酒杯を片手に、ただ眺めておいでだ。俺は、だからこの地に居て、ここと、ここの先につながってる総てを見てるのさ。何でもできるのに何もしないって事が、何より始末が悪いってのを思い知る為に。結局は俺も、ただ見ているだけの一人に、なるんだろうけれどね。」
 「目の前の物にひきずられて、消耗するな。」
 思わず出た言葉が、ルークの声に追いすがるように、凍えた地表を走り、乾いた空に反響した。
 数歩先でルークが振り返り、強い声音で言い放つ。
 「だけど、その大義名分とやらが、生半可に終わるような半端な代物だったら、その時は何にも組しないからね。俺は、あんたほど、義理も立場も分別も、ましてや遠い理想なんて無いもの。」
 「並べてくれるな…」
 デーモンはそれだけ言って笑い、彼の友も、答えて顔を崩して見せた。
◇石蕾の酒◇完


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